京都さんぽ その5 | やまちゃん1のブログ

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京都訪問の動機となった

『雪舟伝説 ー「画聖(カリスマ)」の誕生ー』京都国立博物館








『※「雪舟展」ではありません!

日本で雪舟ほどよく知られた画家はいないでしょう。雪舟は六件もの作品が国宝に指定されており、間違いなく日本美術史を代表する画家の一人です。
では、なぜ雪舟はこれほど高く評価されているのでしょうか。それは、単純に作品が優れているという理由だけによるものではありません。雪舟とその作品に対し、歴史的に積み重ねられてきた評価の上に、今日の高い評価があるのです。 本展では、主に近世における雪舟受容をたどることで、「画聖」と仰がれる雪舟への評価がいかにして形成されてきた 考えます。桃山時代の雲谷派や長谷川派、江戸時代の狩野派だけではなく、実にさまざまな画家たちが雪舟を慕 い、その作品に学びながら、新しい絵画世界を切り開いていきました。その多様な雪舟受容を通して、「画聖」雪舟誕生の 過程を明らかにすることを目指します。』展覧会パンフレットより





【参考】


雪舟自画像 模本 室町時代16世紀


雪舟(1410〜1506?)は、備中(岡山県)に生まれ、10〜20代頃相国寺の画僧周文に画を学ぶ。30代半ばで京都から周防(山口県)に移り、守護大名大内氏の庇護下に入る。48歳の時(1467年応仁の乱始まり)大内氏により遣明使節のメンバーに選ばれ渡明する。寧波の天童寺(禅宗五山第二位)で首座(修行僧主席)の称号を得る。約2年の滞在を経て帰国し周防に戻る。大内氏より情報収集の命を受け、美濃、駿河、越後、加賀などを巡る。晩年は、周防で制作に励み、90歳を超える長寿で没す。



伝雪舟 富士三保清見寺図 


清見寺の岩山を「書割」で表現した、会場入口のパネル

展覧会の構成は、
第1章 雪舟精髄

第2章 学ばれた雪舟

第3章 雪舟流の継承ー雲谷派と長谷川派ー

第4章 雪舟伝説の始まりー狩野派の果たした役割ー

第5章 江戸時代が見た雪舟

第6章 雪舟を語る言葉

第7章 雪舟受容の拡大と多様化

(撮影禁止のため、写真はネット画像を借用)


第1章 雪舟の精髄

いきなり、雪舟の国宝6点、重文3点



国宝 四季山水図巻(山水長巻) 雪舟 部分 文明18年(1486) 

長さ16メートルに及ぶ大作
墨の瑞々しい碧さが清々しい
雪舟(76歳)山水画の頂点といわれる



重要文化財 四季山水図(秋) 雪舟室町時代 15世紀

明の王族の旧蔵品、雪舟北京滞在中の作品。明の院体画様式に迫る、大陸的な構図。落款は「日本禅人等揚」と矜持を示す。原三溪が所持していた。



国宝 山水図(部分) 雪舟 以参周省・了庵桂悟賛 室町時代16世紀

雪舟の絶筆とみなされてきた山水図。以参周省は大内氏の臣下、了庵桂悟は五山僧で聖一派(東福寺派)の高僧。破格の書割遠近法にくらくらする。



国宝 慧可断臂図 雪舟 明応5年(1496)

なんともマンガチックな画であるが、不思議な地面と書割岩窟に達磨の太い衣文線が達磨が浮き上がり、慧可の切迫さと達磨の聖性が対蹠的に描かれる。落款に「四明天童第一座」と記す。

ちなみに、雪舟の国宝6点とは、秋冬山水図(東博)、破墨山水図(東博)、山水図(個人蔵)、四季山水図巻(毛利博物館)、天橋立図(京博)、慧可断臂図(愛知斎年寺) この6点が一堂に会すのは極めて稀なこと。



富士三保清見寺 伝雪舟 室町時代16世紀

雪舟真筆ではなく古模本と考えられている。富士山、三保松原、清見寺の構図は富士山図の定型となった。




富士三保図屏風 6曲2双 曾我蕭白 江戸時代18世紀

曾我蕭白の面目躍如たる富士三保図屏風
右隻には三保の松原に虹がかかる




竹林七賢図屏風 長谷川等伯 桃山時代(1607年)

左隻の落款に、「自雪舟五代」(雪舟より5代)とある。等伯が雪舟後継者として名乗りをあげたもの。




重要文化財 四季花鳥図屏風(部分)
雪舟 室町時代15世紀



竹梅双鶴図 若冲 江戸時代


雪舟の国宝6点が一堂に会し、等伯、探幽、光琳、若冲、蕭白…の雪舟を本歌とした作品を展示し、「画聖」誕生の過程を示す。


雪舟をコアにした
ミクロコスモスが京都国立博物館に現出した奇跡的展覧会でした

★★★★★






翌日、京都国立近代美術館の「没後100年 富岡鉄斎」を観る




富岡鉄斎はやっぱりよく分からなかった…😮‍💨
いつか響くのだろうか??


河井寛次郎のコレクションが観られたので救われました😊


















梅原龍三郎

つづく…