三大性愛絵巻の「袋法師絵詞(ふくろほうしえことば)」原本は江戸城大奥にあったが、天保年間に焼失した。絵は「後三年合戦絵巻」を描いた飛騨守惟久といわれている
「小柴垣草紙」は斎宮が主人公だったが、袋法師絵詞は尼御所が主人公です。尼御所(=尼御前)とは、内親王や摂関家の女子が出家し、住持となった寺(尼門跡)または尼の尊称です。
どちらも、男子禁制の祈りと修行の世界であり、その「禁忌を破る」物語ですね。
鎌倉時代までの成立と考えられる「袋法師絵詞」は、男子禁制の尼御所に、法師を連れ込んで、女たちがさんざんに使い倒す物語です。
「後三年合戦絵巻」のオリジナルを蓮華王院宝蔵にいれた、後白河院が関与したのではという妄想も楽しい。
あらすじは、(出典元 ウェキペディアより)
『さる御所務めの三人の侍女たちが、神社詣での帰り中道に迷い、川に差し掛かるが増水で徒歩で渡ることが出来ない場面から始まる。そこに親切な法師が現れ、侍女たちを小舟で対岸まで運んでくれようとするが、法師は川の中州に小舟を着け、侍女たちを誘惑する。侍女たちも法師の機嫌を損ねては対岸に渡れぬと思い、法師の欲心を満足させる。
法師は事が終わると、再び侍女たちを舟に乗せ、太秦にある御所まで送り届ける。去り際に侍女の一人が、再び御所に訪ねるよう暗に誘う。
そこで法師は御所へ入るが、尼御所は男子禁制のため袋に入れられ納屋に隠された。御所では尼御前が生気なく過ごしており、侍女たちはこれも孤閨を託つゆえと思い、尼御前の夜伽に袋に入った法師を呼び寄せ慰めさせた。(尼御所も三人の侍女も剃髪していない)』
写真は、袋法師絵詞 作者不詳 江戸時代 サントリー美術館蔵
右には、尼御所に入る法師が異時同時図で描かれている
尼御所の横には屏風、秋の景色に“小柴垣”が描かれ、「小柴垣草紙」を連想させる、侍女たちを寝むらせ、早く交わりたいという尼御所の欲望を表している
尼御所の後ろに、袋から顔を出して、あたりをうかがっている法師(拡大図)
『しかし、侍女たちは法師と尼御前の毎夜の睦言を聞くにつれて辛抱できなくなり、尼御前の事後に今度は三人の侍女たちが法師を返して欲しいと願い出る。
御所の色好みの噂が近くに住んでいた男旱(おとこひでり)の尼御前(剃髪した比丘尼)の従妹にも聞こえ、従妹の尼御前も法師を所望したため、侍女たちは暗夜密かに法師を袋詰めしたまま、従妹君のもとに運ぶ。
法師を袋詰にして従妹尼御前に運ぶ侍女
ここでも法師は従妹君と添い寝するが、世間の目もあるので再び法師を返してもらった。
帰ってきた法師は、連日連夜に渡る営みで精気が抜けて死んだようになり、うつらうつらと眠るばかりで侍女たちが誘惑しても無反応になる。侍女たちは為す術もなく、法師に新しい笠と法衣を与えて山寺へと帰参させ、物語は終わる。』
袋法師絵詞の白眉は、従妹の尼御前の登場です。
従妹は剃髪しており、尼姿であることが恥ずかしく、法師を袋に入れたままで「むくむくと蠢(うごめ)ける袋の口より例のものを差し出」させて関係します。袋から出た法師と尼御前が坊主頭を二つ並べて交わっている図はなかなか珍妙です。
画像は、【アートサークル】日本三大性愛絵巻をご覧ください😊
袋法師絵詞は、江戸城大奥に秘匿されていたように、女性が楽しむ春画として、数々の模本が生まれたようです。
小柴垣草紙も袋法師絵詞も、積極的に女性の性欲を肯定し、笑い飛ばす「笑い絵」は江戸の春画の原型の
ようですね。
「伊勢物語」「源氏物語」でも明らかなように、何時の世でも「禁忌を破ること」の抗いがたい魅力と、
その罪深さに恐れおののく事が神仏への祈りに繋がるようです。
稚児之草紙につづく…