ゼニの枢軸 “ショック・ドクトリン” | やまちゃん1のブログ

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ナオミ・クライン(1970〜)


チリ(ピノチェト)、中国(鄧小平)、アメリカ(レーガン)イギリス(サッチャー)、ロシア(エリツィン)などで、フリードマンとシカゴボーイズは新自由主義の“ショック・ドクトリン”を陰に陽に展開してきた。
そして、ジョージ・W・ブッシュが登場する。




ジョージ・W・ブッシュ(1946〜)



左からラムズフェルド国防長官(1932〜2021)、ブッシュ大統領(1946〜)、チェイニー副大統領(1941〜)

「悪の枢軸」ならぬ「ゼニの枢軸」か!?


アメリカでは、政策決定する政府と民間企業の間の見えない「回転ドア」があると言われる。

「回転ドア」を通じて、民間企業が幹部を政府中枢に送り込み、自分たちに都合のよい政策を法制化し、政府事業をその企業に発注し、再び「回転ドア」を回してその企業に戻り出世する仕組みです。

フリードマンと親交のあるラムズフェルドは、フォード政権で国防長官を努め、退任後現ファイザー社、日本政府が大量に買い上げたタミフルのギリアド・サイエンシズ社の重役を歴任していた。
チェイニーは、フォード政権で大統領補佐官を努め、ブッシュ(父)政権で国防長官時代に軍事関係の民間委託を大幅に増やした。その後、軍の運営も民間委託する官民連携が生まれ、巨額の契約を勝ち取ったが多国籍企業ハリバートン社にチェイニーが「回転ドア」を通じてCEOになり、政府から同社への支払いは倍増した。




代41代大統領 ジョージ・H・W・ブッシュ(パパ ブッシュ)
(1924〜2018)


一方、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、ケネディ家、ロックフェラー家と並ぶアメリカの名門ブッシュ家の“お坊ちゃん”で父親は、代41代大統領ジョージ・H・W・ブッシュ。一族は石油産業の実業家、銀行家で財を成した。テキサス州知事時代には、刑務所、セキュリティ関連など州政府業務を積極的に民間委託した。


2001年1月20日、ブッシュが43代大統領になり、チェイニーが副大統領、ラムズフェルドが国防長官になった時から、ナオミ・クラインは、アメリカ政府の「完全空洞化」に向かったと言っている。




2001年9月11日の「同時多発テロ」は世界に衝撃を与えた痛ましい事件でした。
テロの直後、フリードマン理論の三本柱の一つの「民営化」の弊害に、批判が集中した。それは、テロリストが空港のセキュリティ・システムを難なく通過したことに表れた。レーガン政権下で空港組合を叩き、人員削減、規制緩和でセキュリティは契約社員が担っていた。公共インフラも民営化していたため、非常事態の連携が上手く取られなかった。その中で、消防士、警察官など公務員の活躍が称賛された。


この、世論の動きに対して、ブッシュ政権は、

『ふり返ってみれば、 9. 11直後に人々が茫然としていた時期に起きたのは、まさに国内版経済ショック療法だった。 フリードマン主義に徹したブッ シュ・チームは、ただちにこのショック状態につけこみ、戦争から災害対応 に至るすべてを利益追求のベンチャー事業にするという、 急進的な政府の空 洞化構想を推し進めるべく動き出したのだ。




ナオミ・クライン


ここでショック療法は大胆な進化を遂げた。既存の公的企業を民間に売却 する九〇年代の手法とは違い、ブッシュ・チームは、「テロとの戦い」とい う名目のもと、初めから民営化を念頭に置いたまったく新しい枠組みを構築 したのである。(第14章「米国内版ショック療法」)』とナオミ・クラインは書いている。




ウサマ・ビンラディン(1957〜2011)


ブッシュ大統領は、国民がショク状態にある中、2001年9月12日「テロとの戦い」を宣言し、対テロ戦争と位置づけた2001年10月7日「アフガニスタン紛争」を起こした。2001年10月26日「米国愛国者法」がスピード可決され、政府が国の隅々まで監視できるという法律で、国中に監視カメラを設置、国民の通信の傍受し、国民の消費行動データも当局がチェックすることが合法化された。自由と民主主義の国アメリカは、共産党独裁政権の中国と変わらない監視社会になった。「米国愛国者法」は人権に配慮した2015年6月1日「米国自由法」が成立するまで続く。

『9・11以前には存在しなかったに等しいセキュリティー産業は、わずか数年のうちに映画産業や音楽産業をはるかに上回る規模へと驚異的な成長を遂 げた。しかし、もっとも驚くべきなのは、セキュリティー・ブームがひとつ の経済分野として分析されたり議論されたりすることがほとんどないという点だ。 セキュリティー産業とは、抑制のない警察権と抑制のない資本主義が、 いわば秘密刑務所とショッピングモールが結びつくように合体した前代未聞 の産業なのである。(同前)』とナオミ・クラインは書いている。


ブッシュ大統領は、2002年1月29日の一般教書演説で当時の「北朝鮮、イラン、イラク」の3国を大量破壊兵器を開発、保持する『悪の枢軸』と名付けた



サダム・フセイン(1937〜2006)

2003年3月20日、「イラクは大量破壊兵器を保持している。サダム・フセインは民主主義の敵だ」として国民の圧倒的支持を受け「イラク戦争」を起こす
開戦の空爆作戦のコードネームは『衝撃と恐怖』作戦と名付けられた。
しかし、当時のイラクは、国営の石油事業収入を軸に、社会主義的政策で国民は安定していたらしい。欧米メディアのサダム・フセインの圧政下で苦しむ国民とは正反対だった。

イラク戦争で、イラクを占領したアメリカは「侵攻、占領、復興」を一気に行い、惨事便乗型資本主義複合体は大きな利益を得たフリードマン主義の「戦争と再建の民営化モデル」による「新植民地主義」が誕生した。

2005年12月14日、ブッシュは、「イラク戦争開戦以前にイラク国内に大量破壊兵器は無かった」と発表した。


ブッシュ大統領にはいろいろな逸話が多いが、ハーバード大学時代にブッシュ氏の授業を担当した、霍見 芳浩(1935〜)ニューヨーク市立大学教授は、『彼は非常に出来の悪い生徒だったのでよく覚えている。典型的な金持ちのお坊ちゃまで、怠惰で授業態度も悪く、どんな組織のリーダーにもなれない人物』と評価されたり、大統領になって、公式の場でブラジルの大統領に『あなたの国にも黒人はいるか?』と尋ね、ライス補佐官に即座に訂正されたらしい。


そんなブッシュ氏を描いた映画が、


マイケル・ムーア監督
「華氏911」2004年
カンヌ国際映画祭パルムドール




オリバー・ストーン監督
「ブッシュ」2008年


ドナルド・トランプ、日本に続く



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