こんにちはわんわん



仏教の開祖であった ”ゴータマ・ブッダ” の 教えでは・・・

“言葉” の 重要性が 説かれています。

その意味は このブログでも 繰り返し 考えて参りましたが・・・

それは ”人間” の ”内面性” が・・・

はっきりと ”外部” に 現れるからです。ひらめき電球





そして 原始仏典 スッタニパータ 第二章 第四節 ”こよなき幸せ” においても・・・

次のような 詩経が 書かれていました。




261 ”深い学識” が あり・・・

    ”技術” を 身につけていること。 

    ”身を慎む” ことを よく学び・・・

    ”言葉” が みごとであること。






さらに 中村元氏の 註釈においても 興味深い内容が 書かれています。

それは ”言葉が みごとであること。” の 内容については・・・





~相手を おそれないで ”思っていること” が・・・

”自由” に 口をついて 出てくることである。

この態度は 仏教では 常に 尊ばれた。~



・・・というように 書かれています。本





しかし 私たちが ”世俗の社会” に 生きている上で・・・

自分自身が ”思っていること” を・・・

“自由” に ”口に出してしまう” と どうなるでしょうか?

皆様も すでに ご経験があると 思われますが・・・

そこでは 人間同士の ”争いの原因” を 作ることにも なってしまうのです。メラメラパンチ!






それゆえに 私たちは・・・

自分が出す ”言葉” というものに・・・

”十分な注意” を 払う 必要があります。

さらには 自分が出す ”言葉” というものに・・・

”重大な責任” が あることにも 気づくのです。雷






では 仏教では 中村氏が 述べていたように・・・

”相手を おそれないで 思っていることが 自由に 口をついて 出てくること” が・・・

なぜ ”尊ばれて” きたのでしょうか?

それは 仏教の ”修行者” たちが・・・

“真理の言葉” を ”口に出していた” からである と 考えられます。星






それでは “真理の言葉” とは どういうものか?・・・

それは “真理” というのは・・・

この ”世界全体” に ”共通する価値” を 意味しています。(※)

つまり “真理の言葉” とは・・・

すべての人に ”共通する言葉” と 考えられます。目






それゆえに 仏教の修行者たちは・・・

自分自身が 心の中で ”思っている言葉” というものを・・・

相手を おそれないで 口に出したとしても・・・

そこでは 決して ”争い” も 起こることが ないのです。

それどころか 相手も “共感する” ことになり・・・

そこでは “平和な状態” も 維持されることになるのです。虹







人間同士が ”言葉” によって・・・

”争いごと” が 発生するという 現象は・・・

その 当事者たちが・・・

この世界の ”真理” を ”知らない” ことが 原因のようです。ショック!





では 私たちが “真理” を 知るためには どうすればよいのか?

それが No.261の詩経にも 書かれている 内容です。





”深い学識” が あり・・・

”技術” を 身につけていること。 

”身を慎む” ことを よく 学んでいること・・・なのです。ひらめき電球





中村氏も 註釈において 述べていましたが・・・

“智慧(ちえ)” を 得る というのは・・・

”世俗の技術” や ”世俗の学問” に ”通じている” ことを 意味しています。ロボット本






そして “智慧” という意味は・・・

”真理” を ”知っている” ことを 意味します。(※)星






つまり ”世俗” に 生きている 私たちが・・・

“真理の言葉” を 知るためには・・・

”世俗の技術” や ”世俗の学問” の ”全体に通じている” ことも 必要なのです。

これが ”世俗” に 生きる者としての “義務” であることも わかってきます。ひらめき電球






では 仏教の修行者たちは ”世俗の生活” から・・・

ある意味 ”隔離” されているのに・・・

なぜ “真理” を 知ることが できたのでしょうか?

