もう1回だけ、発掘品 | くるまの達人

くるまの達人

とか、タイトルで謳いながら、実はただの日記だったりするけど、いいですか?

今夜も夜なべです。原稿を書くのが辛
くなってきています。が、なんとか完
成させなければなりません。こんな話
を皆さんが読まれるここに書くのもア
レですが、前回、前々回のブログで紹
介したクルマの開発にまつわる話も、
たった1つの解を示すために七転八倒
した道程があってこその結果ゆえに、
人の心を打つ作品に結びついているの
だなと感じるものでした。文章を書く
ということも、途中、いくつもの道筋
が現れて、それぞれが求める解につな
がっているような錯覚に陥ります。そ
の中から、自らのアウトプットとして
納得できるたった1つの解に辿りつく
道筋を誰の力も借りずに見つけきらな
ければなりません。迷路に迷い込んで
しまったときに、時間を掛けてきた道
を思い切って戻る勇気も必要なのです
が、これは本当に勇気のいる決断です。
とはいえ、時間の制約もとても重要な
要素ですから、何としても今宵中に、
これぞ、という一本の道を見つけたい
と思います。

さて、前回のブログで最後にするとお
話しした発掘品のおすそ分けネタです
が、もう1回だけ紹介させてください。

フェアレディZの北米市場における大
ヒットの立役者、ミスターKこと片山
豊氏が先日、お亡くなりになりました。
残念ながら直接お話を伺う機会には恵
まれなかったのですが、戦後の日本を
築いてきたパワー溢れる方だったので
はないかと、彼について書かれたいく
つかの文章を読んで想像しています。
まるで耕耘機のように力強くバリバリ
と北米市場を開拓されたのでしょう。

そんなフェアレディZですが、一時は
モデル名消滅の憂き目に遭い、残念な
がら現在も大いに時代に取り残された
感満点で、まったく精彩を欠いている
と言わざるを得ません。わたしの世代
にとっては、日本の自動車文化になく
てはならない1台ですから、どうか再
び衆目を集める晴れ舞台の上に登って
きてほしいと思うばかりです。

この後に紹介するのは、そんなフェア
レディZが、大いなる期待を集めて復
活したときに書かせていただいた原稿
です。フェアレディZ復活に携わった
開発者の方々と、それを取り巻くいろ
いろな立場の方々のインタビューを取
りました。この本の恐らく半分近くの
原稿を書かせていただいたと思います。
そして、インタビューに基づいた原稿
をすべて書き終えた後、最後にこの原
稿を書きました。

栄光の歴史、熱い期待の声、というプ
レッシャーの中で進めなければならな
かった開発。それに携わる人々が何を
思い、何を吹っ切って、1台のクルマ
を作るという仕事に向かったのか。イ
ンタビューを通じて感じたままを書い
た原稿です。少し長いですが全文掲載
し、1台のクルマを文化にまで導いた
片山氏に捧げます。

そしてちょうど今で言うと、6月に発
売されるマツダ・ロードスターも、ま
さにそのような空気の中から生み出さ
れようとしているはずだ、という興味
も持っていただければ、単なる昔話で
はない視点でも読んでいただけると思
います。

9月16日の深夜、ちょうど自分の誕生
日に書きあげたので、とても印象深い
原稿でもあります。文末の“誕生日に
乾杯”のくだりは、夜中に薄暗い部屋
にひとり籠もって脱稿した瞬間のさみ
しいひとり叫びでもありますから、そ
こは笑ってやってくださいませ。

では、どうぞ。



2015_02_25_Z


LEGEND OF FAIRLADY Z
2003年9月 宝島社

WHERE DOES Z COME FROM ?
Zの系譜
時をかける貴婦人

一体それが正しいとか正しくないとか、
何を根拠に断言できるのだろうか。そ
れがいいとか悪いとか、誰の言葉が語
れるのだろうか。新しいフェアレディ
Z。今世紀初頭の注目の1台として、
いろんな口が様々な評論を展開するに
違いない。センセーショナルな復活劇
を果たしたということもあってドラマ
チックな表現も行いやすい。当然、現
代の常識的な技術標準と照らし合わせ
て、その優劣を報告することは慣例に
従って行われるだろうし、それらの評
価が指し示すこのクルマの持つ座標情
報が、購入を検討する人々にとって有
益な情報となるのであれば、価値もあ
るだろう。

