オウスは叔母から衣装を譲り受け、剣を懐に入れて討伐に向かう。
クマソタケルの家(現在の熊本県から鹿児島県周辺)に着いたオウスは、警護が厳重なのを見て、
「童女(おとめ)の髪の如(ごと)その結はせる御髪を梳(けず)り垂り、その姨(おば)の御衣御裳(みそみも)を服し、既に童女の姿に成りて…」
石井林響(いしい りんきょう)明治17年〜昭和5年 千葉市出身 橋本雅邦門下の日本画家
童女の姿でクマソタケルの宴会に潜りこんだオウスは「嬢子(おとめ)を見(みめ)でて…」クマソタケルにみそめられて側についた。 古事記より
美少女に変身したオウスは、ルックスで敵を惹きつけ、油断につけ込み兄弟を剣で殺害する。弟は刺されながら「こんな強い人は西では私たち兄弟(クマソタケル)以外にはいない、これからはヤマトタケルとお名乗りください」と言い残し絶命した。以後、オウスはヤマトタケル(倭建)と名乗った。
『関白左大臣には2人の子供がいた。1人は内気で女性的な性格の男児、もう1人は快活で男性的な性格の女児。父は2人を「取り替えたいなあ」と嘆いており、この天性の性格のため、男児は「姫君」として、女児は「若君」として育てられることとなった…』
この系譜に、展示されている「新蔵人物語絵巻」(室町時代)がある
『子供たちを心のままに過ごさせようという考えの両親のもとに生まれた、息子1人、娘3人の兄妹が登場する。長女は、女性の身のままでは往生できないと信じられていたために剃髪し「変成男子」となった(剃髪が男装と同義と見られた)。』
『いっぽう三女は、男装して出仕し「新蔵人」と呼ばれるようになるが、その正体が女性であると帝に知られてしまう。』
『しかしかえって面白がられ、帝の寵愛を受けるようになり…… 』
その後の下巻では、三君は帝の子を産み、傍若無人な振る舞いをするようになる。
帝の愛が冷め、三君は仏門にはいる事になる…
日本では、異性装が神話の時代からある種の変身譚あるいはトランスジェンダーのシニフィアン(記号表現)としてある。
一方、キリスト教世界では、同性愛、異性装は明確な罪である。
旧約聖書申命記第22章には、「女は男の着物を着てはならない。また男は女の着物を着てはならない。あなたの神はそのような事をする者を忌み嫌われるからである。」とある。
ジャンヌ・ダルクが火刑になったのも男装が理由の一つだろう…
こちらを参照
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『三代目沢村田之助(1845〜1878)は幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎役者。その美貌と卓越した演技力で絶大な人気を獲得した女形であったが、上演中の事故による怪我から脱疽を患い、四肢切断を余儀なくされた悲劇の役者としても知られる。
橘小夢(たちばなさゆめ)
明治25年~昭和45年
日本画家。黒田清輝に洋画を、川端玉章に日本画を学ぶ。民話や伝説をモチーフとした日本画や版画を多く手掛け、雑誌や小説の挿絵画家としても活躍した。』