8月10日の自転車散歩 其の貮 | ゑびすたろうのブログ

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さてと本日は、8月10日の自転車散歩の第二回目で前回お話しした小汚い階段の上のお話となりますが、写真や資料などを上げている関係でかなりの長編となりますので、長いのが嫌いな人はサクッと戻って頂いて結構でございます m(_ _)m

前述したように前回訪れたこちらの小汚い階段の上には

こんな感じの一角があり、正式には『川崎市川崎区(川崎國)駅前本町』と呼ばれる場所で、再開発の速度が指数関数的に加速している川崎駅周辺に於いて、今尚昭和な風景が残るには当然ながら理由がある・・・

因みに俯瞰的にこの場所を説明すると、JR『川崎駅』から直線距離で約50mほど東京寄りに位置し、

周囲が鉄筋建築物に変わっていているが、この場所は昭和から時間が止まってしまったように木造バラック建築物が寄りかたまっていらような場所だと言うことが分かると思います。

まぁ、川崎國という事もありわかる人にはわかると思いますが、この一角は在日半島人が集中して住む場所な訳ですが川崎の他の場所(幸区戸手4丁目・川崎区(川崎國)池上町)と違い、この場所は川崎市により1948年(昭和23年)に川崎東口駅前で『濁酒(どぶろく)』を密造し闇市で販売していた半島人を排除する為に用意された地区だという事。


そしてこの場所の通称は

『濁酒(どぶろく)横丁』・・・


因みに市電通り付近の不法占拠地から集められた一家庭に与えられた土地は約3〜5坪だと言われ、ここに移り住んだ半島人が始めたのが前述した『濁酒』の密造とこの当時は屠殺時に破棄されていた牛や豚の内臓を使ったホルモンをはじめとする内臓焼肉料理で、全盛期にはこの狭い一角に40軒程度のホルモン屋が軒を連ねていたと言われていました。


当然、酒の密造は違反な訳で今回の『濁酒横丁』も捜査対象になり、警察で始末書を書くのは在日半島人の女性というのも有名だったらしく、

なんだかんだで時が過ぎ、在日半島人の与えられた移動先であるこの土地は、川崎市から譲渡され現在至るというのがこの場所が再開発対象となってない理由だったりする訳です ┐(´∀`)┌


てな感じで取り敢えずこの場所の歴史的な経緯を説明したので、実際の『濁酒横丁』を見てみましょう・・・


この場所の創設当時は木造バラック建屋ばかりだったのですが、現在は鉄筋の建屋も存在するのですがやはり化粧(リフォーム)した木造の建屋もあり、こちらの建屋もしっかりと木造なのですが残念な事に窓ガラスが破られていたので、店内を覗いてみると・・・

鰻の寝所のようなクソ細い店で特に内装もなく、

昭和期によく見た天井高く位置する14型のブラウン管テレビを見ると、この店がいつから営業していないのかは容易に想像がつき

店奥にある暖簾の奥は扉で、全盛期には屋外に共同トイレがあったと思われるので、そこは行くためのドアなんでしょうなぁ〜っ┐(´∀`)┌

それにしても店の奥行きがなさ過ぎると思いませんか?


多分身長182cmの私が二人は繋がって寝れないので、奥行きは4m弱と言った感じ・・・


その廃墟化した飲み屋の更に多摩川寄りに進むと、

袖にこの辺りでは見ることのない樹木が茂り、その茂りに中に木造のちょいと大きめの建屋があり、昔は飲み屋だったと思われる昭和臭が残る外壁と店舗入り口と思われるシャッターはあるものの、

今ではその面影だけで、建屋前には店舗で使われていたと思われるモノが山積みとなっているのも、この一角が私有地という証拠だったりします。


さてこちらがこの『濁酒通り』のメインで、人が一人やっと通れる幅の路地の両面に幅一間もない店舗跡が密集している光景は、ちょいと川崎ではここだけ・・・

昔は『ヤ』の付く自由業の店が数件あって俗にいう『ノミ屋』だった事もあり、この細い路地に丸椅子を出して両方への睨みを効かせていたものですが、今はそんな店も無くなり本当に静かな風景になっております・・・

