私が生まれた家は
名古屋中心街にしてはそこそこ広く
同じ敷地内に3軒の家があり、
一番大きな母屋が私の家で
庭をはさんだお向かいが叔母(父の姉)の家でした
もう1軒は、かつての叔母たちの家で
同じ年頃の子供のいる家族に貸していました。
お向かいのいとこ達は
年が離れていて、一番上の従姉妹は
母とそんなに変わらない年ですが、
「ねえちゃん」と呼んでいました。
そんなわけで
叔母家族とは同じ家族のように暮らしていました。
叔母はずっと服飾関係の内職をしていて
家にいました。
いつ行ってもミシンの前に座っていて
私が行くと、ちょっと手を止めて
おしゃべりしたりしたものです。
まだ小さい頃は
祖父母も元気でしたので
私には
遊んでくれる祖父母と叔父、叔母、いとこ達と
あまり記憶にはありませんが
かわいがられて、幸せだったと思います。
母がずっと働いていたので
同じ敷地にいる叔母は母の代わりでもありました。
内職という仕事は
健康で、腕さえあれば続けることができます。
そんなこんなで
叔母は75歳くらいまでずっと仕事をしていました。
ずっと仕事をしていたので
土日の休みがあるわけでなく、
毎日、庭の花いじりをするくらいで
どこへもいかず、
時間があれば、仕事をしている日々でした。
どこへも出かけないので
外へ出る習慣がありません。
お友達とお茶を飲んだり、どころか
お友達に会いに行く、ということもしてこなかったと思います。
家から5分ほどのところに
父の次兄の家があります。
この叔母も服飾関係の仕事をしていました。
叔母との違いは
こちらの叔母は家ではなく、
職場で服などを縫っていました。
毎日朝夕のほかに
お昼休みにうちの前を通って昼ごはんに行っていました。
こちらの叔母はもう完全にボケてしまって
かつては、まだ徘徊する元気があったけれど
昨日の話では
もう、外へ出る元気もないらしい、とのことでした。
こちらの叔母も、ずーっとまじめに毎日仕事に通っていました。
65歳定年とか、そんなではなく、
ずーっと働いていました。
どちらの叔母もずっとまじめに働いてきて、
子供を育て、
家にいるから、孫の面倒も見て
子育てを2回したようなものだと思います。
今、実家の方の叔母は
「みんなに世話をかけて申し訳ない」と言って泣きます。
「この前転んだから、もう、恐くて外へ出られない」と言います。
私は、
「まだ、自分の洗濯できるんでしょ!」と励まします。
1日家にいるだけで
誰とも話さず、寝ているのかどうかもわからないような状況では
ボケる一方です。
ただ、まじめに生きてきただけなのに
最後はこうなのか、と悲しくなりました。
すぐ近所の叔母と同い年のおばさんは
若い頃から名古屋駅へ遊びに行っていたのか
今も、かなり頻繁に遊びに出るようです。
そのせいか
叔母よりずっと若くみえます。
そして、言葉もしっかりしています。
人生とは何だろう?と考えさせられます。