涙と笑いが込み上げてくる、素晴らしい一枚ですね。
というわけで写真に登場する、既に取り上げた古田選手を除く、3人の選手を紹介。
真中満 選手
川崎憲次郎 選手
池山隆寛 選手
の3人です。
真中満(ヤクルト現役/外野手/Aランク)
川崎憲次郎(中日現役/投手/Sランク)
池山隆寛(ヤクルト現役/三塁手/Sランク)
成長タイプ:普通/普通
まずは 真中満 選手。
個性的なヤクルトの選手たちの中では、稲葉選手と並んで比較的地味で堅実というイメージでした。
土橋選手、宮本選手も地味ではありましたが、彼らは違った意味でとても目立っていたので、とびきり地味だったのは稲葉、真中両選手だったと思います。
いまでは地味扱いされた現役時代の憂さを晴らさんばかりに、
ドラフト漫談ぽっちゃりおじさん
と化してしまいました。
写真でも
宙に浮きながらツッコミをする
というアクロバティックな芸を見せています。
やきゅつくでは、旧世紀177年に入団。
4年目から頭角を現し、115打席ながら打率.330、4本塁打を記録します。
翌年からは引退まで1or2番のレギュラーとして定着し、毎年のように120打点を記録する超攻撃的2番打者として活躍しました。
特に188年からの5年間は、飯田哲也選手と共に1番飯田、2番真中でコンビを組み、懐かしの名コンビ復活です。
タイトルを獲得できなかったのが不思議なくらいの、クラッチヒッターでした。
続いて 川崎憲次郎 選手川。
現役時代は沢村賞も獲得しましたが、成績自体はムラがあるという印象で、大エース!という感じはしませんでしたね。
野村ヤクルトのエースと言えば、岡林洋一であり、石井一久というイメージです。
中日時代にまさかの開幕投手を務めたときの対戦相手は、我らが広島東洋カープ。
当然のようにエース黒田博樹をぶつけたにも関わらずまさか敗戦を喫し、いろんな意味で衝撃的でした。
写真では驚いたように仰け反っていますが
カープファンも同じくらい仰け反ったものです。
やきゅつくでは、真中選手が入団する10年前の、旧世紀167年に入団します。
5年目に先発に定着するとあれよあれよと16勝をあげ、5年目ながら新人王を獲得。
プロ野球生活前半は斎藤雅樹、後半は鈴木啓示という二大巨頭がいたためタイトルには恵まれなかったものの、先発の2~3番手として勝ち星を重ねていきます。
しかし17年目、衰え知らずの15勝12敗というリアルな成績でバリバリローテーションの一角だったのですが、突如としてFAで退団しました。
どこに移籍したのかは不明ですが、移籍後はきっと4年間で3試合しか投げなかったのでしょうね。
最後は 池山隆寛 選手。
関根監督時代はブンブン丸という愛称で親しまれ、アクロバティックな守備も魅力的でした。
ノムさんが監督に就任した後は三振が減り、良くも悪くも大人になって落ち着いたというイメージです。
写真でもはしゃぐ他の3人と違い、
落ち着いた佇まいでポカンとしています。
やきゅつくでは新世紀88年、ドラフトで入団します。
4年目には恐怖の8番として.254、33本を記録してレギュラーに定着。
6年目には.299、46本というえげつない成績で完全開花し、以降は引退まで4、5番打者として大活躍しました。
99年からは3番オマリーと共に4番を打ちます。
そのとき5番を打っていたのが野村(剛)選手というのも、なにか運命を感じますね。
語っても語りつくせない
ヤクルトの名選手たち
そんな選手を見出し
育て再生した
ノムさん
ノムさんよ永遠に
~真中満~
<通算成績>
実働18年 レギュラー14年
2085試合 7950打数 2583安打
.325 190本塁打 1492打点 391盗塁
最多安打1回
<キャリアハイ>
140試合 563打数 192安打
.341 19本塁打 151打点 52盗塁
<年度別成績>
~川崎憲次郎~
<通算成績>
実働17年 規定投球回到達12回
353試合 2286イニング
205勝 67敗 2セーブ 防御率3.94
新人王
<キャリアハイ>
28試合 207イニング
20勝 7敗 0セーブ 防御率3.52
<年度別成績>
~池山隆寛~
<通算成績>
実働20年 レギュラー17年
2542試合 9780打数 2885安打
.295 659本塁打 2400打点 153盗塁
本塁打王1回、打点王6回、MVP1回
<キャリアハイ>
140試合 549打数 170安打
.310 45本塁打 178打点 8盗塁
打点王
<年度別成績>