どうせ忘れるんだから何か書いておこう

どうせ忘れるんだから何か書いておこう

人間、忘れてナンボだと思います。
あれこれ練習したことや旅の思い出なんかを適当に書いてます。
あやしい小遣い稼ぎとかあやしい健康食品とかよくわからない教材はいらないっす。


だらだらと運動してます

今は遊びを伝えることすら難しいと思っている。




自分が中学生の頃、とある電車の、とある場所に乗ると、毎日のようにボックスシートで将棋をしている人達がいた。


当時はネットなんかなかったんだけど、噂が噂を呼んで、いつの間にかギャラリーも混じって、かなり賑わうようになった。


そんなギャラリーの中に自分もいたんだけど、いかんせ乗っていられる時間は30分程度プラス発車待ち程度の時間だったので、勝敗の行く末は毎度わからぬままであった。


その後、その人達がどうなったのかは知らない。その特定の電車も、始発駅の発車番線が変わってしまったのもあって、何年か経ったあとに乗った時は、すっかりただの居酒屋もどきとなっていた。




そこから何十年か経った後、サイクリングの休憩で地元からちょっと離れた場所にある公園に寄ってみた。


たぶん小学生以来かなってぐらいに行った公園で目にしたものは、公園の東屋で将棋をしているオジサマ達であった。まぁ、ほとんどがおじいさまだったんだけど…


これはおそらく、他所ではなかなか見られない光景だった。他で見た事があるって言ったら、荒川区役所のところにある公園ぐらいかなぁ。あまりそういう散歩をしないのもあって、本当に見かけていない。




公園と言われる場所は、今やあれこれすることすら難しい場所となっている。出来る事はどんどん少なくなっているし、ちょっとした事でも不審者扱いされてしまう。


そんななんだけど、そういったところから学ぶ事が出来るものもあるし、またそういった場所だからこそ、他にも教えてもらえることはあるとは思っている。




本来であれば、街というのはそういったものがあちこちで行われていて、それが次の世代へと継がれていくものではあるんだけど、その中間層となるべき世代が疲弊していて、さらには趣味が多種多様となったのもあって、プラスアルファ的なものも受け継がれにくくなっていると感じている。


そこで自分が出来る事はないのかと考えた時、20年は使えるんじゃないかと思う事を広められたらいいのかなぁ…っていう考えになった。




20年使えるネタがあったら、その時に老人となっていたら、暇をもてあそぶついでに伝えていけばいいし、子供から大人となっていれば、次の子ども達の笑顔となってもらえればいい。


本来ならそこらにあったものを、今一度紡いで行くことが、何気に大事な事ではないかと思うようになった。




いかにその種をばら撒くかが必要なので、今はそれを念頭に置いてあれこれしている。


それが自分なんかでも出来る贖罪なのではないかと思う。


遺せるものは遺せるうちにやるという行動を起こすことは難しいものでもあるんだけど、まだ間に合うなら間に合ううちにやるしかないと思う。

今月の土曜日は、いつもインラインスケートをしに行っている公園がイベントもので使えないので、家から車で1時間ちょいかかる埼玉の公園までスケートをしに行っている。


そこで自分とそんなに歳が変わらないご夫婦がスケートを始めていて、臨時コーチ的な感じで、あれこれ仕込んでいる。


自分的には教えているという感覚ではなくて、あくまで楽しむことをシェアさせてもらっているだけなので、基本はタイパ最優先の仕込み方をしている。




自分と変わらない年代だと、昔ながらの部活的な基礎基礎アンド基礎があって、出来ないなら出来るまで繰り返す気合いと根性論が当たり前となるんだけど、それだとタイパ的にはよろしくない。


まぁ、マゾければそれはそれで良いのかもしれないんだけど、自分はそれでかなりの遠回りをして来たので、出来る限りのショートカットをしている。




歳を重ねると、あれをやりながらこれをやって…というのが難しいもので、それは不器用だからで終わらせてしまうことが多い。


自分なんかはかなり不器用なのと、わかってはいても身体は言うことを聞いてくれなくて涙目になることがほとんどだった。


そこを根性論でゴリ押しすることは出来たんだけど、もう少し直線的な練習方法はなかったのかと振り返ることばかりであった。




自分が苦労したのだから、同じような苦労を味わうのは当然だというのはわからないでもないけど、趣味というのは楽しむためにあるのだから、そもそもの部分で面白くなければただの苦行になると思う。


そこをいかに楽に覚えてもらうかを死ぬ気で考えるというのも、自分にとっては良い刺激となっていて、目の前で今日はこれが出来たとか、この間の課題はここまで精度が上がったと楽しそうに話をしてもらえると、本当にうれしくなる。




技術のシェアとは言っても教えることには変わりはないんだけど、自分の方針としては、基本は1箇所だけ感覚的に持ってもらいたいことをやってもらっている。


特に話的に多くなるのは、脇腹の脂肪が吸引されているつもりで滑ってくれっていうもの。




これは後ろ向きに滑る時もそうだし、足をクロスさせたりする時にも使っている。


要は骨盤を回したいんだけど、それをそのままやってくれと言ってもなかなか難しかったりする。


ただ腰を回せばいいだけに思えるんだけど、腰を回すということは、片方の脇腹を前に出して反対側は引かなきゃいけない。さらにそれによって左右の足の荷重が変わることが怖かったり、腰を回せば足の向きも変わるものなので、そういったところへのケアもやらなきゃいけないとなると、途端に怖いものとなってしまう。


