やまびこDr.の診療日記

やまびこDr.の診療日記

人生の大事業の子育ては、ほとんどぶっつけ本番! 分からない事だらけで心配がつきません。
でも正確な情報を知り納得できれば心配は減らす事が可能です。
薬よりもっと大切な事をお伝えする小児科医のブログです。

若い頃は、夢の中で「これは夢だ」と気づく夢をよく見ていました。

 

その場合、「夢なんだから普段できないことやってやるか」と思い空を飛んでいました。

 

「よし飛ぶぞ!」と決意すると自然と体が上昇し、慣れてくると自由自在に空を飛ぶことができるようになります。

 

風を切る感じ、スピード感、下に見える風景、全てがリアルで爽快で楽しく気持ちよく、素敵な時間です。

 

しかし「夢の中の夢」の状態が怖く感じる時もありました。

 

その時は早く目を覚ましすため、「目が覚めろ!」と願うのですが、ほとんどの場合「目が覚めた!」と感じます。

しかし実は目は覚めていなくて、別の夢に変わっただけ・・・

 

そこで又「目が覚めろ!」と願って又違う夢へ変わり・・・、ということを繰り返します。

 

夢から覚めたと思っても現実世界に戻っていないのに気づくと、焦りや恐怖を感じます。

しかもそれが繰り返されるので、その感覚はどんどん強くなっていきます。

 

でもどうであっても、そのうち本当に目は覚めます。

 

 

この世は仮想現実であり、「夢の世界」の方が現実であるという「仮説」は以前から存在します。

 

最先端の物理の世界では、「素粒子は物体であり物体でない」と言っていたり、「平行宇宙(パラレルワールド)はある」と言っていたりするぐらいですので、常識的に「あり得ないこと」も本当は「あり得ること」かもしれないのです。

 

ということは、自分が生きているこの「現実の世界」こそ、本当は「夢の世界」なのかもしれません。

 

そして絶対に正しいと思われている「科学」も、「現実の世界」でしか通用しない「特殊な物理法則」であり、「夢の世界」にこそ「普遍なる物理法則」が存在するのかもしれません。

 

極小の世界の「素粒子」や巨大な世界の「宇宙」の物理法則は、明らかに地球上の物理法則とは違うわけなので、「科学」に縛られすぎると「普遍なる法則」を見失うかもしれないのです。

 

さらに「目が覚めた!」と思っても別の夢の世界に来ただけであり、どれが本当の現実の世界なのかは実は誰にも分からないとも言えます。

 

でも、どの世界にいようとも、その時その瞬間に感じる「感覚」はその人にとっての真実です。

夢だと分かった時の「恐怖感」、空を飛んでいる時の「爽快感」、それはありありと感じるわけです。

 

だから、どの世界が「現実」かを知る事よりも、今いる世界で感じる「感覚」を今味わう事の方が、はるかに大事な事なのでしょうね。

 

ちなみに今自分が感じている感覚は、「重い」「硬い」「窮屈」「ねばっこい」・・・

一言で言うと「あー、地球めんどくせー」です。^^;

 

でもこの感覚を味わうために、今この地球にいるのかもしれないですね。

としたら、自分こそめんどくさいですね。^^;

 

「めんどくせー でもホントは 空とびたい!!!」(ともぞう心の俳句)

 

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8月3日(水)13:00-14:30  やまびこママの会(1,000円)

              子連れ可 診療所にて

 

本音で話ができる機会の少ないやまびこママたちの、本音で話ができる交流の場です。

横のつながりを持ってもらうだけでも、日々の子育て・生活がグッと楽になります。

お申し込みは、公式ライン・メッセンジャー・メール(yamabiko.dr@gmail.com)でお願いします。

 

11年前の日本を揺るがす大災害により、自分の基盤が一旦壊され、そこから一つずつ積み上げていき、今の自分の立ち位置が出来上がっていきました。

 

