川崎市幸区らしい場所 其の弌 | ゑびすたろうのブログ

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さてと本日は、JR東日本『川崎駅』北口から歩いて15分ほどの場所にあるこちらの場所は、

ちょいと前のブログでも紹介した事のある2014年11月〜12月の二月間に3人の入居していた老人が部屋のバルコニーから転落死した『Sアミーユ川崎幸町(現在・SOMPOケア ラヴィーレ川崎)』で、

この事件の実行犯は当時この施設で働いていた『今井隼人』。

2018年1月から始まった裁判で『無罪』を主張するものの2018年3月に横浜地裁で『死刑判決』が下され、被告側は控訴するもの2022年3月に最高裁への上告が取り下げられた為、『今井隼人』の死刑が確定(現時点では未執行)。


まぁ、私の住む川崎市内でも特に治安が悪い川崎区(川崎國)と幸区(川崎國との隣接地域)は、21世紀になっても行政が手を入れない(入れるのが面倒な)場所でもあり、以上を要素を踏まえて周りの宅地とは違う消防法を無視したような場所が現存するのも、日本最小の政令指定都市で人口155万人、10,800人/㎢の人口密度を誇る川崎市のダークな一面でもある訳です。


という事で、今回の探索ポイントは前述した『川崎老人ホーム連続殺人事件』が発生した現在の『Sアミーユ川崎幸町』の周りに広がる一角となります。

因みにこの場所はJR東日本『川崎駅』西口から北東に650mの場所であり、徒歩でも約9分で到着可能な理想的な居住地区でもあります。


にも関わらず路地はご覧のように舗装されておらず、とてもJR東日本『川崎駅』西口から650mの風景とは思えないのですが、これが事実なので致し方なしでございます。

ちょいと広めの砂利広場に私の愛車であるママチャリ『マルキン号』を停めて、私の目の前に広がる風景はというと、

ご覧のような幅の通路で、正直な話をすると肩幅がそこそこある私はこの路地を正面から入ることはできず、ちょいと斜めに身体をずらしながら進まないとこの路地には入って行けないのでございます。


路地を入ると先程説明した極狭路地を中心に左右にこの手の路地があり、外の開く玄関扉が都合よく開いて玄関前にいる人に当たれば間違いなく怪我をする事確定の状況ではありますが、まぁ、御覧のように玄関までいくにも狭小の路地でありまた生コンでタイルを打ってはおりますが、基本は未舗装の土の道・・・

上の写真の玄関はまだ良い方で、殆どの家屋の玄関は砂利とコンクリ板を敷くのが御約束のようで、

屋外洗濯機や雨に濡れたらすぐ駄目になる合板の棚ら各種薬剤も裸で置かれているような場所でございます。


こちらはそんなヤバめの家屋同士隙間に当たる場所で、

正直な話、私の住む川崎市中原区ではまず見る事のない隙間感とゴミの山 ┐(´∀`)┌


こちらはママチャリ『マルキン号』を停めた砂利の広場の奥に建つ家屋で、まるで生活感を感じる事のない空き家と思われる状況ですが、昨年夏過ぎに訪れた時とまるで変わらず、どのような経緯です現状維持をしているかは不明ですが、

このような無人の状況で建つ建屋群が川崎市中原区と幸区のとある隣接地帯にもあるので、どうやらとあるベクトル(ここで書く面倒)絡みの建屋がこの付近ヤバめな建屋全てに該当すると思われるので、今度機会を作ってこの地帯の登記簿を調べてみたいと思います。


一通り探査が終わったので帰宅しようとしたら、こちらの薮に見覚えがあり、ちょいとiPhoneの写真を調べてみると・・・

同じアングルで撮影した写真を見つけることができ、この写真の撮影時期を確認すると撮影日は2015年11月29日で、今から約8年ちょっと前 ┐(´∀`)┌


この時はかなりヤバめな状態ではありましたが、かろうじて建つ小屋が確かにあったのですが、現在は完全に崩壊していて面影を見ることはできませんが、よく見ると小屋の建材の残骸が今でも薮と同化して残っている事が分かり、この小屋の持ち主は崩壊した小屋の撤去も行わずにそのまま放置していることを考えると、やはりここから数十メートル先に流れる『多摩川河川敷』の不法占拠住宅群(現在は(有)木下(朴)製紙原料しか存在しません)と何らかの関係があると考えるのが妥当なんでしょうねぇ〜っ ┐(´∀`)┌


21世紀でも路地に面した場所にある蹴れば一発で吹っ飛ぶような勝手口の扉が変えられずに残っていることを考えれば、空き巣すら寄り付かないそれなりの場所であるということなんでしょう。

実は前述した路地で撮影をしていたら、早口で怒鳴りつけるオバハンが出てきて、『写真を撮るなっ‼️』とヘンテコなイントネーションで文句を言われ、まぁ、それでもシカトして撮影を続けていたのですが、散歩をしていた女性に『ここは危険だから早く行ったほうが良いですよ』と助言をいただき、胡散臭いホルホルオバハンの喚き声には一切耳を貸さず、ママチャリ『マルキン号』に跨り、私に助言をくれた女性に御礼をして帰宅しようと自宅方面に向かっていると出てきたのがこちらの集合住宅‼️

細長い造りの建屋で、幅は車が三台並んだよりも薄く建屋前に自転車置き場があるようですが、ご覧のようにここ自転車を置くと植物によりカモフラージュが実施されるナイスなサービス付きのようです ┐(´∀`)┌

因みにこの建屋の名前は『幸町マンション』・・・

4階建の各フロアに行くには後付けだと思われる急傾斜、小半径の螺旋階段を上らないと行けないようで

其の螺旋階段に近づいてみると螺旋階段を上げるのを邪魔するように自転車が停められていたり、鉄製の階段がかなり錆びついていたり、階段の幅が狭すぎてすれ違いできない造りだったり、

昭和ミドルによくみた鉄製扉にポストが付いているタイプだったり、

後付けされたパイプ類が建屋一面を這っていたり、通路側の窓には昭和感全開の細い鉄板で作られた『面格子』が付けられていたり、

メーター類は交換されて綺麗ですが、基礎は砕け気味で鉄製の扉は錆びているなと、間違いなく昭和40年台のコンクリート製の集合住宅だと確信しちゃいました ( ̄ー ̄)

帰り際、道路側の1Fの部屋が見えたので覗いてみるとかなり気合の入ったリフォームしているみたいで、結構広めなのに少し驚いちゃいました。

自宅に無事に戻り、ちょいと先程の『幸町マンション』をネットで調べてみてもなかなか見つけることができず、根気よく調べてみるとついに発見‼️


それがこちらで、どうやら部屋は空いているようですが『店子』は募集していないようです。

そんでもってこの集合住宅の概要を調べてみると、建築年月は1971年(昭和46年)11月となっていて、説明にもあるように今年で築53年のヤバめの建屋であり、当然ですが建て替えをすることを踏まえて空いている部屋は新しい『店子』を入れないのは当然‼️

ついでなので、私が空室だったので窓から覗いた部屋はこんな感じの板張りのお部屋のようで、






賃貸可能時期の家賃が65,000円前後と、JR東日本『川崎駅』までの距離(約650m)を考えたら築年数はありますが、リフォーム済みのこの部屋だったら川崎市幸区のこの場所の特性を知らなければかなりお得な感じだと思いますよねぇ〜っ┐(´∀`)┌


まぁ、私は家賃が100円でも借りませんが・・・