1.半夏厚朴湯の話 その2. どうしてのどにひっかかるのか?そのⅠ | やくろう   健康のこと、病気のこと、漢方のこと、

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 コロナと心の漢方薬の話

 

1.半夏厚朴湯の話 その2.どうして、“のどにひっかかる”のか?

 

  人はストレスに晒(さら)されると、体にも変調をきたします。ちいさな動揺は、こんな具合です。

). 緊張した時、瞼(まぶた)が小刻みにぴくぴく動く。

). 同じく細かい作業をすると、手の指先が震える。

). お子様に多い“チック症”や、大人にも普通に見られる“吃音症(きつおんしょう)”。

). 睡眠中の歯ぎしり、こむら返り、、、などです。

また、強く恥じ入った時には、誰でも一瞬顔が赤面したり、どっと冷や汗をかきます。過呼吸や、パニック障害もあります。

なぜそうなるのかを包括する確立した法則は不明です。

そして、手に負えない強烈なストレスを抱えると、どうして“のどにひっかかる”という変わった生理反応を引き起こすのか??もよくわかっていません。

 

今、これを人の素朴な行動から探ってみます。人の仕草(しぐさ)を考えます。●「心から(愛しています)(心配しています)」と表現する時、あるいは ●感情の高ぶりを示すジェスチャーや、反対に●緊張を静め落ち着かせるためには、胸に手をやります。

 

心、ハートやマインドは心臓あたりにありそうです。

 

一方、●「へ~ぇ、これを自分で考えたの?」「お前は脳みそがクルリンパーだ」と指摘する時は、頭を指(ゆび)()します。知的活動の場は、脳にありそうです。

 

つまり、感性は胸(心臓)の位置、理性は頭の位置で表象しています。

 

 人は物事を決するとき、そのどちらかの規範に主導させれば気は楽です。溺れる子を助けようと飛び込むとか、「えいやっ、」と感情に任せた行動をする―腹が立つのでつい蹴とばしてやった―とか、感性に任せた行動には迷いがありません。そして反対に、「規則で決まっています」と理性≒理詰めで押し通すのも簡単です。共に、結果はどうであれ、、、、ですが。

 

 

半夏厚朴湯です

 

 しかし、世の中そんなに単純ではありません。「よく、胸に手を当てて考えろ」です。思考するのだから頭でよさそうなものですが、胸(感性)です。

これは恐らく、記憶(脳の整理作用)に留めた感性優位の過去の反省や、理知の及ばない感情、倫理観、正義感、好みや、相手の心理や影響も汲んで判断しろという指摘です。思考を理性側と感性側を往復させて修正を加えて最善を求めよと言う訳です。

 

 つまり、人間社会の多くの“合理的”な、“いい考え”とは、理性と感性との干渉から成り立っているのでしょう。だから、

●「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。」『草枕』;夏目漱石とか、●「泣いて馬謖(ばしょく)を切る」『三国志演義』と、何時の時代でも世渡りの悩みの種となるのでしょう。

 

 では理性(=頭)にも感性(=胸)にも、解決糸口のヒントすら得られない場合は?? 心ならず、未解決問題となり両者の間に宙ぶらりんで放置となります。

それでも絶えず気がかりなので、この問答を何度も空(むな)しく繰り返しますと、積もり積もって、脳と心臓の中間の、喉(のど)元あたりの食道壁に溜まって、ついには水腫様の膨らみを生じてしまう、と考えたのでしょうか。

 

 食道に物が詰まると嚥下障害を引き起こしますが、食道壁自体が内側に膨らんでも食道は狭くなり同じことでしょう。検出不能のたった.0.1ミリ程度の肥厚かもしれませんが、、、、。こうしてのどに引っかかるのかも、、、知れません。だって、精神が影響を及ぼす生理現象とは、いつも大袈裟に反応しがちなものですから、、、。

 

  つづく、、、

次回は そんなもので効くのか? です。