今回の流行病で同じ思いをされている方も、相当数いらっしゃると思います。

 

自分の信じて来たものを自分で否定することは、怖いことでありショックなことなので、するはずがありません。

でも逃れられない証拠を突きつけられると認めざるを得なくなります。

 

その証拠とは、データとか科学といった自分の「外」の情報ではなく、腑に落ちるとか納得するといった自分の「内」の情報です。

 

一流シェフの店だから絶対美味しいはず!と思って行ったお店で「あれ?」と思えば、その人にとってその店は美味しくない店、となります。

 

日本の名医100人に選ばれている医者だからいいはず!と思って行った病院で「あれ?」と思えば、その人にとってその病院(医師)は、よくない病院となります。

 

あくまで「外」の情報ではなく「内」の情報が勝るのです。

 

でも、自分は未熟で何かに依存しないと生きていけないと思っていると、「外」の情報のみで生きることになります。

でもそれは自分らしさから乖離していくので、生きるのが苦しくなります。

 

逆に考えると、生きるのが苦しいと言う人は、自分の「内」の情報ではなく「外」の情報で生きているのかもしれないのです。

 

人の体は完璧にできています。

その完璧な体は、自分が自分らしくいられるために、絶えずサインを出し続けてくれています。

 

エネルギー不足の時は「お腹すいた」、体温低下の時は「寒い」、心が冷たくなると「あの人に会いたい」、自分の使命を果たすために「あの大学で学びたい」、それ以外にも様々なサインを出して、サポートしてくれています。

 

そのサインを一言でいうと「感覚」です。

 

だから、その「感覚」どおりに生きていけば、間違いなくその人らしく生きていけて、楽しく過ごせるはずです。

 

「外」の情報に振り回されずに「内」の情報に素直に従っていく生き方は「自由」とも「わがまま」とも言いますが、それでいいと思います。

 

人はみんな不完全で何もできないのだから「自由」にしてはうまく行くはずがない、というしつけ教育で育って来ているので、「自由」に生きるのは怖いと感じます。

でも、そうすると楽に生きられるはずだし、そうしないと楽に生きられないのです。

 

分かっちゃいるけど、怖いからできない・・・ 

はい、僕もその一人です。^^;

理屈は分かってはいるけれど、まだ出来ていないんです。

 

「嫌だはNO! 怖いはGO」(椎原崇さんの言葉です)

 

だから、みなさん、僕と一緒にバンジーしませんか!?

 

男性しかいないレーシングスポーツの世界で、女性として初めて活躍された方のお話を、昨日動画サイトで見かけました。

 

車のレースは時速330kmの世界であり、カーブでは重力の5倍の5Gがかかる世界であり、わずか0.01秒の判断ミスで命がなくなる世界であり、心技体のどれも最高に磨き上げられた人たちの行うスポーツだそうです。

 

女性なので体力的に男性に劣ります。

なので毎日何十キロと走って泳いで、食事も睡眠も何もかもをこだわり最高に仕上げていったそうです。

 

その方がまだ初心者だった頃、当時世界トップレベルのレーサーとお話をする機会があったそうです。

 

そのトップレーサーに一流になるための秘訣を聞いたところ、「一つ課題をクリアーすると、もっと難しい課題がやってくる。それが嫌な事であっても一つ一つ取り組んでいくこと」と言われ、その通りにやって行ったら自分もトップレーサーの仲間入りができたとのこと。

 

それを動画で見た時の最初の感想。

 

「いや、無理」

 

嫌な事を次々やっていくなんて、とてもできないと思ったのです。

 

僕は今年に入って、嫌なことができなくなって来て、石垣から帰ってきたらそれに拍車がかかり、今までできていたことも本当にできなくなってしまいました。

 

だから「嫌なことに取り組むなんてこと、絶対無理」と感じたのです。

 

命懸けの世界での最高峰を目指す人は、それに見合った心技体で生まれて来て、それを開花させるため、どんな嫌な事でも克服していくブルドーザー的感覚を持っているはずです。

