稚児之草紙のひみつ その1 | やまちゃん1のブログ

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「稚児之草紙」その1、その2に関する写真は全てネット画像を借用しています。



稚児大師御影(ちごだいしみえ)高野山清浄心院蔵 絹本着色 1幅 室町時代

袴を着けた、美しい垂髪(すいはつ:たれ下げた髪)姿の童形の空海が合掌し、蓮華座に座して、月輪を後背としている




後宇多天皇(1267〜1324)は、宇多天皇(867~931)に習い、東寺で伝法灌頂を受け阿闍梨となり、大覚寺の住持となりました。

また、自ら「弘法大師伝」(1315 )を編纂し、弘法大師空海の顕彰に努めました。

「稚児大師像」は、空海が弟子・信徒へ後世の為への戒めを示された遺言「御遺告(ごゆいごう)」に『(空海は)5~6歳の頃、蓮華座に座して諸佛と物語る』とあるのを「弘法大師伝」で取り上げたことで、美化され、図像化が進んだと云われています。





美しい稚児大師像を掲げて読誦する僧に、煩悩が去来することは
無かっただろうか…


さて、日本に男色(少年愛)を持ち込んだのは、弘法大師空海だと一部でまことしやかに言われて来ました。
唐の密教界では、女犯(にょぼん)を厳しく禁止し、男色(少年愛)が盛んだったため、中国で密教を伝法された空海が男色を持ち帰ったと噂されたようです。

しかし、日本には既に「日本書紀」に男色の記述があり上古からその風習がありました。
ギリシャ・ローマの哲学・伝記・伝説でも男女の同性愛が描かれているように、人類に不変な形態なのでしょう。  



日本三大性愛絵巻のラストである、「稚児之草紙」の原本は
醍醐寺三宝院に秘蔵されています


「稚児之草紙」は三島由紀夫の小説「禁色(きんじき)」(1951〜52)にも登場します。



『管長がそのとき現はれて、俊輔に久闊を舒べ、二人を別室へ案内すると、俊輔の懇望にまかせて、この密教の寺院に深く秘された一巻の草子を見せてくれた。老作家はこれを悠一に見せたいと思つたのである。
 奥書に元亨元年の日附があるとほり、冬日のさしこむ畳の上にひろげられてゆく巻物は、後醍醐帝の時代の秘本である。その名を稚児乃草子といふのであつたが、悠一には読めない詞書を、俊輔は眼鏡をかけてすらすらと読みだした。』

「禁色」は、女性に裏切り続けられた老作家檜俊輔が、ゲイの美青年南悠一を使って、女性達に復讐するという物語です。


「稚児之草紙」は、元亨元(1321)の奥付を持つ原本の一本が、京都醍醐寺の三宝院に秘蔵されています。この作品は、人気があったため幾度も請われて写しが作られてきたようです。


構成は全五段で、仁和寺、嵯峨、法勝寺、北山を舞台に、それぞれに異なる僧と稚児の物語が展開する。






どの話も、
恋心を抱く僧がいじましく、
稚児がかいがいしく相手をしてやるといった構図です


つづく


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