正解のない授業 | やまびこDr.の診療日記

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ある小学校で全校児童に配られたプリントだそうです。

校長先生が書いた「子どもを甘やかすこと」というタイトルの文章です。

 

「欲しいものを全て買い与えることは、甘やかせ過ぎです。」

「食事を『こんなの食べたくない』と子供が言ったら、そう言うこと自体大間違いですし、「こんなの」とは何という言い草だと叱っていいでしょう。」

「子供に我慢をさせること、つらいことでもやり遂げさせることは、必要なことです」

 

又校長先生が過去に経験した実際のエピソードも記載されていました。

 

「林間学校のウォークラリーで、途中でソフトクリームを食べるポイントがあり、事前のアンケートで事情があり食べられない子にはジュースが代わりに用意されていました。

クラスのSが当日、ソフトクリームの気分じゃないという理由でジュースを飲んだことを保健の先生から後で聞いて怒りが湧き、終了後本人から事情を聞いたら「お腹が痛かったから」と言い訳をし、保健の先生が嘘をついてると言いました。

翌日Sの母親から『お腹が痛かったからジュースにしたのが悪いことなんですか!』と抗議の電話がきました。」(抜粋)

 

この学校の6年生は授業でこのプリントを読んだ後話し合いをして、「約束を守らなかったS君が悪い」という結論になったとのことでした。

 

この話を聞き、もっともなことを言ってる気はしましたが、それ以上に大きな違和感を感じました。

 

大人の言うことは絶対に守ること、という古い価値観の押し付けのような気がしたこと。

「大間違い」という言葉には、自分の意見は絶対正しい、という尊大さがみられること。

児童に配る文章なのに、「S」と呼び捨てで記載したことと「怒りが湧き」と感情を投げつける表現をしたこと。

S君を追い込んでしまったのは正義を振りかざした先生たちなのではないかと感じたこと。

そして「答えはこれです!これが正解です!」と伝えるような表現をしていること。

 

正しさは、人により、国により、時代により、その日の気分などによっても変わってきます。

 

麺類を食べる時に音を立てて啜るのは、日本では常識ですが欧米では非常識です。

地球が太陽の周りを回ってるかどうかも、時代により常識は変わりました。

部屋を綺麗にするのは常識的なことかもしれませんが、日によって掃除をしたい日としたくない日があってもおかしくありません。

 

同じものを見ても、どこから見るかにより見えるものが変わり、丸ごと把握できる人はいません。

でも自分の見えているものこそ正しいと思うので、お互い正しさの押し付け合いをして戦いが生まれます。

 

大人と子供の場合歴然とした力の差があるので、戦いではなく大人の正しさを子供がそのまま受け入れることになりがちです。

 

林間学校のエピソードでは、喉が渇いてソフトクリームを食べる気がしなかったので、詳しい事情もわからず、ついジュースを飲んだだけなのかもしれません。

そして先生におこられたのでつい嘘をついてしまい、後に引けなくなったのでお母さんが学校に電話をする事態になったのかもしれません。

 

子育てや教育も、正解はあるのかもしれませんが、だれもその正解を知りません。

時代や地域で違いますし、その都度その状況、その子の性格などによっても違っていいとも思います。

 

だから「正解はこれです!」と伝えていることに、僕は一番違和感を感じたのかもしれません。

 

この授業では、「こういう考え方もあるよね。でも違う考え方もあるよね。みんなどう思う?」と、全員にそれぞれ考えてもらい「みんなそれぞれ考え方って違うよね。でもそれでいいよね」と多様性を認め合い、正解がわからず全員がもやもやして終わる、というのがいいような気がします。^^