~原始仏典スッタニパータ 第3章 第6節 サビヤより~(内容要約)


ある時 ブッダは 王舎城の 竹園林にある 栗鼠(りす)飼養という所に 滞在していた。

 

その時 バラモン教での 遍歴の行者であった ”長老サビヤ” は 神と 対話ができて・・・

 

神から ”あなたが 質問したことに 明確に答えられる 人がいれば・・・

 

その人のもとで 清らかな行いを 修めなさい” と 言われた。

 

 

 

そこで サビヤは 当時の バラモン教の 年老いた ”6人の師” を 訪れて・・・

 

次々と 質問してみたが かれらは皆 満足に 答えられないばかりか・・・

 

サビヤに対して 怒りや 嫌悪感や 憂い(苦渋)を浮かべて 逆に 反問(攻撃)した。

 

(つまり かれらは 自分の ”無知・無能” を ”ごまかす行為” を したわけです)

 

 

 

かれらは 教祖の地位にいて 崇められて 多くの宗徒を 率いていたが・・・

 

サビヤの質問にすら 満足に答えられない 現実を知って サビヤは 失望した。

 

サビヤは (バラモン教にも 失望して) ここで 修行を やめてしまおうとも 思ったが・・・

 

ふと 近くに 滞在していた ”若い ゴータマ・ブッダ” のことを 思い出して・・・

 

ブッダに 同じ質問を してみようと 思ったのであった。

 

そして サビヤは ブッダのもとに 赴いて 挨拶をかわし 質問をはじめると・・・

 

ブッダは 快く 応じて すべての質問を 適切に 明確に 答えることを 了承した。

 

 

 

 

(サビヤが 質問した)

 

513 ”修行僧” とは 何ものを 得た人のことを 云うのですか?

 

    何によって ”温和な人” と なるのですか?

 

    どのようにしたら ”自己を制した人” と 呼ばれるのですか?

 

    どうして ”目覚めた人(ブッダ)” と 呼ばれるのですか?

 

    先生! 私に 説明してください。

 

 

 

(ブッダが 答えた)

 

514 サビヤよ 自ら 道を修して ”完全な安らぎ” に 達して
  
    ”疑い” を 超え ”生存と衰滅” を 捨て

    ”清らかな行い” に 安立して

    ”迷いの世の再生” を 滅ぼし尽くした人  

    かれが ”修行僧” である。



515 あらゆることがらに関して ”平静” であり こころを 落ち着け 

 

    全世界のうちで 何物も 害う(そこなう) ことなく

    ”流れ(世間の激流)” を わたり (こころに) 濁りなく 

    ”情欲(欲望)” の 高まりが 増すことのない 道のひと

    かれは ”温和なひと” である。



516 全世界のうちで 内面的にも 外面的にも ”諸々の感官” を 修養し

    ”この世 と かの世” を ”厭い(いとい)離れ” 身を修めて

    ”死ぬときの到来” を 願っている人。(※)

    かれは ”自己を制したひと” である。



517 あらゆる ”宇宙時期” と ”輪廻(りんね)” と

    生まれる者の ”生と死” とを 思惟弁別して 
 
    ”塵(ちり)を 離れ” ”汚れなく” ”清らか” で

    ”生を滅ぼし尽くす” に 至った人

    かれを ”目覚めた人(ブッダ)” という。


 

 

こんにちは わんわん



私たち 人間は この人生で なぜ さまざまなことで ”苦しむ” のか?

そのことを 仏教の開祖であった ”ゴータマ・ブッダ” は どのように考えるか?

