人民の生命を正しく育てる事が一番の喜びです、

人民と申すものは神の喜びの全き現われであるのです、

いくら汚れても元の神の根元神のキを受けているのです、

それを育てる事です、導く事です、

死のうとする人を助けるのもその一つです、

宿った子を殺す事は人民殺す事です、

今の人民の九分九厘は死んでいるのです、

救い救い救うのです

お陰は取り得なのです

【日月神示 春の巻】

 

先に夫が記事を上げていますので、そちらからよろしくお願いします。

 

 

 

愛する者達よ、あなた方を試みるために降りかかって来る火のような試錬を何か思いがけない事が起ったかのように驚きあやしむ事なく、むしろキリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜ぶが良い、それはキリストの栄光が現われる際に喜びに溢れるためである、キリストの名のためにそしられるならあなた方は幸いである、その時には栄光の霊、神の霊があなた方に宿るからである、あなた方の中で誰も、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは他人に干渉する者として苦しみに会う事のないようにしなさい

裁きが神の家から始められる時が来た、それがわたし達からまず始められるとしたら、神の福音に従わない人々の行く末はどんなであろうか、また義人でさえかろうじて救われるのだとすれば、不信なる者や神に背く者はどうなるであろうか、だから神の御旨に従って苦しみを受ける人々は善を行い、そして真実であられる創造者に自分の魂を委ねるがよい

 

 

ペテロの手紙第一 第4章②の反芻

 

試練は、突然あるのではなく、わたしたちが神の道から外れているから来るのです。

 

試練は、偶然ではないのです。

 

もし、思いがけない事のように思うなら、本当に鈍っているのです。

 

わたしたちの本当の居場所、求める場所は神の国であるのです。

 

そのために、しなければならないことは、神のみ心を行う事です。

 

まずは、何より、そこを目指すことです。

 

わたしたちは、汚れていても、イエス様のキを受けているのです。

 

それを育てる事です、導くことです。

 

人殺し、盗人、悪を行うこと、他人に干渉することは、神のみ心ではないのです。

 

人を救う側にならなければなりません。

 

今は、わたしたちは、イエス様から神の国のことを学んでいるところです。

 

ですが、自分中心になって、思いわずらいや、欲やこの世に囚われていたら、神のみ心が分からなくなり、神の道から外れてしまうことがあるのです。

 

神の道から外れたら、苦しくなるのです。

 

自分の思い通りにしようと思うから苦しくなります。

 

すべての権威はイエス様にありますので、神のお道通りならば、何でも楽に行けるようになっているのです。

 

そう思っても、なかなか神の道に修正できないので頑固なのです。

 

なかなか心を入れかえれないのでどんどん苦しくなるのです。

 

苦しい時は、イエス様にどうしたらいいか、尋ねることです。

 

イエス様は、愛する者を叱ったり、懲らしめたりなさるのです。

 

それが試練です。

 

わたしたちには、反省ができるように分別を与えられているのです。

 

ですから、熱心に悔い改めて、人を救う心に改めなければなりません。

 

イエス様は、必ず導いてくださいます。

 

苦しみが楽になったら、喜びです。

 

救われるかどうかは、すべての権威があるイエス様に委ねることです。

 

今は、試練を受けておくことです。

 

あなた様に平安がありますように。

 

イエス様の御国が来ますように。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。