1.半夏厚朴湯の話 その2.どうして、“のどにひっかかる”のか?
人はストレスに晒(さら)されると、体にも変調をきたします。ちいさな動揺は、こんな具合です。
ア). 緊張した時、瞼(まぶた)が小刻みにぴくぴく動く。
イ). 同じく細かい作業をすると、手の指先が震える。
ウ). お子様に多い“チック症”や、大人にも普通に見られる“吃音症(きつおんしょう)”。
エ). 睡眠中の歯ぎしり、こむら返り、、、などです。
また、強く恥じ入った時には、誰でも一瞬顔が赤面したり、どっと冷や汗をかきます。
なぜそうなるのかを包括する確立した法則は不明です。
そして、手に負えない強烈なストレスを抱えると、どうして“のどにひっかかる”という変わった生理反応を引き起こすのか??もよくわかっていません。
今、これを人の素朴な行動から探ってみます。人の仕草(しぐさ)を考えます。
心、ハートやマインドは心臓あたりにありそうです。
一方、●「へ~ぇ、これを自分で考えたの?」「お前は脳みそがクルリンパーだ」と指摘する時は、頭を指(ゆび)指(さ)します。知的活動の場は、脳にありそうです。
つまり、感性は胸(心臓)の位置、理性は頭の位置で表象しています。
人は物事を決するとき、そのどちらかの規範に主導させれば気は楽です。
半夏厚朴湯です
しかし、世の中そんなに単純ではありません。「よく、胸に手を当てて考えろ」です。
これは恐らく、記憶(脳の整理作用)に留めた感性優位の過去の反省や、理知の及ばない感情、倫理観、正義感、好みや、相手の心理や影響も汲んで判断しろという指摘です。
つまり、人間社会の多くの“合理的”な、“いい考え”とは、理性と感性との干渉から成り立っているのでしょう。だから、
●「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。」『草枕』;夏目漱石とか、●「泣いて馬謖(ばしょく)を切る」『三国志演義』と、何時の時代でも世渡りの悩みの種となるのでしょう。
では理性(=頭)にも感性(=胸)にも、解決糸口のヒントすら得られない場合は?? 心ならず、未解決問題となり両者の間に宙ぶらりんで放置となります。
それでも絶えず気がかりなので、この問答を何度も空(むな)しく繰り返しますと、積もり積もって、脳と心臓の中間の、喉(のど)元あたりの食道壁に溜まって、ついには水腫様の膨らみを生じてしまう、と考えたのでしょうか。
食道に物が詰まると嚥下障害を引き起こしますが、食道壁自体が内側に膨らんでも食道は狭くなり同じことでしょう。検出不能のたった.0.1ミリ程度の肥厚かもしれませんが、、、、。こうしてのどに引っかかるのかも、、、知れません。だって、精神が影響を及ぼす生理現象とは、いつも大袈裟に反応しがちなものですから、、、。
つづく、、、
次回は そんなもので効くのか? です。