後白河院と小柴垣草紙 斎宮のひみつ | やまちゃん1のブログ

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後白河院が蓮華王院宝蔵にコレクションした『絵巻物』は日本美術史上の傑作揃いですが、院が関与したといわれる「小柴垣草紙」は「袋法師絵詞」「稚児之草紙」と共に三大性愛絵巻物と称される傑作です



小柴垣草紙のモチーフは斎宮


(写真は全てネット画像を借用しています)


野宮神社 斎宮行列


「小柴垣草紙」は、実際に起きた※斎宮(さいぐう)と警護の滝口武者(内裏の警護の武士)の密通事件を下敷きにして制作されました



神に祈る斎宮のイメージ


※斎宮とは、天皇の名代として伊勢神宮の大祭に参加する巫女で、未婚の内親王又は女王(親王宣下を受けていない天皇の皇女又は親王の王女)の中から天皇が卜定(ぼくじょう)によって選ぶ。斎宮は伊勢神宮に入る前に、潔斎(けっさい・心身を浄める)のため宮城内の初斎院で1年を過ごし、嵯峨野に建てた仮住いの野宮で更に1年を過ごす。この時、お付きの者は男女145名に及んだ。なお、未婚とは必ずしも処女は意味しないようだ。

賀茂神社への下向は斎院と呼び、斎宮、斎院を総称して斎王という。



斎宮密通事件は、当時の歴史書「日本紀略」「本朝世紀」説話集「十訓称」にも記載されている。


「十訓抄」(1252)には次のようにある。

『寛和の斎宮、野宮におはしけるに、公役滝口平致光とかやいひけるものに名立ち給ひて、群行もなくて、すたれ給ひけり。それより野宮の公役はとどまりにける。(『十訓抄』中 五ノ十)』 



寛和2年(986)花山天皇の斎宮・済子(なりこ)女王(醍醐天皇の第十三皇子章明親王の娘)は、嵯峨野の野宮で潔斎していたが、美男の滝口武者・平致光(たいらのむねみつ)を誘惑し密通したとの噂が都に流れ、ついには済子女王の伊勢行きは中止となり、またこの事件をきっかけに警護として滝口武者を置くことが廃止されたという。

小柴垣草紙とは、野宮が小柴垣で囲われていたことに由来する。


小柴垣草紙には、斎宮と武者の一夜な情交を描いた短めの短文系と再会まで描いた長文系の二系統があり、密教の教えを加えた「灌頂巻絵詞」は長文系となる。


小柴垣草紙の成り立ちのには、高倉天皇に嫁いだ平清盛の娘徳子に、彼女の叔母で、後白河院の女御だった平滋子が婚礼の祝に贈ったとの逸話が残っている。



江戸時代に、狩野養信が描いた鎌倉時代の模本、慶忍/灌頂巻絵詞の奥書には、詞後白河院御宸筆、絵住吉法眼筆と書かれている。



住吉法眼とは、住吉慶恩あるいは住吉慶忍だろうか


「小柴垣草紙」がどのような絵巻かと言えば、冒頭から…


『夜更くるほど、小柴のもとに臥したるところへ、いかなる神のいさめを逃れ出で給へるにか、高欄のはづれより御足をさしおろして、にくからず御覧じつる面(つら)をふませ給へたるに、あきれて見あげたれば、うつくしき女房の御小袖姿にて、御髪ゆらゆらとこぼれかかりておはします、御小袖のひきあわせしどけなきに、しろくうつくしき所、また黒くとあるところ、月の影に見いだしたる心まどひ、いはむかたなし。(「小柴垣草紙」)』




小柴垣草紙 江戸時代

小柴垣のもとに眠っていた滝口武者、足で顔をふみつけられて起こされる、見上げると、美しい女房が長い髪を垂らして縁先に座り、小袖一枚を引きかけて、胸も陰部も丸見え…


斎宮が袴を脱ぎ捨てて、下半身を露出したまま滝口武者を誘惑している



ここで、未婚の斎宮=処女だとすると、かなり無理な設定!?ではないかという疑問が生まれる


平安時代、高貴な男性の元服には『添臥(そいぶし)』という通過儀礼(初交)があり、源氏物語では光源氏が12 歳、添臥の葵上は16歳でした。


古代では、財産権を含め男女平等であり、女性の元服=裳着の儀(初潮を迎えた10代前半)において同様の通過儀礼があったともいわれています。

裳着の儀の重要な役に腰結(腰結)があります。一族で最も信頼できる男性が担うとされています。




「光る君へ」第2話で、まひろの腰結を担当したのは、宣孝(佐々木蔵之介)でした。後に宣孝の妻となることを予見するような展開ですね。




腰結する宣孝(佐々木蔵之介)


裳着の儀のまひろ



閑話休題、「小柴垣草紙」は、後白河院サイドから、嫁ぐ平徳子に贈られたという逸話があるように、一つには性愛指南書として、子宝に恵まれる吉祥本の役目があったのでしょう。


更に、「小柴垣草紙」には、先行する斎宮の物語「伊勢物語 狩りの使い」「源氏物語 賢木(さかき)」のダブルイメージがあるようです。


「伊勢物語 狩り使い」と「小柴垣草紙」の斎宮密通に共通するのは、女のほうが男を誘惑している点です。男女の逢瀬は、男が女の元へ通い、翌朝、男が女の元へ後朝(きぬぎぬ)の歌を贈るのが通例です。ここでは、それが逆転して、女が男を訪ね、女の方から歌を贈っています。男女の役割を逆転させ、斎宮の積極的な性愛を、伊勢物語は霞をかけ、小柴垣草紙はダイレクトに表現しています。


詳しくは、以前ブログした「伊勢物語」をご覧ください。

「源氏物語 賢木」の斎宮は、六条の御息所の娘です。
生霊となったこと、それを光源氏に知られてしまったことを恥じ、妄執の強さに悩んだ六条御息所は、娘の伊勢下向につきそい都を離れる決心をします。御息所を哀れに思った光源氏は、嵯峨野の野宮を訪ねます。『野宮』は、光源氏と六条御息所の一夜限りの最後の逢瀬の場であり、御息所の激しい愛欲の場として、「小柴垣草紙」にオーバーラップします。


焔 上村松園 1918年

生霊となった六条の御息所を描いています



灌頂巻絵詞


ここに、『諸行無常』をベースにした『煩悩即菩提』の密教思想が垣間見られます。
更に、女性の性欲を積極的に肯定する『春画』の萌芽がみられますね。

次は、「袋法師絵詞」に続きます…