訪問して下さり

ありがとうございます


本日もどうぞ

宜しくお願いします





イエスは群衆を呼び寄せて言われた


「聞いて悟るがよい、口に入るものは人を汚すことはない、かえって口から出るものが人を汚すのである」


その時に弟子達が近寄って来てイエスに言った


「パリサイ人達が御言を聞いてつまずいたことをご存じですか」


イエスは答えて言われた


「わたしの天の父がお植えにならなかったものはみな抜き取られるであろう、彼らをそのままにしておけ、彼らは盲人を手引きする盲人である、もし盲人が盲人を手引きするならば二人とも穴に落ち込むであろう」


ペテロが答えて言った


「その譬を説明してください」


イエスは言われた


「あなた方も、まだわからないのか、口に入って来るものは、みな腹の中に入り、そして、外に出て行くことを知らないのか


しかし口から出て行くものは、心の中から出て来るのであってそれが人を汚すのである


というのは、悪い思い、すなわち殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、これらのものが人を汚すのである、しかし、洗わない手で食事することは、人を汚すのではない」







口に入るものは人を汚しません

むしろ口から出るものが

人を汚すのです



口から出て行くものは

心の中から出て来ます



それが言葉となって

自分で自分を汚すのです



心の悪い思いが汚れの元です



そのため心の建て替え

悔い改めが必要となります



パリサイ人は

人の言伝えによって

洗わない手で食事をすることは

汚れとしていますが

イエス様の教えとは異なります



イエス様は言われました



洗わない手で食事することは

人を汚すのではない

悪い思いから出て来る

言葉によって自身を汚す

と申されたのです



盲人が盲人を手引きするならば

二人とも穴に落ち込むのです



パリサイ人から聞いて学ぶなら

同じように穴に落ちる



その時になって人は

他人の責任にするのです



アダムはイヴから聞いたと言い

イヴはヘビから聞いた

と言うのです



自分の責任であることを

受け入れないのです



天の父がお植えになったのは

イエス様の御言葉です



そのイエス様の御言葉が

成就するのです



天の父がお植えに

ならなかったものは

みな抜き取られるので

彼らをそのままにしておけ

と申されました



そのままでは

正しい教えは

わからないままとなります



そして、そのまま最後の審判を

迎えることになるのです



正しい教えはイエス様からです



同じ穴に落ちないように

イエス様から聞くことです



誰から聞くことも

自己責任です



しかしイエス様から聞くことは

天の父がお植えになった

抜き取られないものを

頂くことになるのです



それ以外は抜き取られ

同じ穴に落ちるのです




イエス様の御国が来ますように


イエス様の御心のままに

なりますように


多くの人々に

祝福がありますように


本日は以上です

ありがとうございました