けれども筆者がこの本の取材を通じて
接した開発者達の表情には、そんな評
論を越えた価値観を、自ら送り出した
Zに見出している様がありありと見え
た。目を見て言葉を交わし、じんわり
滲むような控えめな表現が、身振り手
振りを伴う溢れ出すような言葉の波に
変わった時、その口は達成感に裏付け
られた自信に満ちた言葉に支配されて
いた。ひとつ事を成し遂げた職人の目
つきになっていた。彼らをそこまで突
き抜けさせたものは何か。結果、Zは
どういうクルマになったのか。キーワ
ードはDNA。胸くそ悪いこの言葉。
新しいZとそれを取り巻く職人たちを
絶対にこの言葉で表現するものかと考
え抜いたが、良くも悪くもキーワード
はDNAなのである。

フェアレディZが誕生したのは69年。
北米市場で安価で頑丈なピックアップ
トラック以外にユーザーを惹き付ける
魅力的なモデルを持たなかった日産が
放った大勝負であった。ここまでアメ
リカ受けを意識したデザインなら売れ
て当然、スポーツカーの容姿を持った
イージードライブカーがポルシェの半
額で手にはいるのだから売れて当然、
実はアメリカ人の心を惹き付けたのは
同時に整備されたサービス体制だった
のではないか。デビューから現在に至
るまで、S30フェアレディZの魅力を
肯定しない口の悪い評論は綿々と続い
ているのだが、ともかくZは売れた。
Z誕生プロジェクトを強く推し進めた
アメリカ日産の元社長、片山豊氏が、
Zカーの父としてミスターKの愛称で
未だに親しまれている事実を見ても、
フェアレディZはアメリカの人たちの
ハートをしっかりと掴み、独自の価値
観を持った新しいクルマとして確実に
認知されたのである。

日産は好調な滑り出しを見せたフェア
レディZのイメージをさらに高めるた
めに、総力を挙げてモータースポーツ
シーンでのタイトルを奪い取る作戦も
実施した。モンテカルロラリーに引き
続いて挑んだサファリラリーでは総合
優勝を果たし、見せかけだけの高性能
ではないことをアピールすることにも
成功した。生まれたばかりのZは当初
の予想を遙かに超える人気モデルとな
り、確固たるブランドネームを確保、
デビューから数年も経つと次期モデル
への期待も膨らむ注目の1台へと成長
して、しまったのである。

結果、新しいZを開発するエンジニア
達は、常にある言葉にがんじがらめに
縛り付けられることになった。それが
DNAという言葉である。

78年に登場した2代目のS130は、
初代のデザインイメージの呪縛から全
く抜け出せずに、ただただ太っただけ
のモデルだった。おまけに排ガス規制
強化と時期が重なってしまった為に、
デザインがほとんど同じという以外に
全くアピールする部分がないまま生産
が終了した。それでは、というわけで
83年に登場した3代目のZ31は、さら
に全身迷いだらけのモデルとなった。
当初は全モデルV6エンジンでライン
ナップされたにも関わらず、モデル半
ばから初代を意識したのか、フロント
オーバーハングに迫り出すような形で
直6エンジンを搭載したモデルが登場。
シリーズ全体としてどういう走りを追
求しているのか。恐らく作っている本
人達にも分からなくなったに違いない。
デザインも後ろ髪を引かれつつ中途半
端に新しくしてしまった、という感を
否めない。そしてZ32は、作り手を含
めた誰の目にもGTカーであったにも
関わらず、最後までスポーツカーとい
うイメージをごり押ししてしまった。
Zはスポーツカーでなければならない、
というDNAの呪縛である。