それは 私たちが ”人間” であることが・・・

その ”最大の原因” であると 説いていたのです。ひらめき電球




つまり 私たちが 今後もずっと・・・

”人間” として 生きることで やがて ”死” を 迎えますが・・・

その後も ”人間” として ”生まれ変わる” ことになれば・・・

現在 私たちが ”悩み・苦しむ” こと すべてが・・・

”永遠” に ”繰り返される” ことになるのです。

”それでも いいのか?”・・・ということが 私たちに 問われています。得意げ


 
原始仏典スッタニパータ 第3章 第6節 においても・・・

ブッダが 私たちに 人生で ”何が 重要であるか?” を 説いています。

”サビヤ” とは ブッダの 弟子の名前であり・・・ 

ここでは ブッダが 彼の質問に 答えている場面です。

この部分では ブッダが 人間としての ”到達すべき状態” を 示しています。星

 

 

 

この 第6節の内容も とても 長いものですので・・・

 

今回から 数回にわたって 重要な部分を それぞれ 考えて参ります。

 

皆様も 原典である ”ブッダのことば スッタニパータ” (岩波書店版) とともに 

 

この記事の内容を お読み下さい。本




では No.514からの内容を 考えてゆきますと・・・

まず ”完全な安らぎ(ニルヴァーナ)” が 示され・・・

そこでは その人は この世界の ”真理” を 知っているがゆえに・・・

何も ”疑う” ということが なくなります。

そして 人間としての すべての行いも ”清らか” に なります。

そこには 人間としての ”欲望” からも ”解放” されており・・・

それによって あれこれ ”悩み・苦しむ” ことも なくなるわけです。ニコニコ




人間としての ”欲望” を ”制する” ということは・・・

人間としての ”感覚器官(目・耳・鼻・口・皮膚など)” を・・・

自分自身で ”コントロールできる” ことを 意味します。クローバー




その結果 その人は ”欲望” を ”暴走させる”  こともなく・・・

それゆえに ”余計な問題” も 発生させることが なくなるわけです。

その結果 ”余計な苦しみ” も 受けなくて 済むわけです。

そして その人は ”温和な状態” が 続くのです。

それが 人間としても ”幸福な状態” であると 考えられます。ドキドキ




しかし その ”幸福な状態” というのも・・・

やがて ”終わる” ことが この世界の ”現実” です。

それを ブッダは ”諸行無常(しょぎょうむじょう)” という言葉で 示しました。

そのことを この世の ”真理” を 知っている人は 理解できます。

そして ”その原因” は 自分自身が ”人間だから” ということも 理解するのです。ひらめき電球




それで ”この世(現世・今世)” そして ”かの世(死後の来世)” についても・・・

その人は ”イヤだと思う” そこから ”離れたい” と 考えるようになります。

そして 多くの人間が 普通に ”イヤだと思う” ような・・・

”自分自身の死” すらも ”願う” ように なります。(No.516)

 

(※ しかし ”自殺” を 望むことは ありません)

