『武士道の歴史』 | 幕末ヤ撃団

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勝者に都合の良い歴史を作ることは許さないが、敗者に都合良い歴史を作ることも許しません!。
勝者だろうが敗者だろうが”歴史を作ったら、単なる捏造”。
それを正していくのが歴史学の使命ですから。

2023年冬のコミックマーケットで発行した同人誌『武士道の歴史』の通信販売開始のおしらせです。

 

 本書は、2023年冬のコミケ103にて頒布した同人誌となります。本書の目的は、武士道の歴史を古代から昭和期の第二次世界大戦まで通史的視野で俯瞰し、武士道とはどのような思想精神なのか概説することです。

 主として当ブログ等で探求してきた「武士道論」を中心に、本という形にしたものでもあります。以前、当サークルで頒布した度同人誌『武士道の明治維新』(完売)があり、この本で武士道のザックリとした概略を説明していたのです。しかし、その本も完売から何年も経ち、頒布中の既刊本に武士道の概略を説明したものがないということへの不便さを感じていたのですね。

 新選組を題材に、武士道の探求を進めるシリーズを続けてきましたが、それも戊辰戦争の時代に入ってゴールが見えてきました。今度は、論じてきた新選組の武士道が日本史としてどのように位置づけるのかという問題が出てきます。これまでは、あくまでも江戸時代末期に絞って論じていれば良いわけですが、それでは見えてこない武士道がどうしてもある。そもそも武士道はなぜ生まれてきたのか?。平安時代と戦国時代、江戸時代の武士道は具体的にどう違うのかという部分です。幕末はせいぜい15年前後の混乱期なので、思想精神が変化するには短すぎるんです。だから、大きくは変化しない。しかし、通史的に見るとは、100年単位で見ると言う事であり、社会の変化によって武士道も大きく変化していく姿を見ることができます。

 ただし、ページ数の都合もあってすべてを説明することができないので、あくまでも時代時代の武士道の変化と特徴を簡単に説明した概説となります。新選組の武士道シリーズが終わったら、順次時代ごとにきめ細かく武士道を探求する本のシリーズをはじめたいと思っておりますので、本書はその叩き台となる本として作成しました。

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↑『武士道の歴史』本文

 

本当の武士道を知ること

 武士道は、武士の倫理道徳や思想精神を指す言葉として有名だ。しかし、そこには常に胡散臭さが付きまとっている。
 なぜ胡散臭く感じるのかと言えば、戦前の日本では武士道を日本独自の大和魂、民族精神として天皇への忠誠心を養ったという経緯があるからだ。現在もなお右派思想を持つ人々によって、武士道こそが日本の美しい精神と広められ続けているということもあろう。
 さらに戦前、武士道書『葉隠』にある「武士道とは死ぬ事と見つけたり」の文言も、天皇のために戦って戦死することを賛美する格言として利用されている。このように武士道は特定の思想や軍国主義、国権主義を正当化するために利用された。このため民主主義を正しいものと受け止めている我々は、そこに胡散臭さを感じてしまうのだ。
 例えば戊辰戦争での会津白虎隊の存在は、国に殉じる精神として美化、喧伝された。そのことは日中戦争の最中、「国家総動員法」発布と同じ昭和十三年に出版された書籍、『会津全書』からも読み取れる。この本の序には、「戊辰の役に発揮された會津魂は即ち日本精神の華である」とあり、続けて「明治戊辰の役に於ける會津白虎隊の壮烈悽愴を極めた殉國美談は、夙にあまりにも有名であるが、老・幼・男・女四民擧つて奮い起ち、銃後の結束は勿論牢固、擧藩國難に殉じ、君冤を雪がむの義心に燃えて、茲に期せずして眞乎の総動員が立派に實現していたことは、またあまりにも世に知られて居らな過ぎる。(中略)国家総動員計画が将に具現されむとして、果然――
會津を見直せ!
會津魂を再認識せよ!
の聲は膨洴として起り来つた。この「世紀の要望」に譬へて筆を執つたのが乃ち本書である」とある。(『会津全書(石川政芳編・マツノ書店復刻)』一頁)
 戦時体制下の日本で発令された国家総動員法を、戊辰戦争時の会津藩が行った総力戦体制に見立て、会津藩士や白虎隊の精神、会津武士道精神をもって戦争を遂行しようする姿勢が見られよう。

