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Gレコ、苦行の終わり

TV版のGレコ、初めて通しでみましたが最初から最後までズタボロじゃないですか。

映画で端折ってストーリーが寸詰まりになったわけじゃなくて、最初からストーリーなんかなかったのが分かりました。


意味がわからないとよく言われてますが、意味があってわからないんじゃなくて、何を語ったらいいのかわからない、ストーリーもどうしたらいいのかわからないのがバレないように、困った時のいつもの手で最終決戦でゴチャゴチャにして殺しまくって誤魔化してるんですよ。

むしろわかってほしくないんです。新しいアイディアが何もねえのがバレるから。


で、周りはなんとか商売を成り立たせてやろうとして、せめてプラモが売れるようにデザインをメカメカしくした結果、旧態然とした似たりよったりのモビルスーツだらけになって、目新しさが何もないの。

監督の久しぶりのガンダムを商売的に失敗させるわけには行かないという周りの頑張りが作品としては裏目に出た。

成功失敗をガンプラの売上で考える奴らに囲まれていたのが悪いとも言える。

それでも戦闘描写になるとそれなりに観れてしまうのは、いつものガンダム戦闘で見慣れてるいつものやつだから。手慣れているというか手癖で作ってるというか。戦闘になると面白いというの褒められてないですから。

ブレンパワードのときは飛行姿勢や戦闘描写がモビルスーツ的にならないように気をつけていたのにね。


どうせヒットしないんだから、ずっと監督が不満を抱えていたリアリティのない戦闘描写をやめて、ビームは曳光弾のようにピカピカ光って見えないとか、宇宙空間は完全無音で機体の振動はコクピットに音として伝わるとか、宇宙ではカメラがモビルスーツをフォローしても背景が全く動かないとか、正しいAMBAC機動の作画実験をやってみるとか、地上では爆発と爆音に時間差があるとか後進の演出家のためにやって見せて欲しかった。


宇宙船の中でやらせることが思いつかないからって、扇風機で髪を乾かすとか、保湿クリームを塗りっこしながら話し合いをさせるってひどすぎないですか。ストーリーの中でやりましょうよ。

暇なんだったらそれこそ歌ったり踊ったり、筋力維持のためのスポーツしたりするんじゃないですか。

宇宙船被ばくのデトックス効果はないけど。

娯楽作品は芸能が重要だとわかっているなら、アイキャッチで意味もなく踊らせるんじゃなくて、それもストーリーの中でやんなさいよ。

ホントは踊らせたかったけど作画の負担を気にして言えないとか、監督としておかしいでしょその判断。

富野監督が吉田氏に頼む! といえば寝ないでもやったでしょ。


メカニック描写もストーリー的な要請があってそれを助ける道具が出てくるんじゃなくて、なんかせっかくある武装の設定を使うためのイベントになってるんですよね。

ぼくがかんがえたさいきょうのへいき博覧会なんか見せられても、パーフェクトパック強すぎいい! 月光蝶とどっちが強いんだ! とか言ってんの富野信者だけですよ。

無理して盛り上がってるふりして信者も辛そう。

何を商品化しないバンダイはわかってない、とか信者は文句言うくせに、いざ出してやると買わねえんだよあいつら。


ルインがベルリを敵視する理由がわからんと言われてますが、僕はベルリとGセルフは見てるだけで憎しみが湧いてくるので、なんとかしてぶっ殺したくなる気持ちはめっちゃわかるんですよね。

イデオンとか火の鳥に対する反感に似たものが湧いてくるの。

ラスト前でルインとマニィさんが協力してGセルフを追い込んで、どうにか相討ちにもちこんだシーンはスカッとしましたね。

なんというか、「ガンダム」という存在に取り憑いてしまった希望とか憧れや、諦めきれない夢のようなものを、富野監督本人は全く感じてないんでしょうね。

Gセルフはリギルド・センチュリーにおける高機能で高性能な兵器もしくはギアでしかない。

本来道具としてのギアでしかないものが、宇宙と地球をつなぐギアになるとか、過去と未来をつなぐギアだとか富野作品的な「そういうものか?」という飛躍がない。


信者は、生まれも育ちもエリートの星の王子さまベルリに負け続ける被差別民出身のルインという構図に「昔の差別をいつまでも根に持つな。こだわりを捨てろ」というメッセージを受信するみたいですが、そんなふうに受け取られて富野監督は本意なんでしょうか。

あれは主人公と敵役という役割でそうなってるだけで、深いことは何も考えてないだけですよね。そんな差別の正当化みたいなこと書くわけないじゃんね。


ベルリくんは「なんか知らないボタンが付いてたからなんとなく押したら皆殺しにしてしまった」とか、過失致死が多すぎるんですよ。

うっかり足元でグライダー突っかけて人を殺したことにも気づかないやつ好きになれっていうのが無理。

富野作品にしては珍しく神の手で保護されているというか超過保護。

ラストシーンも登山するなら電動竹馬じゃなくて自分の足で地面に立って自分で歩けよ。

アレですか、自分の足で立てとか言ってモビルスーツ否定にならないためのスポンサー配慮?

