こんにちは
私たち 日本人のほとんどは これまでも 当たり前のように・・・
”平和” が 重要であると 教えられてきました。
その理由は 日本が わずか ”70年前” に・・・
現実に 日本社会は ”戦乱の時代” を 経験したからであり・・・・
国民の多くが ”地獄の光景” を 実際に 目にしていたからです。
そして その ”不幸な時代” を ”繰り返さない” ために・・・
日本の 最高法規である ”日本国憲法” においても・・・
”戦争放棄” という ”重要な条文” が 記されたのです。
それは 実際に ”戦争を経験した人間” が 心の底から 望んだものであり・・・
それは 永遠に ”守られるべきもの” とも 決意されるものです。
しかし 現在の 日本人の多くは ”戦後の生まれ” であり・・・
戦争を 実際に 経験していません。
それゆえに 現在の ”平和な社会” は ”あたりまえ” であり・・・
”平和の意味” を ”はき違えている” 人々も 多いわけです。
では ”平和” の ”本当の意味” とは 何なのか?
今回の記事では そのことについて 考えてみます。
現代の 私たちが この ”平和な社会” で 望むことは 何か?
それは 自分自身の ”欲望の追求” が "生きる目的" に なっており・・・
”欲望” の ”最大限の実現” のために 生きている人が ほとんどです。
それは 自分の ”親たち” が そのように 生きてきたからであり・・・
”その子供” は それが ”普通” であると 教えられてきたからです。
つまり 人間社会の ”平和” というのは・・・
自分自身の ”欲望” を ”最大限に実現する” ために あるのであり・・・
”平和を守る” ことは それを ”目的” に 行うものと 考えています。
これは 現在の 日本人だけでなく 人類の 歴史全体を 通して・・・
人間は ずっと そのように 考えてきたと 思われます。
その結果 人類は どうなったのか?
それは 自分たちの ”欲望の追求” こそが ”正義” であると 考えて・・・(※)
そのためには ”手段を選ばない” ことも ”正当化” してしまい・・・
現在の ”平和な社会” を ”ないがしろ” に してまでも・・・
”他国の利益” を ”奪い取る” ことも ”正当化” してしまったのです。
そこには ”平和の意味” を 完全に ”忘れ去った人間” が・・・
国家の ”主導者” として ”君臨” したのであり・・・
そこで 国民は ”主導者” に ”支配” され さらには ”洗脳” も されて・・・
国家の ”主導者” や それを 取り巻く ”権力者” たちの・・・
”欲望の追求” のために ”まんまと 利用された”・・・ という 顛末でした。
その結果 人類は 何度も ”戦乱の世界” に 叩き込まれて・・・
人類は 何度も ”人間世界の地獄” を 目の当たりに したのです。
先月の このブログでは 天皇陛下による ”平和への祈り” を 考えました。
それは 現在の ”上皇陛下” が 実際に ”太平洋戦争” を 経験されたのであり・・・
その ”厳しすぎる経験” を 二度と ”繰り返すまい” と 決意されて・・・
”国民の代表” として 日々 ”日本の平和” を 祈られてきたのです。
そして 日本社会は 当たり前にように ”平和な社会” が 実現されてきました。
しかし 最近の アメリカの主導者や 北朝鮮の主導者たちを 見れば・・・
ことあるごとに ”戦争だ!” などと 繰り返し 発言してきました。
そして 実際に 日本社会も ”核戦争の危機” に 直面したわけです。
そんな中で 私たち 日本人も そんな状況に 対応するためには・・・
”軍事力の増強” という 政府の方針にも 同調する人々も 多かったわけです。
この事実が 何を 意味するのか?
それは 私たち 日本人も ”平和の意味” そのものを・・・
全く ”理解できていない” ことを 物語るのです。
では ”平和” の ”本当の意味” とは 何なのでしょうか?
それは 私たちの ”人生の意味” を 考えるところから 始まります。
つまり ”人生の目的” を ”間違える” ことになれば・・・
私たちは この先 確実に ”戦乱の世界” を 再び 出現させる ことになり・・・
その結果 私たちは ”地獄世界” を 経験することに なってしまうのです。
では そもそもの ”平和の意味” とは 何なのか?
それは 自分自身の ”目的の実現” を ”スムーズに行う” ためです。
その逆に 私たちが ”戦乱の世界” で 生きることになれば どうなるのか?
それは ”目的の実現” が 周囲の人間から ”妨害される” ことになります。
”妨害” とは 自分自身の ”欲望の実現” が ”阻害される” ことを 意味します。
その結果 そこでは それぞれの 人間同士の ”欲望の衝突” が 起こり・・・
それぞれが ”妨害するもの” として 対峙することになり・・・
そこでは ”敵意” や ”憎悪” の 感情が 高まることになり・・・
最終的には 人間同士の ”殺し合い” も 起こるわけです。
それが ”戦争” が 起こる 基本的な メカニズムです。
では 人間同士が どうしたら ”平和” に なれるのか?