”この境地” に なることが ”自分を制する” ということなのです。星




そして 重要なのが 最後の No.517にある 詩経です。

それが ”宇宙時期” という言葉で 示されています。目




私たちは この ”地球” に 生まれました。

そして そこに生きている さまざまな ”生物” として 生まれてきました。

しかし ”生物” というものは・・・

この世界で ”生まれ変わる” ことが ”宿命” と されています。

つまり 私たち ”生物” とは たとえ ”死” を 迎えても・・・

やがて ”生物” に ”生まれ変わる” ことになるのです。

これが ”輪廻(りんね)” といわれる 現象です。リサイクル




つまり ”生と死” の ”繰り返し” が・・・

”生物” としての ”宿命” であり・・・

そこで ”生物の苦しみ” を 経験しなければ なりません。

それが ”生・老・病・死” という いわゆる ”四苦(しく)” です。

この世界では それで 多くの人間が ”苦しみの日々” を 送っています。しょぼん



 
もし 私たちが ”苦しみ” から 根本的に ”解放されたい” ならば・・・

詩経のように ”生を 滅ぼし尽くす” ことが 必要です。

そのためには ”生物” に ”生まれ変わらない” ことが 必要なのです。

それが ”輪廻(りんね)” からの ”脱出” を 意味します。

その結果 その人は さまざまな ”苦しみ” からも ”脱出” できるわけです。ドア



 
そのことを 私たちが 理解するためには 自分自身が・・・

この ”宇宙” での ”立ち位置” ということを・・・

冷静に ”自覚する” ことが 重要なのです。

それは 自分自身が この ”宇宙” で・・・

”どこの段階” に いるのか? ということを 理解する必要があります。 

これが ブッダが説く ”宇宙時期” の 意味であると 考えられます。目




私たち ”人間” というのは・・・

いつも ”目先のこと” ばかりを 気にして 生きています。

つまり ”目先の快楽” を 実現することが ”生きる目的” になり・・・ラブラブ

その結果 さまざまな ”苦しみ” を 経験することになっています。

それが いわゆる ”正負の法則” によっても 理解できます。(※1)しょぼん




それは 自分自身が ”人間” という ”苦しみの塊(かたまり)” であることを・・・

 

”自覚できない” という ”無知な状態” であることで 発生しています。

その状態は まさに ”井の中の蛙(かわず)” であり・・・ツメガエル

自分自身が ”宇宙全体” の中で ”どのような次元にいるのか?” ということを・・・

 

まったく わかっていないことを 意味します。ショック!




それによって 人類は・・・

これまで ”闘争” や ”戦争” を 引き起こしてまで・・・

”自分自身の欲望” や ”国家の欲望” を ”維持・拡大” するために・・・

”愚かな行動” を ”繰り返す” ことに なったのです。ショック!ドンッ小銃

つまり いかなる理由が あろうとも・・・

”闘争” や ”戦争” を 肯定する人間は ”無知の極み” です。

そして その人は ”死後の来世” においては・・・

確実に ”地獄世界” へ 向かうことに なるのです。ドクロ




私たちが ”ブッダの教え” を 実践することで・・・

やがて 自分自身が ”宇宙の中での位置” を 自覚できるようになり・・・

そこから 自分自身が ”進むべき道” を 知ることが できるようになります。

そして その ”進むべき道” が この世の ”真理” を 意味します。

これが ”ブッダの教え” が ”宇宙的である” といわれる 理由なのです。星

 

 
私たち ”人間” というものは・・・

このたびの アジア情勢における ”核戦争の危機” と 同じように・・・

人間同士が ”殺し合う” という ”地獄世界” を・・・

今後も ずっと ”再現” させます。(※2) 

それは ”人類の歴史” を 見れば 容易に 理解できることです。

そして そのたびに 私たちは ”激しい苦しみ” に 遭遇することになります。叫びあせる

 

 

 

 

ゆえに 私たち ”人間” は この ”宇宙” の中では・・・

 

極めて ”低次元の存在” なのかも しれません。

 

そして そのことに ”満足” している 場合でも ないようです。

 

つまり ブッダは そのことを ”自覚させる” ことによって・・・

 

私たちを ”人間以上” の ”高次元の存在” に ”移りゆかせる” という・・・

 

”大きなスケール” つまり ”宇宙のスケール” で 思考していた 人物だったようです。目





私たちは この人生で ”苦しまない” ためにも・・・

さらには ”死後の来世” でも ”苦しまない” ためにも・・・

”ブッダの教え” を ”実践する” ことが・・・

 

私たちにとっての ”最後の救いの道” になると 考えられるのです。

次回の記事でも 第6節の内容を 考えて参ります。ニコニコ








(※) (1) ”正負の法則 とは?” の 記事は こちらからどうぞ 星


    (2) ”世界は 地獄を 繰り返す” という記事は こちらからどうぞ 星


    哲学者 ”トマス・ホッブズ” の ”闘争状態” について ご紹介した・・・

    ”ホッブズの リヴァイアサン” という記事は こちらからどうぞ星


    ”人間は なぜ 戦うのか?” という記事は こちらからどうぞ星


    ”人間からの卒業” という記事は こちらからどうぞ星

 

    (No.516) ”自殺してはいけない理由” という記事は こちらからどうぞ星