終活を愁活に変えて生きる老後 | 『日本史編纂所』・学校では教えてくれない、古代から現代までの日本史を見直します。

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従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。


終活を愁活に変えて生きる老後

  老生、男の終い支度として、身の回りの不要な物をほとんど捨てた。
月日が流れ、やがてそれは何年もの歳月になり、人並みに様々な喜びとドラマと落胆と希望からなる人生が過ぎていった。そして、今、人生の頽齢期を迎えて、なんの恩寵あってか、数々の愚行を重ねてそれでもなおかなり恵まれたものだったと自嘲しつつ過ごす日々である。

  先日、テレビで毒蝮三太夫氏が良いことを言っていた。それは「終活」では命の終わりを意味し、寂しい言葉だと。
年をとってもいじけない、意固地にならない、素直で色気のあるジジ、ババでいたいという意味で「愁活」を提案すると。
含蓄のある言葉で、老生もこれに加え「人に迷惑を掛けない」を実践している。

   さて、そこで捨てた物は洋服、靴、腕時計、カメラ、猟銃、ライフル銃、車、アクセサリー、蔵書、刀剣、釣り道具、絵画、レコード、ゲーム、モデルガン等々。
こうして見返せば、無くとも実生活には何ら痛痒を感じないものばかりである。
その中に趣味で作ったプラモデルや各種模型が数百点在る。
多くの作品は「暇つぶし」の要素が強いが、ジャンルは纏まりがなく目につくもの、興味がわいたもの手あたり次第作った。
プラモデラーの世界では有名な俳優の石坂浩二氏は、同じものを二つ作ると述べていたが、老生は数にこだわらず気が向けば何点でも作った。

 そして、図面通りや自由気ままに感性のおもむくまま、塗装や大きさの異なる物も多く作った。中でもやはり艦船、航空機、戦車などが多い。それは、武器の歴史的背景と戦史への興味と好奇心を満たす部分も在ったからである。

   飛行機模型の醍醐味は何といっても「エンジン製作」と「コックピット製作」にある。
普段は見えない場所に、複雑精緻な機構をチマチマと作り、悦に入っているのだから、自己満足の最たるものだろう。
さらに、方向舵や昇降舵を可動させると、一層リアル感が出る。
ゼロ戦などのプロペラを回すため、図面に無いエンジンに極小モーターを取り付け、燃料増槽には電池を組み込み配線するなどした。 時を忘れエモーショナルな空間で製作に取り組んでいた濃密な時間が今は懐かしい。
  その他、高価なポケールの金属模型やウッディジョーの帆船模型も、一括して業者に綺麗さっぱり全て引き取ってもらった。
その量はトラック一台分もあり、業者はYAHOOやメルカリに出品し、後日聞いたところではよく売れていると報告が在った。
帆船やポケール製作には、特殊な工具や、数千点の部品仕分け用装置も必要で、値段も張る。
「高価だから」「思い入れがあるから」と迷って残すと、死後に家人や子供に負担がかかる。未練を残さないことが大切。


プラモデルなどというシロモノは興味のない人間にとってはただのプラスチックの厄介なゴミにすぎない。
 ただ、比較的印象に残っている作品は画像としてクラウドサーバーにUPし保存してある。
 これはその中の数点だが、当ブログの「小難しい文章」の合間の一服としてお許しいただきたい。
武器はどんな綺麗ごとをいっても紛れもない「殺しの道具」でしかない。しかし小は拳銃やナイフから戦艦大和まで、その機能と美しさが一致した究極の造形美は事実であり、なんとも不思議で皮肉な人間の性(さが)である。
なお、作品のほとんどはリアルさを追求するシャビーや「汚れ技法」はできるだけ使わない。
武器が綺麗だということは、戦争がないということだから。