【一部抜粋】浮世絵は江戸文化の華 | やまちゃん1のブログ

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『「ユリイカ」(青土社)2016年1月臨時増刊号で、ジェンダー論・女性学などを専攻とする社会学者の上野千鶴子氏と、江戸文化研究者の田中優子氏が、女性が「春画」に魅せられる理由について語り合っている。』


上野千鶴子(1948〜) 東京大学名誉教授


田中優子(1952〜) 法政大学前総長(2014〜2021) 法政大学名誉教授


そのなかで、喜多川歌麿の「歌満くら」と葛飾北斎の「喜能会之故真通」について語っている部分が興味深いので引用します。



喜多川歌麿 「歌満くら」1788年
第一図

『田中「喜多川歌麿の『歌まくら』に河童に犯されている女性の画があります。水面下に河童と女性、そのそばの石の上に女性が描かれている。あれは、二人の女性ではなくて、石の上の女性の想像や欲望が水面下に投影されている。こういう春画をみて楽しむというのは女性だけなのかもしれませんね。女性はこの春画を見て自分の快楽の一部を思い出す。そういう連想ができる。別にタコや河童だからというわけではなく、表情や身体の表現からそれを連想するわけです」女性たちが絵を見ながら、こうして「性」をめぐる連想ができるのは、「春画」が女性の快楽を肯定しているからに他ならない。』



葛飾北斎 「喜能会之故真通」
1814年 下の第三図

『上野「春画には女の快楽がきちんと描かれています。『喜能会之故真通』でも快楽はタコの側ではなく女の側に属している。もうすこし込み入った分析をしていくと、「快楽による支配」が究極の女の支配だと言うこともできますが、快楽が女に属するものであり、女が性行為から快楽を味わうということが少しも疑われていない。この少しも疑われていないということが他の海外のポルノと全然違うところなんです。能面のような顔をした、男の道具になっているとしか思えないようなインドや中国のポルノとは違う」』



以下略

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