 この会津白虎隊精神が、実戦に活用された例があるので紹介しておこう。昭和十六年十二月八日、日本海軍がハワイ真珠湾を奇襲、太平洋戦争が始まった。

(中略)

 こうした事例から、戦前の国家総動員体制のなかで、白虎隊の精神たる会津武士道精神は、忠君愛国の精神、国家に殉じる軍人精神として機能したことが理解できる。そして、その武士道は軍人の使命として死を選ばせ、死地に赴かせる働きをした。

 ところが、江戸時代の武士道は、このような「死ぬ」ことを前提とする精神ではない。先に述べた武士道書『葉隠』でも、有名な「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」と確かにあるが、それに続く文章は「毎朝毎夕、改めては死に〳〵、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生を越度なく、家職を仕果すべきなり(『葉隠 上(和辻哲郎・古川哲史校訂・岩波文庫)』二三頁)だ。江戸時代の武士教育に用いられた『武道初心集』でも、「武士たらんものは正月元日の朝雑煮の餅を祝ふとて箸を取初るより其年の大晦日の夕に至る迄日々夜々死を常に心にあるを以て本意の第一とは仕るにて候。死をさへ常に心にあて候へば忠孝の二つの道にも相叶ひ万の悪事災難をも逃れ其身無病息災にして寿命長久に剰え其人がら迄も宜く罷成其徳多き事に候(『武道初心集(大道寺友山著・徳間書店)』一九頁)」とあり、武士として死ぬことではなく、生き続けることが前提となっている。前述の二書は共に「死の覚悟」を武士精神の基本とするが、なぜそうすべきなのかと問われれば、武士として正しく、ミスなく、恥なき一生を生きるためとなろう。
 しかし、戦時下の日本で普及した武士道は、生きるためではなく死地へ向かわせるための思想精神になってしまっている。なぜそうなってしまったのだろうか。

(『武士道の歴史』本文より抜粋)

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 本書を書く上で、もっとも注意したことは”根拠となる史料を明示すること”です。とかく武士道というと主観的に論じる人がこれぞ武士道だと思うことを過去の事例から説明することが多い。しかし、それでは所詮論者の武士道の普及でしかなく、歴史研究に用いることはできない。ぶっちゃけ「無から生まれた個人の武士道」を論じられても困るわけです。キチンと歴史のなかで息づき、武士たちが実際に用いた武士道を説明できるよう、根拠を明示して論じたものが本書となります。

