こんにちは
私たちは この 現代社会において・・・
あたりまえのように ”幸福 に なりたい” と 日夜 願ってきました。
そして この社会における その ”具体的な形式” というのが・・・
”結婚” という 形式であると 考える人が 多いわけです。
そして さらに その ”形式” というのは・・・
社会における ”信用度” を 示すものであるとも 考えられています。
つまり 私たちが 大人になり ”社会人” に なって・・・
この社会で ”信用される” ためには・・・
”結婚する” ことも ”必須条件” であると 考えてきたわけです。
それゆえに 私たちが ”結婚する” ことには・・・
まったく 何も ”疑う余地” は ないのであり・・・
むしろ ”推奨されること” であると 考えられてきました。
私自身も 当初は その考え方に 同調していたのであり・・・
いつかは ”結婚する” ことになると 考えてきました。
しかし 私が 原始仏教である ”ブッダの教え” を 学んでからは・・・
それは ”大きな誤り” であったと 気づかされたのです。
今回の記事では この内容について 考えます。
私たちが ”結婚生活” に 期待するものは 何か?
それは おそらく ほとんどの人が ”快楽の追求” であると 考えるでしょう。
そこでは ”人間の欲望” の ”無制限の拡大” が 目指されます。
人間としての ”基本的な欲望” である ”食欲” から 始まり・・・
”性欲” そして ”睡眠欲” を ”理想形” にしようと 努めるわけです。
そのためには ”安定した住居” も 必要になるわけです。
それを 実現するためには ”安定した経済力” が 不可欠になり・・・
それが 実現できる ”理想の結婚相手” を 探すわけです。
そして そんな相手が ”幸運” にも 見つかれば・・・
ためらいなく ”結婚” に 踏み切るのであり・・・
その後は 思いのままに ”欲望の開放” が 行われて・・・
”無制限” に ”何でもあり” という 結婚生活が 続くことになります。
そんな中で やがては ”子供” が 産み出される こともあり・・・
自分自身の ”分身の誕生” に 喜ぶことにもなり・・・
それは 二人の間の ”愛の結晶” などとも 考えます。
そこで 人間は さらなる ”幸福感” を 覚えることになります。
それこそが 人間としての ”最高の幸福” であるとも 感じることになり・・・
”自分の選択” は 誤りではなかった とも 実感することに なるわけです。
しかし 皆様も すでに ご存じのように・・・
二人の間に いくら ”子供” が 存在していても・・・
”時間の経過” とともに ”二人の愛情” は ”うすれゆく” ことにもなります。
それは 人間同士が ”欲望の拡大” を 目指しているからであり・・・
やがて ”欲望の拡大” に ”限界点” が やってくるからです。
そして 結婚時には どれだけ 強く ”愛し合っていた” としても・・・
二人の間には やがて ”飽きてしまう” という 感情も 発生します。
そして そこから ”別の相手” に ”欲望の実現” を 求めるのであり・・・
いわゆる ”不倫関係” というものも 発生することになります。
そして その後 あっけなく ”離婚する” という ケースも 珍しくありません。
当初は ”快楽の追求” を 目的として 始まった 結婚生活が・・・
やがては ”離婚” という ”大きな苦しみ” が 直面してきます。
つまり 自分自身が ”快楽の拡大” を 目指していたのに・・・
結果的に ”苦しむための結婚” という 皮肉な結果が 待っていたのです。
それが ”結婚” に 隠れている ”落とし穴” なのです。
その ”根本的な原因” というのは・・・
”欲望の追求” である ”快楽の追求” というものを・・・
二人の人間が ”結婚の目的” として 考えていたからです。
このブログでも 特集している 原始仏教としての ”ブッダの教え” から 考えると・・・
私たちは ”苦しみの原因” を ”増幅する” ために・・・
毎日を ”無駄な努力” に 費やしていると 考えられるのです。
そして さらに 深刻なのが ”子供の問題” です。
両親が ”離婚” すれば その子供は 少なからず ”トラウマ” を 抱えます。
そして その後の 人生にも ”暗い影” を 及ぼすことが 多くなります。
つまり ”欲にまみれた両親” の ”身勝手な離婚” によって・・・
自分の子供を ”激しく 苦しめる” ことが 確実に 起こるのであり・・・
”子供に対する重罪” を 確実に 背負うことに なるわけです。
そして 私たちが 忘れては ならないのが・・・
このブログでも 特集している ”ブッダの教え” です。
前回の記事でも ご紹介したように ”人間としての一生” とは・・・
”一切皆苦(いっさいかいく)” という ”すべてが苦しみ”・・・ということです。
つまり この世に ”子供を残す” という 行為は・・・
それ自体で ”大きな罪” であると 考えられるわけです。
私たちは これまで この社会で ”結婚する” ということ・・・
さらには 自分たちの ”子供を残す” ということについて・・・
