コロンの食生活 | ヤマガラ家のシーズー日記

ヤマガラ家のシーズー日記

愛犬(シーズー)との散歩や日々の出来事

昨年の夏頃から野菜を食べるようになったコロンは
最近はさらに変なもの(わんことして)を食べるようになりました。
イメージ 1
私が野菜を切り始めると寄ってくるコロン
キュウリ、キャベツなんかは普通だと思います。
好きなもの
納豆(もちろん 醤油なんかは混ぜていません)
焼きのり(しょうゆが付いたものはあげません)
魚(アジとか)

私が納豆を食べようとすると寄ってくるので
最近は納豆に何も味をつけずに食べるようになりました・・・
バナナも食べます。
リンゴももちろん好き

のりを欲しがるワンコになったコロン・・・

くれくれタコラになってしまいました


両親のことを書いたのは、もちろん憎いからじゃないです。
少なからず思っているので
あまりにも理不尽なことをされると悲しくなるんです。

私は子供のころから自分はブサイクだと思っていました。
母から、なにかにつけて容姿を悪く言われていたからです。
何かにつけて「あんたは色が黒いから」とすっごく嫌な顔をするんです。
大人になったら止むかと思っていたら
少し前にも
「あんたが産まれたとき、こんな色の黒い赤ちゃん見たことない、と思った。」とすっごい嫌だという顔をしながら言うのでした。そんなことを聞かされて、悲しくならないと思わないのか、と思いました。何もコメントしませんでした。
また ある時
「あんたが赤ちゃんの頃、キャラメルを口に放り込むと、すぐ泣き止んだ」と言われました。赤ちゃんの頃、そんなものを食べさせていいものでしょうか?
私の晩御飯はときどきお饅頭でした。親族が多く、家にはかなりの割合で親戚が持ってきた饅頭類がありました。ごはんがない時、お饅頭を食べていました。

高三の頃、許されて画塾に通っていました。月~土毎日でした。
学校から帰ってすぐ画塾に出かけ、帰宅は9時近かったと思います。その時間に帰る私には食事は残されていませんでした。この頃から私の食事は一日二食が基本となりました。私は結局三浪の途中で美大に行くのをやめたので、それまで家に帰るのが遅かったからです。

結婚して実家へ行っても、食事がないことがよくありました、というか
昼前に実家について、母が何かを作ってくれていた、というのは数回しかありません。「母さん、もお昼だけど」というと、「何もないよ」と言うのです。
「菓子パンならあるよ」と言われたこともあります。アメリカへ行く直前 挨拶に行ったときがそうでした。「あんまり来なくていいよ」と言われたこともあります。母がこんなで、父は、というと畑に行ってて家にいないことがほとんどでした。私が行くことは知っていても、ご飯はないし、父は会いたくないのか いないのです。

アメリカから帰国最初のお正月、私は風邪をひいて実家へ行けませんでした。風邪が治った頃、両親が来てくれました。
翌年のお正月、弟家族と両親は、私が行く日に映画へ行くことにしていました。私がそのことを知ったのか12月30日か31日でした。弟たちとは昨年風邪で会っていないので実家へ行きました。10分くらい弟たちが家にいて
両親と出ていきました。私は弟たちより先に着いたので30分ほど実家にいました。
その翌年のお正月、弟夫婦は娘の受験勉強があるので、早く来て早く帰るということだったので、私もお昼前に行きました。しかし1時を過ぎても弟夫婦は来ませんでした。なんと勉強しているはずの娘と一緒に買い物をしているとのことでした。その後彼らは神社へ行って大混雑で動けないということでした。父がもうご飯を炊け、というようなことを言いましたが、母が弟に炊き立てのご飯を食べさせたい、と拒否したので、私はお刺身だけ頂いて帰りました。弟達が実家へ着いたのは夕方だったようです。私にはご飯を出したくない、と私は受取ました。

この後、私が手紙を書いたので、今年のお正月は私にもちゃんと食事がありました。あと、少し高いお店へ2回連れてってご馳走してもらいました。

これは食事に関するほんの一例です。
私は母になぐられたり、蹴られたり、縁側から蹴落とされたりしたことがあります。「おまえのせいで・・・」と言われたこともあるので、私は何をしたのか?と思ってしまうのです。忘れたいのですが、忘れることができません。母がしてくれた優しいこと・・・誕生日に作ってくれたごはんや、編んでくれたセーターなどの思い出もありますが、なんで私にだけ、と思う記憶が多すぎて、どうしたら自分の中を整理できるのか、と思っています。母に会うとき、できるだけ普通に接しています。でも、以前のような気持ちになれません。母のことしか書いていませんが、父に対してもいくつかあります。父は接している時間が少ないので、その分少ないのです。
私は以前のような気持ちで両親と会いたいのに、それができなくなったことが悲しいのです。「万引き家族」は幼児虐待のことも出てきて、再び自分の体験を思い出しました。すべてを本当の意味で許す、そんなふうに早くなりたいです。