それが 原始仏教としての ”ブッダの教え” によって 理解されてきます。
それは 人間同士の ”欲望の衝突” を ”起こさなければいい” のです。
つまり 私たちは どうすれば いいのか?
それは 自分の ”欲望” を ”消し去る修行” が 必要なのです。
人間同士の ”争い” というものは・・・
どちらかの ”欲望の対象物” の ”奪い合い” が 基本です。
自分が ”欲しいもの” を ”他人が所有” していたり・・・
さらには ”欲しいもの” を ”他人が邪魔” を することがあれば・・・
そこから ”他人を排除したい” という ”欲望” も 発生します。
それで 最終的に ”殺し合い” が 行われるわけです。
しかし もし 自分自身に ”欲望の対象物” が まったく なければ・・・
さらには ”欲望そのもの” が まったく なければ・・・
”他人との争い” が ”完全に起こらない” ことに なるわけです。
仏教の開祖であった ブッダが なぜ その教えの中で・・・
人間としての あらゆる ”欲望” を ”捨てよ” と 説いていたのか?
さらには すべての ”所有物” を ”捨てよ” と 説いていたのか?・・・
それは 人間世界での すべての ”争いごと” の・・・
その ”根本的な原因” を ”完全になくすため” であり・・・
その結果 自分自身と 自分の周囲を・・・・
”完全なる平和な世界” に するための 教えだったのです。
これこそが 本来の仏教の 核心的な 教義だったのです。
私たち 日本人は このままだと・・・
今後も どれだけ ”日本社会の平和” を 望んでも・・・
やがては 再び ”戦争の危機” に 直面することに なるでしょう。
それが ”欲望を追求する人間” としての ”宿命” なのであり・・・
私たちは そのことを 今後もずっと 覚悟する 必要があるのです。
しかし 私たちが その ”宿命” から・・・
今後の人生で ”本気で 逃れたい” と 思うのならば・・・
私たちは ”人間の欲望” を 当たり前だと 考えるのではなく・・・
さまざまな ”欲望” から ”離脱する” ことを 目指すことが 必要なのです。
それを 私たちの ”人生の目的” に できれば・・・
私たちは ”戦争の危機” からも ”完全に開放される” ことが 実現されるのです。
現在の ”日本の平和” というものも・・・
まさに ”風前の灯火(ともしび)” とも 考えられるものです。
その理由は この日本社会が ”欲望の追求” を 主眼に しているからであり・・・
私たちは 自分自身の ”欲望の追求” のためには・・・
場合によっては ”手段を選ばない” ことも 考えているからです。
皆様にも もし そのような 考え方が わずかでも ある場合には・・・
それは 自らを ”戦乱の地獄” に 導くという・・・
極めて ”危険な欲望” が 存在していることを 自覚すべきのようです。
そして これを機会に その ”危険な欲望” を・・・
この人生で ”完全に排除する” と 決意すべきのようです。
それが ブッダが 説いていた ”正しい人生の目的” と 考えられるのです。
私たちは 今後もずっと ”人間” で ありつづければ・・・
どれだけ ”平和” を 願ったとしても・・・
それは 確実に 実現されることは ありません。
そして それは 自分自身の ”死後の来世” においても・・・
”人間” として 生まれれば ”同じこと” が 続くわけです。
私たちが もし その状況から ”脱出したい” と 願うのであれば・・・
私たちは この ”宇宙” の 中で・・・
現在の ”人間のレベル” で 決して 満足せずに・・・
”人間の欲望” を あらゆる意味で ”超越する” 必要があります。
それこそが 私たちの ”本当の意味” としての・・・
”人生の目的” として 設定すべきである と 考えられるのです。
私たちは 現在の ”平和の意味” を 十分に 理解することで・・・
自分自身の ”欲望の意味” も 十分に 理解しておきたいですね。
そして 自分自身と 周囲の人々を ”地獄世界” へ 導かないように・・・
今後も 自分自身で ”何もしない” で・・・
やがて ”取り返しのつかない大失敗” を する前に・・・
今のうちに 考えられる 最大限の ”正しい努力” を したいですね。
(※) ”平和” についての 過去記事である・・・・
”平和 の 守り方” の 記事は こちらから お読み下さい
また 現代の日本社会の 基本思想としても 考えられる・・・
”ベンサムの功利主義” の 記事は こちらから お読み下さい
そして ”正義” について 考えました・・・
”正義 とは 真理 ではない” の 記事は こちらから お読み下さい