“ショック・ドクトリン” その2 | やまちゃん1のブログ

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改訂しました。


1949年に成立した中華人民共和国は、毛沢東の指導のもと、「大躍進政策」(1958〜1961)を実行する。農産物と鉄鋼製品の増産で15年で米英を追い落とすと宣言した。しかし、非科学的計画により大飢饉が発生し、1500〜5500万人が餓死。毛沢東は失脚する。




毛沢東(1893〜1976)と江青(1914〜1991)




文化大革命(1966〜1976)


被告人の江青


毛沢東と四人組(江青ほか)が紅衛兵を扇動し、

文化大革命」(1966〜1976)の名の下、権力闘争を仕掛け復権を果たすが、毛沢東が1976年に死去し、文化大革命は終焉となる。

文革時の死者40万人、被害者1億人」と推計されている



鄧小平(1904〜1997)

失脚していた実権派の鄧小平は文革派を一掃し、1978年「改革開放政策」を発表。

鄧小平の思想は、

黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ」国富を生み出す政策は良い政策だ

先に豊かになれる地域と人から豊かになろう」先富論


大躍進政策の失敗を肌身で感じていた鄧小平は、市場経済体制を支持していた。新自由主義による「チリの奇跡」に感銘した彼は1980年にフリードマンを招聘し、共産党幹部や経済学者、大学教授に市場原理主義の講演を聞かせた。フリードマンは、「商業活動の自由の重要性」と「政治的自由は付随的なものあるいは不必要」と説き、共産党が主導する社会主義市場経済を示した。

ニクソン以来の、米ソ対立を背景にした中国の懐柔策で、市場経済の導入が「共産主義を解体し民主主義体制に移行する」という希望的観測が政府、シカゴ学派にあったのだろう。


ナオミ・クラインは、鄧小平と共産党幹部の思考回路をこう分析する。

すなわち、経済を開放して私的所有と大量消費を促す一方で、権力支配は維持し続けるという考え方である。 そうすれば、国家の資産が売却されるにあ たって党幹部とその親族がもっとも有利な取引をし、一番乗りで最大の利益 を手にできるという筋書きだ。(第9章「「歴史は終わった」のか?」) 


鄧小平は、フリードマン理論に沿って、人民公社を解体し、生産責任制、経営自主権を与え、労働者保護を削減した。「経済特区」を設定し、外国資本に市場を開放する。

更に、40万人強の「人民武装警察」を創設し、反対勢力を弾圧した。


改革開放政策は、農村・都市、沿岸部・内陸部の経済格差が拡大し、汚職の蔓延、インフレ、失業問題が噴出し改革開放政策に対する抗議デモが各地で起こる。

鄧小平は1988年にフリードマンを再び招聘し、助言を求めた。

フリードマンは、「圧力に屈するな、動揺するな」と叱咤激励した。フリードマンは後に、「チリと中国に全く同じ助言を与えた」と語っている。


そして、1989年6月3日、学生を中心にした民衆の抗議デモは北京・天安門に10万人規模が集まった。鄧小平は、デモ隊に人民解放軍を投入し、武力で鎮圧することを決定した。戦車が突っ込み、デモ隊に発砲、1万人の犠牲者が出たとも言われる。『ショック・ドクトリン』の発動である。





この『ショック・ドクトリン』によって、国民が「衝撃と恐怖」のショク状態で思考停止に陥った隙に、多国籍企業や国際金融資本と共産党の利害が一致する『世界の工場』化を一気に実現させる。


ナオミ・クラインは、

中国を世界の“搾取工場”すなわち地球上のほとんどすべての多国籍 企業にとって、下請工場を建設するのに適した場所へと変貌させたのは、まさにこの改革の波によるものだった。中国ほど好条件のそろった国はほかに なかった。低い税金と関税、賄賂のきく官僚、そして何より低賃金で働く大 量の労働力しかもその労働者たちは残忍な報復の恐怖を体験しており、適 正な賃金や基本的な職の保護を要求するというリスクを冒す恐れは、長年に わたってないと考えられた。(同前) 

『新自由主義政策を進める側にとって、これほど理想的な環境はありません。 そして、億万長者の九割を、「太子」と呼ばれる共産党幹部の子息が占める中 国の前に、今や、自由市場という無限の可能性を持つ未来が広がったのです。』と説明している。


そして現在、中国は、“搾取工場”から巨大消費市場になり債権国として世界第2位の経済大国となった。米中2強時代だ。



アメリカ、シカゴ学派の希望に反して、共産党体制は強固で、『ショック・ドクトリン』手法は「香港」統治に利用されアフリカ諸国等への多額な開発融資により債務不履行を起こさせ、市場の開放、中国資本による新自由主義手法による新植民地化をもたらした。それは、かつてシカゴ学派がIMF、世界銀行を牛耳り、途上国を債務漬けにして支配する構造と同じである。



香港民主化デモ鎮圧
天安門事件の『ショック・ドクトリン』を再演


今だけ、カネだけ、自分だけ』という新自由主義がもたらした、格差社会、汚職利権主義、共産党一党独裁政権への民衆の批判を感じた、習近平は『コロナ・パンデミック』を利用し、国民に対する監視、自由制限を強め、台湾海峡、南沙諸島の緊張を高め、鄧小平の改革開放政策の評価を見直し、彼が定めた、「個人崇拝」「長期政権」の禁止(文化大革命の反省)を覆し、毛沢東を持ち上げ、自身を毛沢東に列し、長期政権を実現した。



習近平とアフリカ首脳


新自由主義を擁護する理論家、フランシス・フクヤマ(1952〜)は著書「歴史の終り」で、
『共産主義は自由を許さず、開発主義(国家の発展を第一とする)は政治と利益団体との癒着 が起きる。結局、自由市場改革と民主主義の組み合わせこそが、唯一機能する統治の最終形態だ。』自由市場改革=資本主義(グローバリズム)と民主主義はセットになると主張したが、中国は今だ、自由市場と共産党独裁政権のままである。それどころか、香港を共産党独裁政権に組みしてしまった。




宇沢弘文(1928〜2014) 経済学者、シカゴ大学教授、東京大学教授

フリードマン批判

『シカゴ大学で同僚だったミルトン・フリードマンと激しく対立し、フリードマンの市場競争を優先させたほうが経済は効率的に成長するという主張に対し、宇沢は効率重視の過度な市場競争は、格差を拡大させ社会を不安定にすると反論した。


社会主義・共産主義批判
『西側の資本主義による成長優先政策を批判する一方で、ソ連型の社会主義体制、およびカール・マルクスの共産主義・マルクス主義についても批判している。宇沢は、ソ連型の社会主義社会は、うらやむべき体制ではないし、米ソを比較した場合、アメリカ経済の方が全体としてはうまくいっているとし、資本主義社会には内在的な不平等化傾向があり、所得分配の不平等の激化によって大衆の反抗を招き、革命によって社会主義へと移行するというマルクスのシナリオには疑問があるし、検証することができない種のものだと批判している。』引用元ウェキペディア



ランニングが趣味



宇沢弘文とミルトン・フリードマン
(フリードマンは身長152cmだった)


ナオミ・クラインは、宇沢弘文にはまったく触れていないが、傾聴すべき思想家・経済学者です。


イギリス、アメリカ編につづく



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