異性装の日本史 松濤美術館 | やまちゃん1のブログ

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渋谷区立松濤美術館

の意欲的な
 展覧会 


美術館の開催概要は、


『男性か女性か—人間を2つの性別によって区分する考え方は、私たちの中に深く根付いています。しかしながら、人々はこの性の境界を、身にまとう衣服によって越える試みをしばしば行って きました。社会的・文化的な性別を区分するための記号である衣服をもって、生物学的に与えられた性とは異なる性となるのです。…… 』

構成は、
1章 日本のいにしえの異性装
2章 戦う女性ー女武者
3章 “美しい”男性ー若衆
4章 江戸の異性装ー歌舞伎
5章 江戸の異性装ー物語の登場
   人物・祭礼
6章 近代社会における異性装
7章 現代の異性装
8章 現代から未来へと続く異性装



日本のいにしえの異性装

日本で最初に異性装の記述が登場するのは「古事記」(712年)です。

第12代景行天皇の皇子オウスノミコト(小碓命)は、兄をも殴り殺す粗暴な性格。恐れをなした天皇は「西の方にクマソタケル(熊襲建)兄弟という従わない奴らがいるから退治してくれ」と命じます。

オウスは叔母から衣装を譲り受け、剣を懐に入れて討伐に向かう。

クマソタケルの家(現在の熊本県から鹿児島県周辺)に着いたオウスは、警護が厳重なのを見て、


「童女(おとめ)の髪の如(ごと)その結はせる御髪を梳(けず)り垂り、その姨(おば)の御衣御裳(みそみも)を服し、既に童女の姿に成りて…」



石井林響 童女の姿になりて
明治39年(1906)

石井林響(いしい りんきょう)明治17年〜昭和5年 千葉市出身 橋本雅邦門下の日本画家



童女の姿でクマソタケルの宴会に潜りこんだオウスは「嬢子(おとめ)を見(みめ)でて…」クマソタケルにみそめられて側についた。 古事記より


美少女に変身したオウスは、ルックスで敵を惹きつけ、油断につけ込み兄弟を剣で殺害する。弟は刺されながら「こんな強い人は西では私たち兄弟(クマソタケル)以外にはいない、これからはヤマトタケルとお名乗りください」と言い残し絶命した。以後、オウスはヤマトタケル(倭建)と名乗った。




平安時代の異性装の代表的物語は、「とりかへばや物語」(平安後期)。

『関白左大臣には2人の子供がいた。1人は内気で女性的な性格の男児、もう1人は快活で男性的な性格の女児。父は2人を「取り替えたいなあ」と嘆いており、この天性の性格のため、男児は「姫君」として、女児は「若君」として育てられることとなった…』



この系譜に、展示されている「新蔵人物語絵巻」(室町時代)がある



中央に三君、左に長女の大君、画面に現れないが次女の中君、下には長男

『子供たちを心のままに過ごさせようという考えの両親のもとに生まれた、息子1人、娘3人の兄妹が登場する。長女は、女性の身のままでは往生できないと信じられていたために剃髪し「変成男子」となった(剃髪が男装と同義と見られた)。』



下に剃髪した大君と嘆く両親


『いっぽう三女は、男装して出仕し「新蔵人」と呼ばれるようになるが、その正体が女性であると帝に知られてしまう。』



御簾に隠れた帝と男装の三君

『しかしかえって面白がられ、帝の寵愛を受けるようになり…… 』


その後の下巻では、三君は帝の子を産み、傍若無人な振る舞いをするようになる。

帝の愛が冷め、三君は仏門にはいる事になる…



日本では、異性装が神話の時代からある種の変身譚あるいはトランスジェンダーのシニフィアン(記号表現)としてある。

一方、キリスト教世界では、同性愛、異性装は明確な罪である。


旧約聖書申命記第22章には、「女は男の着物を着てはならない。また男は女の着物を着てはならない。あなたの神はそのような事をする者を忌み嫌われるからである。」とある。


ジャンヌ・ダルクが火刑になったのも男装が理由の一つだろう…



こちらを参照




戦う女性ー女武者

女性の異性装は、「戦う女性」の物語に表れる
リボンの騎士、ベルサイユのばらに通じますね


武者人形 中央 神功皇后(じんぐうこうごう) 左 武内宿禰(たけうちのすくね)
江戸時代中後期 

『神功皇后は、第14代仲哀天皇の皇后。女性ながらに武者姿で出陣し、途中、応神天皇を出産します。武内は、皇后に仕え、さらに幼帝の応神を助けて偉功があった忠臣で、思慮深い老人の姿で表現されます。武内が大事そうに抱いているのは、産着に包まれた応神天皇です。』

神功皇后は新羅に出兵し、朝鮮半島の広域を支配下に置いた(三韓征伐)。



法橋関月 巴御前出陣図 江戸時代18世紀 (後期展示)
法橋関月(蔀(しとみ)関月) 1747〜1797年
江戸時代中期の大阪で活動した浮世絵師で月岡雪鼎門下。


「鎌倉殿の13人」にも登場しましたね。木曽義仲の愛妾です。


“美しい”男性ー若衆

奈良時代の仏門から発生した「稚児」、平安時代には公家にも拡がる男色、鎌倉以来武家の衆道、江戸時代には若衆、陰間と呼ばれ庶民にまで浸透した。



葛飾北斎 若衆文案図 天保11年(1840年)

恋文の文案をひねる若衆


近代社会における異性装
現代の異性装


橘小夢 澤村田之助 昭和9年

『三代目沢村田之助(1845〜1878)は幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎役者。その美貌と卓越した演技力で絶大な人気を獲得した女形であったが、上演中の事故による怪我から脱疽を患い、四肢切断を余儀なくされた悲劇の役者としても知られる。

橘小夢(たちばなさゆめ)

明治25年~昭和45年
日本画家。黒田清輝に洋画を、川端玉章に日本画を学ぶ。民話や伝説をモチーフとした日本画や版画を多く手掛け、雑誌や小説の挿絵画家としても活躍した。』



朝化粧

夏化粧

「演劇評論」より 伊集院明山画
昭和30年以降
二人の愛情が感じられる口絵


現代から未来へと続く異性装



シモーヌ深雪 D.K.ウラヂ 2018年



篠山紀信 森村泰昌『デジャ=ヴュ』の眼







女装の美少年?! 
ストップ!!ひばりくん!

「とりかへばや物語」の現代版
「君の名は」の先行作品


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