 

でも、不得意(欠点)を無くして高みを目指していくやり方は、ごくごく一部の世界最高峰を目指す人のための教育法だと思います。

 

僕を含め多くの人にとっては、不得意に取り組むことはとても苦しい事なので、だから不得意はそのままにして、自分の得意にだけ取り組んでいく方がいいと思います。

 

「自分の不得意は誰かの得意」

 

凹んだところは誰かに埋めてもらい、誰かの凹んだところは自分が埋めてあげて、お互いに補いながらみんなで完璧を目指せばいいと思います。

 

別の言い方をすれば、誰かの得意分野を自分が奪っちゃいけないんですよ。

その誰かがやった方が絶対うまくいくし、みんなが助かるわけだから。

 

 

「したくない事はしなくていい事」

 

 

世間から怒られそうですが、世界の最高峰を目指さないなら、これでいい気がしています。

 

子供の頃に読んだドラえもんの漫画の中にこんな話がありました。

 

のび太が150円持ってアイスを買いに行き、50円と100円のアイスを一個ずつ買って帰る途中ジャイアンに会い、ジャイアンが「50円のアイスを分けてくれ」と言い、のび太に50円を渡して50円のアイスを受け取ります。

 

のび太は50円のアイスを買うためもう一度店に戻ろうとすると、「やっぱり100円のアイスがいい」とジャイアンは50円のアイスを渡して100円のアイスを受け取り、その場で100円のアイスを食べ始めます。

 

のび太は「50円払ってよ」とジャイアンに言うと、ジャイアンはこのように答えます。

 

「さっき50円払ったよな」

「それで今50円のアイスを渡したような」

「足すと100円だよな」

「だから計算あってるよな」と・・・

 

そこでのび太は「なるほど!」と納得してしまいます。

 

そしてのび太はお店に戻って50円のアイスを買い、50円のアイス2個を持って家に帰ります。

 

家に帰り事情を話すと、ドラえもんは当然、「ジャイアンに騙されているよ」と言います。

 

しかしのび太は「ドラえもんの方が間違ってるんだよ」と、全く受け入れてくれません。

 

擦ったもんだの末最後は丸く収まるのですが、この話のキモは「人は自分の『信念』に沿った解釈しかしない」というところにあります。

 

その人の持っている信念が強固なものであればある程、どんな矛盾があろうとも、絶対に信念を曲げることはしません。

 

信念とは自分にとってのGPSのようなものです。

自分の軸でありよりどころであり、今の自分の立ち位置とこれからの方向性を示してくれる「指標」です。

それがあるから人生という大海原を安心して渡っていけるのです。

 

でもそのGPSが故障したら、突然人生の漂流者になってしまいます。

だから、自分のGPSが壊れているなんて思うはずがないのです。

 

人によりGPSのプログラムは違います。

そしてそのプログラムはしつけ教育という形で入力されていきます。

さらには、テレビや新聞といったマスコミからも日々入力され続けています。

それが絶対的正しさのプログラムならいいのですが、この世の絶対的正しさを知っている人は、多分一人もいません。

色々な見方考え方があって当然であり、「これだけが正解! 後は間違い!」と断言するのは気持ちの悪いことです。

 

自分のGPSは自分だけのものであり自分が信じていればそれでいいのですが、でもそのGPSは絶対正しいわけでもありません。

 

だから自分のGPSの正しさを人に認めさせようとか、誰かのGPSの間違いを正してあげようなんて考えなくていいんじゃないかと思います。

 

 

のび太のGPSは結構簡単に修正できてしまったようですね。

 

50円×2=150円 

 

純粋な心を持っているせいなのか、単純に計算できないからなのか?