それならば、もっと気楽に1箇所だけの注意点を軸として、同じことをしてもらった方が、まだ他のケアはしやすい。これは本当に不思議な感じ。




自分自身がどうにも出来なくて涙目だったことをあっさりと目の前でやられているのは、見ていて面白い。


そう、最終的に自分が行き着いた結論は正しかったという証明にもなるからだ。超自己満。




そんな感じなので、どれほど自分が不器用だったのがまるわかりなんだけど、筋力的にはキツいんだけど、楽しそうにやってもらえているのは嬉しいもので、おそらく自分の5倍ぐらい早くあれこれ覚えてもらっている。


当面の目標として何をやりたいのかはまだないみたいなんだけど、少しずつパーツを組み上げて、あれこれ遊べたらいいのかなぁ…って思いながら、自分が出来る限りのことはやっている感じ。




これまでにはない特異な感じの教え方なので、ジェネリックというあだ名がついて笑った。言い出しっぺは自分なんだけど。




それで、教えたから必ずしも出来るとは限らないので、それはそれで別のアプローチから攻略すればいいと思っている。


だから「出来ないのは今だけだし、そのうち出来るようになるからいいんですよ」ってよく言っている。細かいことまで気にしてまで趣味はやるものでもないし。




とりあえずは、結構なハードルとなるバックスケーティングの入口までは行っているので、そこの崩しを少しずつ楽しんでもらえるといいなぁ…って思いながら、これまで積み上げたパーツの先にあるものも見てもらってはいるので、一緒に楽しめることがもっと増えていくといいなぁ。


自分も自分で課題をいただいていたりするので、それなりにがんばって、さらに楽しんで行こうと思う。


いい趣味だわ。ホントに。

挑戦しない限りは「その日」というのはやって来ない。


何をやっても無駄だからと言って、何もしないというのは、いつか来るかもしれない「その日」というものを放棄したことになる。




それじゃ、何かしらやっていたら、必ず「その日」はやって来るのかと言われたら、もちろん来るとは言えない。


それならやるだけ無駄じゃんってなるんだけど、あくまで結果論としてそうなっただけであって、それまでの過程すらすべて無駄だったのかと言われたら、そうではないはず。




あまりにも手が届かないものを手にしようとして、足元すらまともに見ることが出来ていなかったら、それなりの結果となるのは当然である。


手が届きそうなのに届かないのはなぜかと考えた時、自己嫌悪に陥るのはよくある話で、そこで全部を否定することもあるだろう。




本来であればああなっていたのに…


自己嫌悪に後悔、そして心が空っぽになっていく。これまでの自分も空っぽになっていく。


それじゃ、「その日」はその瞬間にしかないものかと言われたら、これまた必ずしもそうとは限らない。そこへ向けて挑戦をすればいいのだ。


しかし、その瞬間にしかない「その日」もある。だから挑戦をするのである。


結果的に、どちらの場合も「その日」を迎えるために挑戦をするという結論に達する。




他人から見れば、その挑戦は無謀とか無駄とかヌルいとか言われるだろうが、あくまで自分の「その日」のためにやっているのは自分なので、他人にとやかく言われる必要などない。そんなのただのノイズだ。


まぁ、世間の評価しか気にならないのであれば、八方美人になればいいだけだけど、その中では自分はただの器となっているだけで、偶像を評価させてまでやることなのかを、よく考えていかなければならないと思っている。

久しぶりにスケートでお散歩をして来た。お散歩と言っても、まあまあな距離がある。


コロナのアレの前からしばらく行ってなかったので、少なくとも40kmをスケートでお散歩するのは、すごく不安ではあった。


地元のサイクリングロードで10km滑ることが出来れば、路面状態が良い場所での40kmのお散歩ぐらいは楽勝っていうのは、前々からあったので、事前に調整をして様子を見ていた。


地元のサイクリングロードを滑るのも久しぶりだったので、かなり体力が落ちているのがはっきりとわかったんだけど、目安となる10kmはどうにかなっていたので、あとはのんびりペースで行けばいいやってノリで、久しぶりに40kmを滑ることにした。




行った先は…

茨城県の「つくば霞ヶ浦りんりんロード」というところで、「りんりん」って言うとだいたいの人なら岩瀬駅から土浦駅までの間の筑波鉄道の廃線跡の区間を指す。

これがちょうど40kmあって…
岩瀬駅から土浦駅までの高低差は50m半ばもあるので、全体的に下りとなる。



りんりんロードは桜がきれいなところなんだけど…
ちょっと早かったみたい。

おまけに…
家を出る時は大丈夫だったのに、岩瀬駅に着いたらこんな感じで路面が濡れてるってか、霧雨で困ってしまった。画像は岩瀬から5kmほど南側の雨引だけど、岩瀬の方がもう少し路面が濡れていた。