それが このブログでも これまで ご紹介してきました・・・

”ブッダの教え” による “真理を知る方法” としての・・・

”八正道(はっしょうどう)” の 実践なのです。(※)クローバー






つまり 私たちが ”世俗の生活” を 続けていても・・・

”八正道” を 生活の中に 取り入れれば・・・

私たちは 決して ”世俗の技術” や ”世俗の学問” すべてに 通じていなくても・・・

この世界の “真理” に 到達することが 可能になると 考えられるのです。

それが 私たちが “真理” を 知るための ”近道” であると 考えられます。目






そして 私たちが この世界の “真理” を 知ることができて・・・

“真理の言葉” を 自分のもの に することができれば・・・

私たちは 決して “出家” しなくても・・・

“出家した修行者” と 同様に・・・

”救われる境地” に 到達することができると 考えられます。虹






仏教の 修行においては・・・

“言葉づかい” が 極めて 重視されています。

それは ”八正道” における ”正語” にも 示されていますが・・・

さらに 原始仏教には “十善戒” という ”戒律” が あり・・・

”身業” ”意業” そして “語業” という ”三つの修業” が 存在します。星





そして その中の “語業” の 内容には・・・

”四つの戒律” が あります。



1 ”不妄語”・・・”ウソ” を つかない。

2 “不綺語”・・・”飾り立てた言葉” を つかわない。 

          ”心にもない お世辞” を 言わない。

3 “不悪口”・・・”粗暴な言葉” を つかわない。 

          ”嫌がらせの言葉” を 言わない。

4 ”不両舌”・・・”誰かを 仲違いさせるような言葉” を つかわない。 

          “悪口” や ”陰口” を 言わない。



というような 戒律があるのです。メモ





私たちは 日常生活において・・・

これらの言葉を 頻繁に つかっては いないでしょうか?

それは ある意味 人間関係を ”円滑にするため” にも 必要だと 考えるからです。

さらには 自分自身の “ストレスの解消のため” にも 必要だと 考えるからです。

そして これらの言葉は ネット上でも 頻繁に ”書き込まれて” も いるわけです。パソコン






しかし このような “破戒(はかい)行為” というものが・・・

自分自身を ”救われない道” へ 導いているのであり・・・

それは 自分自身が ”永遠” に ”苦しみ続ける” ことに 導いているのです。

それは ”ゴータマ・ブッダ” が 説いていた内容の ”正反対” にある・・・

人間にとっての ”こよなき不幸” であると 考えられます。ドクロ







皆様も ご自身から 出される ”言葉” というものに 注目されて・・・

もしも それが “悪いもの” であると ”自覚される” ことが あれば・・・

そこから ブッダや 中村氏が 述べていた 内容による・・・

“修業の努力” を 始める時・・・であると 思われます。ひらめき電球








また 今後の “アジア情勢” に 対しても・・・

“軍備” には ”軍備” で 対抗する などという・・・

“真理” を ”知らない” 政治家たちが 主張しているような・・・

極めて ”危険な手段” を 用いるのではなく・・・ドンッ小銃








私たち 日本国民 ひとり ひとりが・・・

“真理の言葉” を ”知る” ことによって・・・

さらには “真理の言葉” を ”口に出す” ”表現する” ことによって・・・

“アジアの平和” が ”維持される” ことが 考えられます。

それが ”世界平和” のためには・・・

”最も安全” で ”最も確実” な 方法である と 考えられるのです。虹









私たちは この 人間世界に 生きている上では・・・

”みごとな言葉” を ”自分のもの” に することによって・・・

”争いのない世界” を 実現してゆきたいですね。

それが 私たちに 課せられている “義務” なのかもしれません。ニコニコ




















(※) ”ブッダの教え” の ”実践法” でもあり・・・

    ”真理” を 知るための 方法でもある・・・

    ”八正道(はっしょうどう)” の 解説記事は こちらからどうぞクローバー




 

    そして “真理” について 考えました・・・

    ”真理 とは 何か?” の 記事は こちらからどうぞ星



  

  
    さらに “智慧(ちえ)” について 考えました・・・

    ”智慧(ちえ) とは 何か?” の 記事は こちらからどうぞ星