2024/03/22 「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たちのドキュメンタリー映画を見て | つっちーの日々

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「生きる」大川小学校  津波裁判を闘った人たち…の映画を小さな映画館で見た。

どこから書いたら良いのか…
なるべく大勢の人にこの映画を見てもらいたいと、強く思った。

3.11の東日本大震災の時の大川小学校の津波悲劇を知らない人はいないだろう。

だが、我が子を失った遺族と弁護士とが命を削る思いで闘った裁判のドキュメンタリー映画は涙なくして見られれなかったが、日本の防災と学校教育の未来のためと日本の裁判について大勢が知るべきだと強く思った。

「学校を子どもの命の最後の場所にしてはいけない」

全校児童の約7割の74人の児童と10人の先生が津波で亡くなった。
こんな学校はない。

冒頭、担当した弁護士が
裏山から概要を説明してくれた。
学校が真下にみえる。
一分で裏山の津波到達点まで行ける。

なのに50分位校庭に留まらされた。

「天災だったから仕方ない」
という石巻市長の発言に
「天災ではない。先生たちが、すぐ裏山に登れと言ってくれたら全員が助かった」
と裁判をおこした。

行政側の説明には嘘や隠蔽がある。
事実と理由が知りたいという保護者たちの強い思いがこの映画に凝縮されている。

その全記録だ。

一人助かった遠藤先生も
保護者説明会で責められ、精神的にも病んでいるようだった。肝心な所の説明はしていない。

今日は幸いなことに弁護士の吉岡和弘さんとプロヂューサー2人がアフタートーク
に来てくれた。

私は一番前の席で大きくうなづきながら聞いていた。

吉岡弁護士の話は説得力があった。

どちらも画期的な判決で勝訴した。
第一審と第二審の違いはどこにあるのかの説明…

第一審では…現場の先生たちが裏山への避難を選択していたら助かったという先生たちの判断が間違っていていたという裁判の判断。

第二審は、1年前に遡って、
そこで避難径路、避難場所、備蓄品など災害に対して具体的な対策がなされ、人々に周知されていたら悲劇は起こらなかったという、組織的なミスを問題にした判断裁判。

日本の裁判は、最後に最高裁でひっくり返ることが多い。でもこの裁判では最高裁は上告を棄却した。

映画を見ても分からなかったことが弁護士の説明でよりはっきりした。

たしかにマニュアルには
裏山でなく三角地帯が避難場所になっている。

マニュアルに収まらない災害が起こるのだという認識はなかった。

裁判は勝利したが、原告は74人の保護者のうち二十数人19家族。お金をもらっていいな!とか、子どもの命をお金にかえた!とか、誹謗中傷を受け、脅迫までされたらしい。

この裁判をおこした保護者と、弁護士と、監督、プロヂューサーは本質が、原因が、どこにあるのかをはっきりさせたかったのと、これからの日本の未来のために、
二度とこういう悲劇、人災が起きないためにたたかい、証拠を集め、情報交換しあってきたのだ。

子どもを失った親たちの絶望的な悲痛な声が心に刺さった、

ある教授が
「もしこの判決がなかったなら17000人の犠牲者を生んだ東日本大震災は日本社会に何も教訓を残さなかったと思う。
こ判決は大川小学の子どもたちと日本社会が変われる第一歩になる判決になると思う」とコメントした。

写真オッケーと言われて撮った。パンフレットも買って弁護士のサインももらった。




これを友達にすすめる使命があると感じてしまった。




初めての小さな映画館に感謝する。