ほとんどの人が 何も ”疑問に思わず” に・・・
むしろ それこそが 人間の一生としての ”正しい選択” であると 考えてきました。
しかし 原始仏教である ”ブッダの教え” を 学ぶことによって・・・
それは 間違いなく ”大きな誤り” であることに 気づくのです。
ですが 私たちが この世界に 子供を 残さなければ・・・
やがて ”人類は滅亡する” と 考えることによって・・・
”子供を残す” ことを ”正当化” することも 多いわけです。
しかし 私が ”原始仏教” などを 深く 学ぶことによって・・・
そのような 心配は ”無用である” ことも 知ることになりました。
それは 過去記事でも ご紹介しましたが・・・
この ”人間世界” は この 宇宙の中で・・・
ある意味 ”永久に存在する” ことに なるからです。(※)
私たちは この世界に ”人間” として 生まれてきて・・・
他のだれかを ”好きになる” そして ”愛する” という ことは・・・
人間として ”素晴らしいことである” とも 考えてきました。
さらには 自分たちの ”子供を残す” ことも。・・・
しかし そこで ”人間の欲望” や ”人間の快楽” を 中心にすれば・・・
私たちは ”自分自身” だけでなく ”周囲の人間” たちも・・・
”激しく苦しめる” という ”重罪” も 背負うことに なるのです。
前回の記事でも 書きましたが 仏教や キリスト教の 僧侶たちが・・・
なぜ 日頃から ”欲深い生活” から ”離れて”・・・
日々 ”清貧(せいひん)” という つつましやかな 生き方を 選んでいるのか?・・・
さらには 一生涯 ”結婚しない” で ”独身” を 貫き・・・
”子供” も 残さないことを 決意しているのか?
それは 自分自身に起こる ”未来の現実” を ”見切っている” からです。
つまり 自分自身が その後 ”苦しまないため” の ”予防” を しているのです。
私たちは そのような 生き方を ”見習うべき” であるとも 思われます。
私たちが 誰かを ”愛する” ということは・・・
この世界で ”崇高なこと” であるとも 思われます。
しかし そこで ”人間の欲望” や ”人間の快楽” が 介在する場合・・・
それは ”苦しみの原因” を ”まき散らす” という 行為になるのです。
それは ”愛” という ”正義” を 騙(かた)っている・・・
人間としての ”最悪の行為” に なることが あるのです。
私たちが この世界での ”愛” について 考えるとき・・・
それは ”人間の欲望” という ”低次元” な レベルで とどまるのではなく・・・
その相手の ”現世” だけでなく ”死後の来世” を 含めた・・・
”高次元” の レベルまで ”昇華(しょうか)” することが 必要です。
それが 仏教の開祖であった ”ブッダ” だけでなく・・・
”イエス・キリスト” や 世界の 主要な宗教家たちが ”共通” して 説いていた・・・
この世界の ”重要な真理” であると 考えられるからです。
ブッダは 生前 実際に ”結婚” をして ”子供” も 設けました。
しかし 修行生活に入って 妻子とも 離別しました。
その行為は 結果的に 人類に対して この世界の ”真理” を 説くために・・・
必要不可欠な ”大きな犠牲を払う” という 極めて 有意義な 決断でした。
しかし 実際には ブッダ自身 ”大きな後悔” を 感じていたと 思われます。
皆様の中には すでに ご結婚されている方も いらっしゃるでしょう。
しかし 現在の ”結婚生活” を・・・
”すぐに破棄する” という 必要は ありません。
ここで 重要なのは 私たちが 今後の 人生において・・・
”ブッダの教え” に 沿い続ける 生き方を 選んで・・・
それを ただ ”実践する” ことが 重要である ということです。
”結婚生活する” ということは・・・
”苦しみの原因” が ”より多く存在する” ことは 確実ですが・・・
その中でも ”ブッダの教え” に 沿った 生き方を ”実践” することで・・・
”苦しみ” を ”最小限” に とどめることが 可能になるのです。
そのことを ご自身の 配偶者や 子供たちに ”正確に伝える” ことによって・・・
これまでの ”ご自身の罪” も ”ゆるされる” ことも 可能になるのです。
それが 本当の意味での ”宗教による救い” であると 考えられるのです。
皆様も これまでの ”結婚” についての お考えを 振り返られて・・・
ご自身と 周囲の人々を ”本当の幸福” に 導くために・・・
今後の人生で ”最善の努力” を されてみては いかがでしょうか?
(※) 以下は 記事の内容を 補足する 過去記事ですので どうぞ お読み下さい
”ブッダの教え 犀の角(サイのつの)の意味” 記事は こちらから お読み下さい
”宗教が 愛を 奨励した理由” 記事は こちらから お読み下さい
”人類滅亡は 不可能である” 記事は こちらから お読み下さい
”本物の愛 とは” 記事は こちらから お読み下さい
”愛 とは 平等 である” 記事は こちらから お読み下さい
(次回の更新は 7月1日を 予定しております。)