前回の記事「宗教を廃絶して祭祀儀礼?」にてカルト弁護士教祖について書いた。

そこで以下に「聖武天皇の詔」の「下し読み」と現代語訳を載せた。

そのカルト弁護士教祖が言う「訳のわからぬパンチパーマをかけたような仏像」を作った方がどのような思いで作ったか、そして一千年の時を超えてそれを存続せしめた我々の祖先の「営み」に思いを馳せてみようではないか。


741年 
聖武天皇、諸国に国分・国分尼寺を建立。(国分寺・国分尼寺建立の詔)

743年 
聖武天皇、盧舎那大仏像の造顕を発願(盧舎那仏造顕の詔)

749年 
聖武天皇、光明皇后ら、菩薩戒を受け出家。娘の孝謙天皇に譲位。

法名は勝満。また後世「皇帝菩薩」とも称された(延暦僧録)。


・天平十五年十月十五日、聖武天皇により次のような盧舎那仏造顕の詔が発せられた。




◎盧舎那仏造顕の詔

(ちん)薄徳(はくとく)を以(もち)て、恭(うやうや)しく大位を承(う)く。

(こころざし)兼済(けんさい)に存して勤(つと)めて人物を撫(ぶ)す。

率土(そつと)の濱(ひん)、既に仁恕(じんじょ) に霑(うるお)うと雖(いえど)も、而(しか)も普天(ふてん)の下(もと)未だ法恩に洽(あまね)からず。

(まこと)に三寶(さんぽう)の威霊(いれい)に頼りて、乾坤(けんこん)相泰(あいやすら)かに、萬代(ばんだい)の福業(ふくごう)を修めて、動植(どうしょく)(ことごと)く 栄えんことを欲(ほっ)す。

(ここ)に天平十五年歳次(さいじ)癸未(みずのえひつじ)十月十五日を以て、菩薩の大願を發(おこ)して、 盧舎那佛金銅(るしゃなぶつこんどう)の像一躯(いっく)を造り奉(たてまつ)る。

國銅を盡(つく)して象(かた)を鎔(と)かし、大山を削りて以て堂を構え、 廣く法界に及(およぼ)して、朕が知識と為し、遂に同じく利益(りやく)を蒙(こうむ)りて、共に菩提を到さしめん。

夫れ天下の富(とみ)を有(たも)つ者は朕なり。

天下の勢(いきおい)を有つ者は朕なり。

此の富勢(ふぜい)を以て、此の尊像を造ること、事の成り易(やす)くして、心は至り難し。

但し恐らくは徒(いたずら)に人を労(つから)することありて、 能く聖を感(かまく)ること無く、或いは誹謗(ひぼう)を生(おこ)して、反(かえ)って罪辜(ざいこ)に堕せんことを。

是の故に、知識に預(あずか)かる者は、懇(ねんご)ろに至誠を發っして、各(おのおの)介福(おおいなるふく)を招き、 宜(よろ)しく日毎に盧舎那佛を三拝し、自(おのずか)ら當(まさ)に念を存し、各(おのおの)盧舎那佛を造るべし。

(も)し更(さら)に、人の、一枝(ひとえだ)の草(くさ)、一把(ひとにぎり)の土(ひじ)を持(もち)て、像を助け造らんことを 請願するものあらば、恣(ほしいまま)に之を聴(ゆる)せ。

国郡等の司(つかさ)、此の事に因(よ)って、 百姓(ひゃくせい)を侵(おか)し擾(みだ)して、強(し)いて収斂(しゅうれん)せしむること莫(なか)れ。

遐迩(かに) に布告して、朕が意(こころ)を知らしめよ。




◎現代語訳

「朕は徳の薄い身ながら即位して以来、慈しみの情をもって民を治め救済を心がけてきた。

しかしその心は国中に及ぶと雖も、仏法の恩徳については国中にゆきわたっているとは言えない。

そこで、仏法の威力を頼り、天も地もやすらかに、人のみならず動物も植物も悉く栄えるようにと望む。

ここに天平15年10月15日、菩薩行として金銅の盧舎那仏像を造立する誓願を立てた。

国中の銅を溶かして形となし、大山を削って堂を構え、この大仏造立を広く天下に呼び掛け、その趣旨に賛同する者をわが友となし、最後に皆ともに仏の利益を受け、迷いのない悟りの境地に到達できるようにさせたい。

そもそも天下の富と勢いを所持しているのは朕である。

この富と勢いとをもって盧舎那仏の仏像を造立することは簡単だが、それでは皆ともに救われるという願いはかなわない。

ただこの大仏造立を行うに当たって恐れるのは、民に苦労をかけるだけで、その聖なる心を分からせることがで出来ず、誹謗中傷の心を起こさせ、かえって罪に堕ちる者がでてくることである。

そこで、わが友として造像に参加する者は、誠心をもってこれに当たり、大いなる幸せを招き入れるよう、日に三回、心の中の盧舎那仏を拝み、自らすすんで納得し盧舎那仏の造像に当たるように。

もし一枝の草、一把の土という、僅かなものであっても、すすんで造像に参加しようとする者があればみな許そう。

国司、郡司の役人たちは、この大仏造立を理由として民の財産を侵し、租税を奪ったりしてはならない。

このことを国内すべてに布告して、朕の心を伝え知らせよ。」