まぁ、ここが在日半島人がより固まって住んでいた証拠がこちらの教会で、

戦後、GHQにより敗戦国である日本にもキリスト教を布教させる事に力を入れたのですが、八百万の神がいる日本ではその努力も虚しく日本でキリスト教は相手にもされなかったのですが、朝鮮では戦前はもともと一部の貴族である両班(ヤンバン)と


その下の普通階級である中人・常民、あとは人間扱いしてもらえていなかった賎民の四段構造となっていて、


低階層の賎民に於いてはこの当時は宗教よりも『飯』が一番であり、食事が安定した戦後は進駐したアメリカ軍によりキリスト教が流行り、国民性も相まって日本でも問題になったキリスト系カルト教団がわんさかできた事もお分かりいただけると思います ┐(´∀`)┌

因みに日本の『ヤ』の付く自由業の輩の中には在日朝鮮人(現在の北朝鮮)出身者が多いのは有名な話で、おまけに暴力事件をよく起こすのも有名な話で、現在の日本のメイン『ヤ』の付く自由業者組織の幹部は、暴力よりも経済に特化した組織が多く、幹部に国立大学出がそこそこいるのも昔と大きな違いであり、『インテリヤ〇〇』が居なければ組織の存続が危ないのが21世紀だったりする訳です ┐(´∀`)┌


路地から見上げる空はとても狭く、クソ暑さはあまり感じられないものの、

何かあったら一発でショートして発火するような電線の収束部があったり、

何かのキッカケで簡単に落ちそうな雀荘の看板があったりする光景は、

やはり普通の人が立ち入ることのない、別世界の証拠でもあると思いまっす。

そんな半島臭が今でも漂う路地を川崎駅方面に抜けると出てくるのが、こちらの二軒のホルモン屋・・・

前述したように全盛期は四十軒ほどあったとされるホルモン屋も21世紀の現在ではこの二軒を残し、全て消滅しまった・・・


私が行った日は10日だったのでまだ盆休みではなかったのですが14時台という事もあり、こちらの『おなじみ』さんには人がおらず静かな感じで、

前回来た時にはなかった定休日の告知があったりして、コロコロ大魔王降臨時に比べて店が活気に溢れているのは確かなようです ( ^ω^ )


更に店の奥にある路地を進んでいくと『おなじみ』さんの路地の壁には、昔の汲み取り式トイレの跡である換気と明かり取りの為の『下窓』が残っていて、おまけにその前に下水のマンホール・・・

まぁ、これほど分かりやすいレイアウトはあまり見ませんが、やはり私有地だという龍がかなり大きいかもしれませんねぇ〜。


そんな『下窓』と『下水マンホール』を見ながら更に奥に進むと、現在のJR『川崎駅』から50mと離れていない場所とは思えない風景に遭遇・・・

写真右側の茶色い建屋は『おなじみ』さん向かいのホルモン屋である『三好苑』さんの厨房のようで、何やら慌ただしく仕込みを行なっているようなのでこれ以上進むのは辞め、前述の『おなじみ』さん迄戻り、更にJR『川崎駅』方面に進むと、目に入ったのがこの風景・・・

それがこれっ‼️

ちょいと大きめの建屋が全焼していて、辺りにはこれでこれ程の火災を消せるわけがないと分かる消化器が四本放棄されているのですが、実はこの火災が発生したのは昨年2022年11月19日であり、

あと数ヶ月でまる一年となるにも関わらず、当時のまま残されているのが普通の住宅街と違う訳で、下記に当時の『毎日新聞』の新聞記事の走りと、家事発生当時写真を添付しますが、