どちらであっても、のび太らしく生きていければ、それでいいです。^^

 

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2022年7月30日(土) 10:00-14:00

 静岡市お話会&ランチ座談会 子連れ不可

2022年8月3日(水) 13:00-14:30

 やまびこママの会 1,000円 子連れ可

2022年8月7日(日)キヅキの講座(大阪)

2022年9月3日(土)キヅキの講座(交野)

2022年10月2日(日)キヅキの講座(京都)

2022年11月12日(土)キヅキの講座(横浜)

2022年11月4日(日)キヅキの講座(オンライン)

2023年2月4日(土)キヅキの講座(南アルプス)

2023年2月5日(日)キヅキの講座(御前崎)

※キヅキの講座は一旦受付終了。

 

意識が現実を作っている。

 

かなり使い古されたような言葉かもしれませんが、自分の過去を振り返ってみても、やはりそうだとしか思えません。

 

しかしその現実の中にいれば、その意識になってしまうのも事実。

 

つまり、意識が現実を作りその現実が意識を作り、という双方向なのではないか?と思うのです。

そしてそれは「悪循環」とも言えます。

 

しかしいつも「どうであれ大丈夫」という意識の人なら、「好循環」なのでしょうね、多分。

 

悪循環の世界にいる人でも、たまには良いことは起きます。

その時には「たまたま今良いことが起きただけで、どうせ又悪くなるに決まっている」という意識が働き、結局また悪循環に「自ら」陥っていきます。

 

好循環の世界にいる人でも、たまには悪いことは起きます。

その時には「たまたま今悪いことが起きただけで、どうせまた良くなるに決まっている」という意識が働き、結局また好循環に「自然に」組み込まれていきます。

 

悪循環の世界の人と好循環の世界の人の違いは、「どうせ自分には悪いことしか起きないはず」という「信念」を持っているか、「どうせ自分には良いことしか起きないはず」という「信念」を持っているかの違いであり、それは幼少期からの「しつけ教育」の賜物です。

 

さらには、その「しつけ教育」で作られた意識の大人たちが今の社会を作っているので、社会全体がその意識に覆われますし、その大人たちが子供たちに「しつけ教育」をするので、その意識が連綿と受け継がれていく訳です。

 

悪循環の世界の人の意識の根底にあるのは「自分は未熟で不完全で『欠けた』人間なので、『優れた人』の言う通りにしないといけない」という意識であり、好循環の世界の人の意識の根底にあるのは「自分は完全な『満たされた』人間なので、自分のいう通りにしていればいい」という意識です。

 

悪循環の世界の人は、その「欠けた」部分を埋めるため、何かを自分に補充しようとします。

肩書きだったり資格だったり学びだったり誰かからの賞賛だったり・・・

 

でも本当の意味で満足することはありません。それらは全て「自分以外のもの」だからです。

 

欠けている(と思っている)のは自分の一部なので、「自分のもの」で満たすしかないのです。

 

ではどうやったら「欠けた」部分を補充できるのかというと・・・補充できません!

無理です。

あきらめましょう。ははっ

 

ジグソーパズルは出っ張ってるところと欠けているところがあるからパズルなのです。

全員が出っ張ってれば、パズルになりません。

 

つまり、欠けていていいのです。

欠けていて完全なのです。

 

それどころか、欠けていると思っているのは誰かに勝手に決めつけられただけで、そもそも欠けていないかもしれず、だから何かで補充する必要もないのです。

 

それに気付いている人が、「自分は完全である」「完全なので良いことしか起きないはず」、そして何か起きても「どうせ良くなるに決まっている」と思えるのでしょう。

 

幼少期より「不完全だ」「欠けている」と言われて育ち、今でもその悪循環から逃れられない者だからこそ、相談に来てくれる方には心から「大丈夫」と言えるのです。

 

もし好循環でしか生きていなければ、悪循環から逃れられない人の気持ちが分からなかったかもしれません。

 

ということは、悪循環から逃れられなくても、それで完全ともいえるのかな?

でも、逃れたいなあ・・・^^;

 

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2022年8月3日(水)13:00〜14:30

     やまびこママの会 子連れOK