確かに時代のうねりに翻弄されたとい
う背景はあるものの、フェアレディZ
は2000年を最後にモデル名消滅と
いう最悪の末路を辿ることになった。

好きな女性のタイプが異なったり、1
00mを驚くほどの速さで駆ける人が
いたり、それがDNAの成せる技なの
だと思う。つまりDNAとはあくまで
無意識な存在で、まるで反射のような
形で表れるのではないか。対してモノ
づくりとは、作為的であり極めて意識
的な仕業である。その行為にDNAの
存在を持ち出し強調すると、どういう
ことになると思う? DNAという言
葉は口から出た瞬間に、モノ作りとい
う行動に対する制約へと変化してしま
うのだ。歴代Zが初代モデルを越えら
れなかった原因は、まさにそこにある
と思う。爆発的なセールスを記録した
というDNAを越えなくてはならない、
誰が見てもZとわかるようなスタイリ
ングのDNAを継承しなくてはならな
い、スポーツカーという名に恥じない
走行性能のDNAを進化させなければ
ならない、ZというDNA、Zという
DNA……。朝から晩までそんなこと
ばかり考えていたら気が狂ってしまう
し、第一右から左へモノの形を崩さぬ
ように継承する作業に、個性の出番な
どない。誰がやっても同じ作業だとし
たら、自分がその任に選ばれた価値な
ど微塵もないではないか。歴代Zの中
で、唯一Z32のスタイリングにのみD
NAの呪縛からのブレークスルーを図
ろうとした形跡が見られるが、それ以
外はDNAによる制約の歴史だったと
言わざるを得ない。

新しいフェアレディZの開発に携わっ
た面々の中からも、ZというDNA、
という言葉が時折聞かれたのは事実で
ある。多くは、なぜ? という問いか
けに対する最も杓子定規な答として耳
にした。そして配られた資料に目を落
としても「Zらしさ」「新しさ」「高
品質」の3つが開発コンセプトとして
明記されているのも事実である。それ
でも筆者は今度のZが、DNAの呪縛
をふりほどいて、自ら新しい光りを放
ったクルマだと強く確信している。そ
れは取材を通じて出会ったほとんどの
作り手が、ZのDNAよりも、もっと
ずっと強い個々のDNAを発散しまく
っている様を痛烈に感じたからなので
ある。もちろん誰ひとりとして、私の
DNA、などとは言わなかった。でも
だからこそ、それが本物のDNAなの
だと、本気で信じることが出来るのだ。
DNAは漂うオーラであり、個性その
ものであり、クリエイターにとっては
欠かせぬ潜在能力に他ならない。言葉
で念押しするようなことではない。

水野和敏主管が筆者にこう言った。

「オレはこのZに乗っているオレの姿
が大嫌いなんだ。もの凄くこっ恥ずか
しいよ」

そら来た、Zが本物の証拠。恥ずかし
くて当たり前である。真っ裸な自分の
生き写しの中に本人が座って人前に繰
り出して、恥ずかしくない訳ないじゃ
ないか!

ZのDNAという名の制約に、必要以
上に囚われ続けた長い第一幕はもう終
わった。エンジニアという名の、テス
トドライバーという名の、商品企画者
という名の、クルマづくりの職人たち
の感性の丈を盛り込んで、第二幕の舞
台中央に押し上げられたフェアレディ
Z。突き抜けた男たちの湧き出る個性
の塊がそこにある。

新しいシーンが始まるこの誕生日に、
皆で乾杯しようじゃないか。



※この本で取材をさせていただいた人々。

・チーフビークルエンジニア
 水野和敏氏
・Z33プロダクトチーフデザイナー
 青木 護氏
・開発テストドライバー
 柴 光明氏
・実験主任
 永井 暁氏
・東海大学工学部教授・元日産自動車
 林義正氏
・Z32プロダクトチーフデザイナー
 前澤義雄氏
・港自動車工房メカニック
 広瀬一利氏
・自動車評論家
 徳大寺有恒氏


山口宗久(YAMAGUCHI-MUNEHISA.COM)
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