ご訪問頂きありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。弟子の手紙の反芻は、今日までです。弟子の手紙を読むと熱い信仰が伝播してきます。兄弟のブログや反芻を読むといつも熱い信仰が伝播してきます。いつもありがとうございます。

 

ヤコブの手紙 第5
この世で富んでいる人達よ、よく聞きなさい、あなた方は自分の身に降りかかろうとしている災いを思って泣き叫ぶがよい、あなた方の富は朽ち果てて着物はむしばまれて金銀は錆びてしまう、そしてその錆びの毒はあなた方の罪を責め、あなた方の肉を火のように食い尽くすであろう、あなた方は終りの時にいるというのに、なお宝を蓄えている、見よ、あなた方が労働者達に畑の刈入れをさせながら支払わずにいる賃銀が叫んでいる、そして刈入れをした人達の叫び声がすでに万軍の主の耳に達している、あなた方は地上で驕り暮し、快楽にふけり「ほふられる日」のために自分の心を肥やしている、そして義人を罪に定めて義人を殺した、しかも義人はあなた方に抵抗しない、だから信仰の兄弟達よ、主の来臨の時まで耐え忍びなさい、見よ、農夫は地の尊い実りを、前の雨と後の雨とがあるまで耐え忍んで待っている、あなた方も主の来臨が近づいているので耐え忍びなさい、心を強くしていなさい、兄弟達よ、裁きを受けるかも知れないから互いに不平を言い合ってはならない、見よ、裁き主がすでに戸口に立っておられる、兄弟達よ、苦しみを耐え忍ぶことについては主の御名によって語った預言者達を模範にするがよい、忍び抜いた人達は幸いであるとわたし達は思う、あなた方はヨブの忍耐のことを聞いている、また主がヨブになさったことの結末を見て、主がいかに慈愛とあわれみとに富んだ方であるかが分かるはずである、さて、わたしの兄弟達よ、何はともあれ誓いをしてはならない、天を指しても地を指しても、あるいはその他のどんな誓いによっても、一切誓ってはならない、むしろ「しかり」を「しかり」とし「否」を「否」としなさい、そうしないと、あなた方は裁きを受けることになる、あなた方の中に苦しんでいる者があるか、その人は祈るがよい、喜んでいる者があるか、その人は賛美するがよい、あなた方の中に病んでいる者があるか、その人は教会の長老達を招き、主の御名によってオリーブ油を注いで祈ってもらうがよい、信仰による祈りは病んでいる人を救い、そして主はその人を立ちあがらせて下さる、かつその人が罪を犯していたなら、それも許される、だから互いに罪を告白し合い、また癒されるようにお互いのために祈りなさい、義人の祈りは大いに力があり効果のあるものである、エリヤはわたし達と同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈りを捧げたところ、三年六か月の期間、地上に雨が降らなかった、それから再び祈ったところ天は雨を降らせ、地はその実を実らせた、わたしの兄弟達よ、あなた方の中で真理の道から踏み迷う者があり、そして誰かが彼を引き戻すなら、このように罪人を迷いの道から引き戻す人は、その魂を死から救い出し、かつ、多くの罪をおおうものであることを知るべきである
 

ヤコブの手紙 第5章の反芻

最後の審判の時が来ています。

悔改めるなら、今が最後のチャンスです。

この世で富む人は、よくイエス様の声を聞いてください。

自分のために肥やした富は、水の泡です。神様より自分を優先し「ほふられる日」のために自分の心を肥やし、貪っているのです。

心の貧しい人が幸いなのです。

イエス様を心に入れる余地がある人が幸いなのです。

自分のことでいっぱいでなく、イエス様を心にいっぱいに満たす人が幸いです。

イエス様を罪に定め、殺し、悔改めないでいる罪は、「ほふられる日」がくるまでに、お詫びしておくことです。

心が貪欲なら、イエス様をあわれむことも、できません。

だから、信仰の兄弟達、主の来臨の時まで耐え忍びましょう。

主の尊い実りは、後にも先にも悔い改めて耐え忍ぶ者をお待ちです。

はじめの罪、後の罪、すべての罪をお詫びして、イエス様に任せて最後の時を耐え忍んで待つことです。

善悪の知識を食べた人類の罪をお詫びして、待つことです。

裁きを受けないために、互いに不平を言い合わないこと。

主の御名によって語った預言者達やヨブの忍耐を模範にすること。

主がヨブになさった結末をみれば、主の慈愛とあわれみと富んだ方であることが分かるようになっています。

裁きを受けないために、一切誓わないこと。人は、誰も誓いを果たせないのです。それほどに、何もできないのです。だから、わたしたちが言えることは、イエス様の言う事に「その通りです。」もしくは「何もできません。」と降参することです。

苦しむ兄弟がいれば、兄弟は祈ることです。

喜んでいる者は、讃美すること。

病む人がいれば、イエス様の御名で誠の信仰、あわれみをもって祈ってもらうこと。

天の父祈りでは二心なので、誠の信仰とはいえません。

まことの信仰をしている兄弟の祈りは、イエス様の力が加わるので、絶大です。

祈りはイエス様に届き、病む人は救われ、その人を立ち上がらせてくださいます。

だから、互いに罪を告白し合い、また癒されるようにお互いのために祈ること。

預言者エリヤは、義人の祈りの模範です。

兄弟たちの悔改めの実を成らすのはイエス様です。だから、イエス様のお力を信じて祈ること。

誰かが真理の道から踏み迷う者があれば、その人を引き戻すなら、イエス様のお手伝いとなるのです。

だから、自分のことばかり思う心から悔い改めて、イエス様のために、兄弟のために、少しでも役に立つこと。

 

イエス様の助け手となって、イエス様の御言で人を助けること。

 

おわりの日には、助ける人が助かる仕組みです。