どうしてもロボットで歩かせたいなら、最終決戦で負傷して両足がなくなったとかにすれば意味が出てきますけどね。


終盤で死んだ彼氏の声が聞こえるとかいうニュータイプ的な描写がありましたが、ニュータイプ的な感応と見せてただ彼氏が死んで心を病んだだけでした、というのは良かったですけどね。

あのいかつい女キャラ自体は良かったですが、彼氏が死んだことにニュータイプ的な直感で気づくんじゃなくて、戦闘後に1機だけ未帰還でどこの間抜けだと思ったら自分の彼氏でした〜とかいう普通の展開で何がダメなんでしょう。

もう便利なオカルト設定なしで話が作れなくなってんじゃないの。


人の思考を止めてしまうミノフスキー粒子とオカルト的なニュータイプ像を超えていかないと、新しくガンダムをやり直して世界観をリギルドしてレコンギスタ出来ないというのを再確認しました。


リベラル的な戸籍制度のヒントは企業の合併

日本のリベラル()は夫婦別姓推しらしいんですが、僕は夫婦別姓ってリベラル的な価値観には合わないと思ってるんですよ。

結婚するとどっちかの戸籍に入るということが伝統的な家族観だとも思いませんけど。

鎌倉幕府の源頼朝と北条政子なんか夫婦別姓の極みだと思うんですが。

日本史で氏と姓とか習いますけど、氏名と言ったり姓名と言ったり、日本人の名前って結局よくわからんじゃないですか。

北条政子は氏名で言えば平政子なのに北条氏と言ったり。

武士の家名のように名を上げたり氏素性を明らかにすることにメリットがあるから、結婚してもメリットのある方を名乗りたい、残したいから夫婦別姓で維持したいわけなんでしょうから、リベラル的というよりは封建的な発想だと思うんですよね。


じゃ戸籍制度っていうのは何なのかと言えば、徴兵のためです。

リベラルで左翼で戦争反対なら戸籍制度そのものをまず批判するべきで、氏と姓のブランド化に価値を見出し有利な方を名乗りたいという封建的な夫婦別姓を戸籍制度に組み込むのって、経済格差や出自による格差を強化するだけなんじゃないですかね。

しかも戸籍名をたどることで部落の出身だとかわかってしまう機能は温存されるわけでしょ。

最終的には階級社会化と差別の固定化に繋がる気がするんですが。


戸籍制度をリベラルにアップデートするには、各自が結婚の際に新たに名乗って登録できるようにするのがいいと思うんですよね。

ハンドルネームくらい適当に名乗れてこそリベラルでフリーダムなんじゃないですかね。

名前に社会的・ブランド的な付加価値を見出すなら会社の登記と一緒にすればいいんです。

名前に社会的メリットを感じて名前の由来を残したいなら、あいおいニッセイ同和損保みたいに全部くっつけりゃあいいんですよ。

鈴木さんと佐藤さんが結婚してお互いの名前を残したいなら鈴木佐藤というふうに残せばいい。

佐藤鈴木さんが田中さんと結婚して、佐藤鈴木田中に。


パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラなんとかピカソとか名前がクソ長くなって不便なら新名を名乗ればいい。


自由にしすぎて日本人の名前にアルファベットやアラビア文字が混ざったりするのが嫌だ、読めない名前は困るとか思ったリベラルなあなた、割と保守的ですね。


戸籍のデータベースの文字数で容量食ったり、データ保存の形式をどうするんだ、記号や半角はどこまで許すんだと心配をした人とは話し合えそう。


なんてことを会社の合併の失敗を破談と言ったりするホンダと日産の件で思いました。

「間違え」

近頃、「間違い」を「間違え」と書く人がどんどん増えているので、そのうち間違えで間違えジャナインダー!!m9(^Д^)プギャーが優勢になるんでしょうね。

なんか気持ち悪くないですか。


「大丈夫」の乱用も気になるんですよね。


「レジ袋お付けしますか?」

「はい、大丈夫です」


このやり取りで要るのか要らないのか分からないのは、僕がおかしいんですかね。

日本語を学んでいる外国人は、日本人が乱発する「大丈夫」についてどう思ってるんですかね。


そんな大丈夫だけで大丈夫か?

大丈夫だ。


「大丈夫じゃない」の意味で「大じょばない」は定着しなくてよかった。