はるのメモ帳 -29ページ目
中1の春
「お母さん、塾に行きたい!」
と言われた。
中学に入学した当初
少し学校に行けた時があった。
その時にやる気スイッチがON!
勉強のことでやる気を示したのは
その時が初めてで
びっくりしたのを覚えている。
せっかくやる気になったチャンス
本人と相談して
週1回、90分
家庭教師を始めた。
その後、通い始めた中学は
やはり思い通りにはいかず挫折。
最初にあったやる気も急降下
中学校には結局行かなくなった。
始めた家庭教師も
90分の間に
何度もトイレに行ったり
なんだかんだ理由をつけて
休んだりした。
家庭教師の時間以外は
全く勉強をしている様子もなく
ほとんど進んでいないテキストが
部屋に転がっていた。
そんな状況を見ていると
これって意味あるのだろうか…
せっかくお金を出して
やっているのに!
と内心モヤモヤした。
しかし、そこはグッとこらえ
学習の場というよりは
家族以外との関りの場なんだ
社会復帰へのリハビリなんだと
自分に言い聞かせ
割り切ることにした。
そのうち辞めてしまうかなと
思ったこともあったが
結局、3年間続いた。
家庭教師を続けることは
学校には行ってないけれど
ちゃんと勉強しているんだという
免罪符のようなものだったのかもしれない。
また家庭教師の先生と話をすることは
息子の心の支えだったかもしれない。
なんだかんだ3年間続けた経験は
息子にとって小さな成功体験になったと思う。
そして今
高校に行き出した息子は
毎日学校に通い
勉強している。
息子の口から
「テストだから勉強しないと!」
というセリフが出てくるなんて
1年前では考えられない。
どんなことをしても動かなかったのに
ようやく歯車が動き出した。
今まで止まっていた分を
息子のペースで学び直している。
ずっと息子を見てきて思うのは
やっぱり自分でやりたいと思ったら
勝手に動く。
そして自分で決めることが大事。
家庭教師も
もし私が勝手に決めてやらせていたら
こうはならなかっただろう。
喉が渇けば勝手に水を飲み始める。
それまで待つしかない。
でもその“待つ”がしんどい。
本当にしんどい。
私にできることは
とにかく自分がご機嫌に待てるように
自分の好きなことをして過ごす。
ただそれだけ。
さて今日も
お菓子を食べながら
山のYouTubeでも見ようかな…
不登校中の勉強のこと
小4の終わりから不登校になり
5年間
全然、勉強しなかった。
勉強の遅れは気になった。
でもそれ以上に
家族以外に社会と関わる居場所
社会との繋がりがないことの方が
私は心配だった。
学校以外で居場所になるような場所
そんな場所を探した。
特に不登校初期は
無我夢中で探した。
自分の昼休みを削り
あちこち電話をして
休みの日には相談に行きまくった。
学校内に設置された学習室
フリースクール
オンライン講座
地域で開催している学びの場
などなど
学校以外に
サポートしてくれる場は
いろいろあった。
周りからもたくさん声をかけてもらい
その都度、息子に声をかけ
誘ってみた。
しかし結局、
どれも実を結ばなかった。
どんなに周りが騒いでも
どんなにいい場所があっても
本人が動かなければ
どうにもならない。
『馬を水辺に連れて行くことはできるが
水を飲ませることはできない』
これを痛感。
結局、私が疲れただけだった。
しかし、
この疲れただけの無駄な経験の数々は
私は精一杯のことをやり切った
もう私にできることはない。
これは本人の問題なんだ
本人が選んだ道なんだ。
と私と息子をわけて考える
気持ちにつながっていき
私の心の支えとなった。
疲れるだけの無駄な経験は
静かに息子を見守るために
必要な経験だった。
振り返っても
仕事しながらジタバタと
よくやっていたなと
あの時の自分をほめたい。
先生が定期的に
届けてくれるプリント
受けなかったテスト用紙
授業のプリント
学年便りなどのお知らせ
学用品やイベントのチラシ
などなど
毎回封筒にぎっしり詰められていた。
ちょっとは見たりするかなと
最初は取っておいた。
しかし、
中を開けられることもなく
届けられた状態のまま
置きっぱなし。
見る見るうちに溜まって
プリントの山となる。
見るに見かねて
ある程度時間が経ったら
そのまま捨てていた。
捨てるときに
ちらりと見えるプリントの中身。
どんどんと周りの時間は
過ぎているのを感じる。
胸がぎゅっとなった。
忙しい中
せっかく届けてくれた
先生のことを思うと申し訳なく
片付けない息子にも
腹がたった。
高校に入り
封筒いっぱいのプリントが
届くことはなくなった。
相変わらず、
学校からのプリントは
息子の部屋に
あちらこちら散乱していて
提出期限が過ぎたものを
渡されることもある。
それでも
今までと違うのは
それは息子が学校で
もらってきたプリントということ。
みんなと一緒に時間が過ぎている
小さな成長。
できればもう二度と
大量のプリントが入った封筒が
届くことがないといいな。

