ヨーロッパにおける火縄銃の歴史 | 『日本史編纂所』・学校では教えてくれない、古代から現代までの日本史を見直します。

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従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

ヨーロッパにおけるの歴史。

発明と初期の改良
15世紀前半にヨーロッパで火縄銃が発明さた。
最古の記録は1411年のオーストリア写本「Codex Vindobona 3069」にZ字型のサーペンタインロック式が見られる。
技術の進化
火縄銃は徐々に改良され、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパで広く採用された。
点火方式の変遷
初期の火縄銃はマッチロック式(火縄式)で、火縄を挟んでおいて引き金を引くことで点火した。
後に鋼輪式(ホイールロック式)やフリントロック式などの点火方式が開発された。
これらの銃の火薬は黒色火薬だったがB火薬が発明され弾丸の様式にも変化がもたらされた。

B火薬(またはビエーユ火薬)は、最初の無煙火薬として知られている。この火薬は1886年にフランスの化学者ポール・ヴィエイユ(Paul Vieille)によって発明された。

 当時、ニトロセルロースは新しい火薬として期待されていたが、不安定であったため、実際の火薬として使用することはできなかった。しかし、ポール・ヴィエイユによって初めて安定化させることに成功した。
 B火薬は、ニトロセルロースにエタノールとエーテルを加えて柔らかくし、薄いシートに丸めて裁断するか、型によって押し出して形成する方法で作られた。

 当時のフランスで使用されていた黒色火薬(Poudre N)よりも強力で、煙の量が少なかったため、使用者には戦術的な利点をもたらした。フランス政府は後にB火薬を採用し、新しい8mmカートリッジとライフル(ルベルM1886ライフル)を導入した。B火薬は初速の向上、射程の増加、携行弾薬量の増加をもたらしました。
しかし、揮発性の溶媒が蒸発するとB火薬は不安定になる傾向があり、多くの事故が起き、1890年代には、より安全な無煙火薬(例:コルダイト)が登場し、B火薬は使用されなくなった。

 世界で初めてB火薬と呼ばれる無煙火薬の使用を前提として新規開発された8mm×50R ルベル弾を使用する銃として開発された。この銃が与えた影響は大きく、すぐに世界中で同様の無煙火薬を使用する銃が開発されることになり、黒色火薬を使用する銃を一気に旧式化させた。

前身であったグラース銃 (M1874) が単発銃であったのに対して、ルベルM1886小銃は当初銃身と平行して8発の弾薬を装填できる管状弾倉(チューブ型弾倉)を装備した。
この方式の弾倉は数多くの弾薬を装填できる反面、弾頭が前の実包の銃用雷管を突いて弾倉内で誘爆する事故を防ぐために、弾頭の先端を丸くするか、平たくする必要があった。
引き金の右上にカットオフレバーがあり、これを操作すると弾倉からの給弾機構を停止することができた。これにより、弾薬を毎回手で薬室へ挿入する単発と、弾倉を使った連発とを選択できた。

同時期にルベルM1886小銃を参考に開発された二十二年式村田連発銃も同じ轍を踏み、程なくして有坂銃系列の三十年式歩兵銃に置き換えられて極めて短期間のうちに姿を消していったのに対して、
ルベルM1886小銃は8mm×50R ルベル弾の弾頭を尖頭型に変更したBalle D弾に変更して命中精度を確保することになった。

このBalle D弾は雷管がやや深めに埋め込まれ、雷管カバーが肉厚になった。さらに薬莢のリムとネックの間に角度が異なる二段階のテーパーが設けられ、薬莢底部の雷管の周囲に環形の溝が刻まれるという、
製造に手間がかかったものであった。

8mm×50R ルベル弾は強くテーパーがかかった形状のため、固定弾倉へ挿入する際に弾丸の先端が頭を下げた姿勢となり、ここが一発前に装填された弾薬の薬莢底部溝にはまることで、雷管を誤って突くことなく固定された。
今日市販されている尖頭弾頭の8mm×50R ルベル弾にはこのような安全対策が施されていないため、同銃に複数発装填することは推奨されない。

このような対策を施した結果、ルベルM1886小銃の命中精度は改善され、箱形弾倉に改良された後継のベルティエ小銃が登場した後の第一次世界大戦でもフランス軍の主力小銃であり続け、
遅くは1930年代まで使用されることとなった。
後年、 日本でも帝国海軍ででB火薬が使用されたが、それは、日本海軍の戦艦「三笠」はB火薬を使用していた実態が在る。
引用参考文献「世界銃砲史」著・岩堂憲人