す
紀伊國屋サザンシアターには
苦い思い出がある。
東口の紀伊国屋ホールには何度も行ったことがあったが、紀伊國屋サザンシアターは初めてで、思い込みというのは恐ろしいもの、一度あの本屋の上の紀伊國屋ホールとインプットされてしまうと、チケットを見ることもなくその会場にまっしぐら。
係員に
「ここではなくて…」と説明されたときには、もう時間もなくて頭は真っ白。
タクシーも捕まらなさそうだし、係員は
「走っていったほうが速いですよ」
と言ってくれて走った走った。
思ったより遠くて汗ダクダク。もちろん もう始まっていた。
それからチケットを確認するようになった。
いつも南口の高島屋から面倒なルートで行っていたが、
時間があったから線路に沿って、高島屋に沿って、紀伊國屋のビルまで歩き、エレベーターに乗った。分かりやすい。これからはこのルートがいい。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240522/21/yahhoyama/f1/19/j/o0810108015442109645.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240522/21/yahhoyama/7f/0c/j/o0810108015442109646.jpg?caw=800)
昨日の地球ゴージャスの演劇も 初めの頃は意味がわからなかった。
それでネットで「オットーと呼ばれる日本人」を検索してみたら、なんと とーっても
難しそう。
おまけに普通の演劇なのに
3時間40分とは何事ぞ!
途中休憩2回…長い
劇団民芸は昔 若い頃、同じ職場だった友達が好きで、
一緒に「民藝の会員」に入ろうと誘われて、かなりの年数は行って見てきた。
まだ日色ともゑも、樫山文枝も若くて、奈良岡朋子、北林谷栄、滝沢修、宇野重吉も大活躍していた。
新宿から板橋に職場が変わってやめた。民芸は私には難しかったし、あまりおもしろくないものが多かった。
地域の演劇鑑賞会で一・二年に1度民藝の舞台を観るくらいになってしまった。
横道にそれたが、内容であまり書くことがないのです。
3幕の内、1幕は ほとんど、うつらうつらしてしまって
わからなかった。
なんと私の両隣の人は完全に寝ていた。
こんな難しい演劇を自分では買わない。
都民劇場の選択肢に入っていて、
時間と日程の関係で消去していったら残ったのだ。民藝さん ごめんなさいね。
ふと気付いたが、なんと男性が多いこと。
それも年配の。
普通演劇やミュージカルはだいたい女性が席を占めている。半分といっては言い過ぎだがおまけして半分と言える。
珍しい光景だった。
二幕目からはちゃんと見たが 、室内での会話劇が続き、
それも戦争前夜から、
中国への侵略や太平洋戦争へ向かう不穏な政情の話ばかりで
そういうのに疎い私にはなかなかついていけず、理解もままならなかった。
ただ日本を悲惨な負け戦にさせないように、早く戦争が終わるように、日本人として誠心誠意尽くそうとしたオットーと呼ばれた日本人がいたと言うことは分かった。
最後はやはり治安維持法で捕まった。
木下順二の演劇はいくつか見たが
これは難しかった。
報道の自由度がかなり低い日本の現実や、A.I.による武器の開発、使用などを考えると、 今こそ上演しなければならない演目だと、民藝はきっと考えたのだと思う。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240522/21/yahhoyama/9c/2b/j/o1080081015442109656.jpg?caw=800)