こちらも意欲的な展覧会
開催概要は、
『19世紀フランスを代表する画家エドゥアール・マネ(1832-83)の日本における受容について考察する展覧会です。我が国における洋画黎明期の美術家や美術批評家たちはどのようにマネを解釈し、理解したのでしょうか。〜 西洋近代美術におけるマネの位置づけを確認した上で、明治から昭和初期までに見られる批評や作品を通して、日本における最初期のマネ受容について検討します。そして、現代作家のマネ解釈を、森村泰昌や福田美蘭の作品を通して考察します。』
展示構成は、
第1章 クールベと印象派のはざまで
第2章 日本所在のマネ作品
第3章 日本におけるマネ受容
第4章 現代のマネ解釈ー森村泰昌と福田美蘭
展覧会は全て撮影禁止のため、写真はネットから借用しました。
第1章 クールベと印象派のはざまで
右 モネ アンティーブ岬 1888
クールベ(1819〜1877)、マネ(1832〜1883)、モネ(1840〜1926)
レアリスム(写実主義)のクールベと印象派のモネ、そのはざまにマネがいる事を暗示する展示
マネを印象派の筆頭とする見方もあるが、モネに誘われても印象派展
に加わらず、サロンへの出品を続けた。美術史上の位置づけが難しい画家と云われる
第2章 日本所在のマネ作品
日本に所在するマネの作品は18点(版画を除く)で、100点を超えるモネの作品と比べると圧倒的に少ない
マネ 散歩(ガンビー夫人)
1880〜81 年
間近で見ると、マネ独特の粗いタッチで描かれているが、女性の黒い帽子には紫の花がふんわり、黒の衣装は緑の中に浮き上がりしかも生地に透け感がある、白い顔からピンクの頬が袖口と呼応し、薄い手袋に流れる。口紅は背景の小さな花に赤をさす… どこか夢のように美しい…
大鴉 (エドガー・アラン・ポーの詩 マラルメ訳) 石版画挿絵 1875年
日本の水墨画を研究したようです
第3章 日本におけるマネの受容
第3章が展覧会のメイン、全て未見の作品でした
基になったマネの作品は、
石井柏亭 草上の少憩 明治37年(1904)
石井柏亭(1882〜1958) 東京都出身
浅井忠に師事 安井曾太郎とともに一水会を立ち上げる
マネの影響? 題名かな…
片岡銀蔵(1896〜1964) 岡山県出身
藤島武二に師事
オランピアを反対にした構図
横たわる女性は日本女性、黒人のメイドは東南アジアの女性に替えている
カーテンはオランピアと同じくベットの後ろにあり現実を表している
明るく白い裸体はマネの表現で、熊岡の「裸体」に比べると陰影表現も薄い。あえて背面の空白を作り、全体に平面的構成
タイトルの「融和」とは、戦前の日本の南方進出による大東亜共栄圏思想を表しているのだろうが、横たわる女性の視線に優越感を感じる
森村泰昌 肖像(少年1、2、3)
1988年
森村泰昌(1951〜) 大阪市出身
西洋の名画の人物になりきる「自画像的作品」をセルフ・ポートレートで作品にする
作品は、人種・民族、ジェンダー、西洋中心主義的な美術史になどに対する批評になっている
セルフポートレート(コトバ、着せ替えごっこ1)に、
『一方でアジア人男性としての私は「女としてアジア」を身にまとい、西洋美術史に侵入し、マネの「オランピア」を不法占拠して西洋中心主義的な美術史をかく乱しようと企てました。』
「笛を吹く少年」と「オランピア」のモデルはヴィットリーヌ・ムーランという女性だったという説があり、一人「とりかへばや物語」を演じている
「フィガロの結婚」の少年ケルビーノをアルトの女性が演じ、劇では女装するという重層的構造に似ている
ジェンダーについて
↓
福田美蘭 ゼレンスキー大統領 2022年
練馬から中村彝アトリエ美術館に続く…