実は川崎市に住む私も当時はまるで知らずに、後日、地元の友人に『お前が気にかけてる駅前本町で一週間前に火事があって、一軒全焼で一人死んだらしいよ』と言われてビックリしたのですが、コロコロ大魔王降臨中という事もあり、また仕事も忙しかったのでなかなかくる事もなく今回ようやくやって来たのですが、まさか今でも残っているとは微塵も思わなかったので見た時は本当に驚きました‼️


前述したようにこの建屋では人が一人(女性)が屋内で焼死しているようですが、しっかりと屋内に入って調査するのが私のスタイルなので、特に立ち入り禁止の警告も無いので屋内に入らせていただきました d( ̄  ̄)

どうやらこの家屋、壁は煉瓦を多用しているようで、オール木造建屋と違い燃えたのは屋内にだけで二階の床も燃え落ちちゃってますが、壁等はかなり残っているのがよく分かりまっす。

それにしても鎮火後1年近く経つ割にはかなりの火災臭が今でも残っており、

火災発災当時の熱量の高さを感じます‼️

まぁ、施工は思ったよりもしっかりしていますが柱も針も決して太いものではなく、外観を残して鎮火できたのはやはり消防士のちからであり、

今尚放置された生活道具の残骸を含め一年弱撤去されないのは、

それなりの理由があるんだろうと想像できちゃいますよねぇ。


因みに写真の左側の建屋が全焼家屋、ほんの数十cmしか離れていない向かって右側の建屋は被害がないのはまさにミラクル。

取り敢えず当分壊される感じがしないので、定期的に見に行きたいと思います。


一通り調査したのでママチャリ『マルキン号』まで戻る途中、前述したホルモン屋『おなじみ』さんが入る建屋の入り口に貼られた

こちらの御札を見つけちゃいました‼️

この『立春大吉』の護符は禅宗を日本にもたらした『道元』という曹洞宗の坊さんが由来とされ、私はまるで興味がないので入手しませんが、『鎮防火燭(ちんぼうかしょく)』の効果があると知人に聞いたことがあります。


まぁ、三件横であれほどの大火があれば貼りたくもなりますわなぁ〜っ┐(´∀`)┌


なんだかんだで引っかかりながら無事にママチャリ『マルキン号』まで戻り、IQOSで一服やりながら『濁酒横丁』をバス通に面した場所から見てみると、この路地が終わる方面は既に終焉をむかえ、

JR『川崎駅』方面は、鉄筋の建物が新たに建てられしっかりと商いをしている店舗があることから、そう遠い未来ではない時期に一気に消滅してしまうような気がしてなりません・・・

既に何の為にあるのか分からない店舗跡には、

施錠もされずに不要な物が堆く積まれ、マッチ一本で前述した全焼建屋のようになるのは間違いなく、こんな風景を見せられれば、ここが間違いなく時間が止まった場所だということがよく分かります。

因みのこの『駅前本町』から見えるのは、都内もそれなりに問題がある場所を通りますが、やはり神奈川県内は私的には大嫌いで絶対に関わり合いになりたくない場所を選んでいるような『赤いホルホル電車』こと京浜急行線の『京急川崎駅』が徒歩で1分くらいのところにあり、

その駅前には『赤いホルホル電車』の駅には欠かせない駅前ラブホがあるのも、

京浜急行電鉄の御約束の風景でもあります ┐(´∀`)┌


まぁ、私は神奈川県内の『赤いホルホル電車』沿線に住む人を差別(ヘイト)しているというよりも

生理的に大嫌い‼️

という感情が強いので、これからもこの沿線に住む方(在日外国人&日本人)と接することは業務レベルを含め必要最低限しかないでしょう〜っ ┐(´∀`)┌



最後にこの『駅前本町』に住む方の姓氏を調べてみると

『安田』、『安岡』、『国本』、『大山』、そんでもって帰化していない『辛』などの方が住んでいるようで、共に在日半島人が帰化後に名乗る姓氏ばかりなのは当たり前のお話。


以上、全焼で人が一人亡くなった場所にも平気で入るゑびすたろうの川崎市による合法半島部落のお話でした m(_ _)m