雨雲レーダーを見ながら1時間ぐらい様子見をしたけど、これ以上は待つだけムダってことで、腹をくくって出発。どうかコケませんように…



しばらくおっかなびっくりで滑っていたんだけど…
アスファルトがきれいな場所だと、スケートで横にズルっと抜けることがなかった…ってか、アスファルトがめちゃくちゃきれいでビックリした。本当に快適。

でも白線とかああいうのは地雷レベルでズルっと行く時があるので、そこだけは慎重に避けていた。

そんなだったので…
濡れた路面に慣れると、あまり体力も消費せず、あっという間に全体の4分の1となる10km地点の真壁に着いた。

ここも桜がすごくきれいなところなんだけど、やはりまだ早いって感じだった。雨が上がっただけでもよしということで、写真とインスタのストーリー用で動画を撮って、先へ行くことにした。



しばらく進むと…
アスファルト自体はきれいなんだけど、亀裂が入って段差が出来てしまい、その補修をしたあとがしばらく続いた。地味にきつめの段差だったので、これが結構足には負担となった。

段差の間隔もそんなになくて、またいで越える方が足に負担がかかりそうだと思ったので、無理をしない程度にゆっくりと進んだ。



そんな感じで、もう少しで半分ってところで、一般道の脇を通るところがあるんだけど…
これが…
劇的な変貌を遂げていた。元々は細かい石が転がっていて、雑草もちらほら生えている歩道だったんだけど、その歩道をきれいにして、さらに横には自転車用の道路も作られた。元の状態を知っている人からすると、本当に神対応。

かなりきれいになったので、ここがゆるい坂道だっていうのを初めて知った。北から南へ行くとかなり楽。



あと変わったといえば…
橋の上とかは、前は吸水用の舗装をしようとして、細かいツブツブを敷いていたようなんだけど、それがバラバラになってしまって、かなりひどいことになっていた。これも補修されてきれいにはなった。ありがたい。

きれいになったのは…
こういった案内板も、かなり親切になった。英語表記も入り、かなりの気合いの入れよう。トイレもかなり整備されていて、本気度が伝わった。



そんな感じで、かなりきれいになった40kmを休憩なしで滑った。
交差点もわかりやすくなったけど、自転車道側の一時停止が少しわかりづらいところもあったかな?自転車を死ぬ気でこいでいたら、気が付かないで突っ込んでしまう人がいるんじゃないかと思った場所はあった。

まあそもそもで、サイクリングロード側が優先で、交差する車道側が一時停止のところが結構あるんだけど、行った時は気を遣ってくれる車ばかりでありがたかったんだけど、必ずしも車が止まってくれるとは限らないので、本当に注意をしないといけないよなぁ…なんて思いながら、毎回行っている。見通しが悪いところもかなりある。



そんな感じで…
無事ゴール。

途中、写真だの動画だの撮っていたんだけど…
これまででニ番目に速かった。一番と8分差ぐらい。写真だの撮っている間も計測を止めなかったので、たぶん実質で一番速かったんじゃないかと思う。

天候と今回は若干風向きがよろしくなかった区間もあったので、条件が揃えば相当速く行けるんじゃないかと思った。それぐらいよく整備されたのだと感じた。本当にありがたい。



それで、前回はいつ行ったのか過去ログを見てみたら…
相当前なのね。それでこれだけ滑ることが出来たのは良かったと思う。



かれこれ15年以上前、スケートを始めて1ヶ月の真夏の8月に、このサイクリングロードを初めて完走した。

その時は暑かったのもあったんだけど、技術的にもまだまだで、結構派手にコケたりしたし、技術がまだまだだと体力が削られまくってしまうので、5kmも進めないうちに休憩を取ったりしていた。

その頃から比べると、片足で滑る練習は必ず左右両足はやるようになっているし、あと膝を鍛える目的もあって、けん玉は続けられているので、かなり楽にはなった。

一番は、こうした距離モノを滑る師匠みたいな人がいて、その人が「休憩を取ると余計に疲れるよ」って教えてくれたので、今でもそれを頭の片隅に入れている。

良い環境にいたのだとつくづく思う。



またチャレンジしがいのあるものが出来たので、少しモチベーション向上に繫がった。

無理をしない程度の目標が見つけられたのは良かった。

好きだからこそ…なことがちょっとあって、最初は歯がゆさのような感情があったんだけど、今となってはそんなものも薄れ、割り切った感じまで持っていくことが出来た。


ただ、それは強がりな独りよがりの上に成り立っているので、本意とはかけ離れたものであるのは確かだ。


しかし、そこで割り切っておかないと、そもそもの大事な部分が成り立たなくなってしまう。




自分で自分の生き方を窮屈にしているんだけど、自分の生き方が窮屈になるだけで済むのならば、それはかなり安い代償である。


そもそもの大事な部分は、それほど大事なものなのである。




ずっと自分の片隅にはいるもので、それがあるからこその自分でもある。


心からありがとうとしか言えない。


そういう感情が湧き立つことは、本当に幸せなんだろうと思う。