挑戦しない限りは「その日」というのはやって来ない。
何をやっても無駄だからと言って、何もしないというのは、いつか来るかもしれない「その日」というものを放棄したことになる。
それじゃ、何かしらやっていたら、必ず「その日」はやって来るのかと言われたら、もちろん来るとは言えない。
それならやるだけ無駄じゃんってなるんだけど、あくまで結果論としてそうなっただけであって、それまでの過程すらすべて無駄だったのかと言われたら、そうではないはず。
あまりにも手が届かないものを手にしようとして、足元すらまともに見ることが出来ていなかったら、それなりの結果となるのは当然である。
手が届きそうなのに届かないのはなぜかと考えた時、自己嫌悪に陥るのはよくある話で、そこで全部を否定することもあるだろう。
本来であればああなっていたのに…
自己嫌悪に後悔、そして心が空っぽになっていく。これまでの自分も空っぽになっていく。
それじゃ、「その日」はその瞬間にしかないものかと言われたら、これまた必ずしもそうとは限らない。そこへ向けて挑戦をすればいいのだ。
しかし、その瞬間にしかない「その日」もある。だから挑戦をするのである。
結果的に、どちらの場合も「その日」を迎えるために挑戦をするという結論に達する。
他人から見れば、その挑戦は無謀とか無駄とかヌルいとか言われるだろうが、あくまで自分の「その日」のためにやっているのは自分なので、他人にとやかく言われる必要などない。そんなのただのノイズだ。
まぁ、世間の評価しか気にならないのであれば、八方美人になればいいだけだけど、その中では自分はただの器となっているだけで、偶像を評価させてまでやることなのかを、よく考えていかなければならないと思っている。