 たとえば……平安時代の武士道精神のひとつ「兵(つわもの)の道」のなかで、武士たちは自身の名「武名」を大切にしていましたという説明に関し、その根拠として……

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将門が本格的に反乱を起こす前、将門は叔父に当たる平国香と争い、これを死に追いやっている。国香の子、平貞盛は京都から急遽常陸に戻って父の跡を継ぐのだが、最初は将門とは争わず、協調路線を取ろうとした。国香の兄弟で、貞盛りから見れば叔父にあたる平良兼は、貞盛に「斯れ其の兵(つわもの)にあらざる者なり。兵(つわもの)は名を以て尤も先となす(『将門記(林陸朗校注・現代思潮社)』六四頁)」と諭し、父の仇である将門と戦い続ける道を貞盛に選ばせている。父の復讐もせず、将門と協調することは敵に媚びる行為で、兵(つわもの)の名(武名)を落とす行為に外ならない。そのようなことをすれば、坂東国香流平氏の下にいる地方豪族や郡司層は、将門を頼るようになって坂東国香流平氏の勢力は衰えるだろう。国香流平氏の弱体化を防ぐには、将門と戦うしかない。
 さらに武名に関しては、将門自身も弟平将平から新皇を名乗ることを諫められた際、こう語っている。「武弓の術は、旣に両朝を助け、還箭の功は、且短命を救ふ。将門苟も兵の名を坂東に揚げ、合戦を花夷に振ふ。今の世の人、必ず撃ち勝てるを以て君となす(『将門記(林陸朗校注・現代思潮社)』一一〇頁)」と。武芸の腕とその武名が、地域の治安を維持し安定させる。実際に武力を動かして合戦に勝ち、地域の治安を守れる力を持つ者を人々は支持するのだと将門は言う。逆に言えば、地域の治安や秩序を守れない力なき天皇や朝廷は、主君・支配者たる資格なしということになる。

(『武士道の歴史』本文より抜粋)

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 というふうに根拠史料を明示し、当時の武士たちが実際にこうした思想精神をもっていたことを証明しながら、論を進めています。この将門の語る精神の延長上に、鎌倉幕府を開いた源頼朝をはじめとする坂東武士の精神がある。官軍たる平家が攻め寄せ、自分たちが賊軍だとしても恐れず、平家を迎え撃つ精神へ成長していくのです。そして北条義時が承久の乱で官軍を撃破し、後鳥羽上皇を島流しとし、仲恭天皇を退位に追い込んでいく。天皇朝廷何するものぞという鎌倉武士精神になるわけです。

 特に第二次世界大戦・太平洋戦争における日本軍の「特攻作戦」に関しても、同様に史料を明示してどのような思想で特攻精神が生まれたのかまで論じております。そこから、武士道という思想精神は”生きるために必要だった”のであり、決して”美しく世界に誇れる”ようなものではないことが理解できるかと思います。

 世界に誇れる武士道というものは、その多くが世界に通用するものとして、明治維新後に”武士道を改変して作られた”ものなのです。その代表書が、キリスト教徒だった新渡戸稲造が、”キリスト教道徳に反しない”形で生み出した武士道書が『武士道(新渡戸稲造著)』なのです。キリスト教徒に受け入れられるような道徳に改変された武士道なのですから、そりゃキリスト教圏の欧米社会で受けがいいのは当たり前なんです。ですので、新渡戸武士道は明治時代の武士道としては本物ですが、江戸時代の武士道とは全然違います。江戸時代の武士道を知りたいならば、明治期に書かれた新渡戸武士道ではなく、江戸時代に書かれた『葉隠』や『武道初心集』を見るべきと考えます。なぜなら、江戸時代はキリスト教は禁止されてたわけですから。

 そして昭和期の戦争中は、明治武士道の忠君愛国精神を協調した武士道に変化していきました。天皇に忠義する。天皇のた、えに戦って死ぬ。国に殉じる精神、死の美化がはじまります。ことさら会津白虎隊や楠木正成ら”国のため、主君のために死した人々”を褒め称え、見習おうという精神の武士道になって行きます。昭和期に出された日本陸軍の精神書『戦陣訓』のなかに、「第八 名を惜しむ」と題して「恥を知るもの強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ(『昭和の武士道 悪用された戦陣訓(武光誠著・河出書房新社)』一七九頁)」とあり、これが降伏を拒否し、玉砕特攻を行う精神になっていきます。

 こうした武士道精神を、古代から通史的に見、その変化を知ることが武士道の本質に迫る手っ取り早い方法だと思っています。そして本書を叩き台として、次は各時代時代の武士達の生きる姿をきめ細かに見ていき、武士道をさらに深く掘っていきたい。その第一弾の概略説明の本として作成したのが本書となります。

 

タイトル:『武士道の歴史』

発行日:2023年12月31日

価格:200円

体裁:32ページの手作りコピー本(私がコピーセンターでコピーし、折ってホッチキスで留めました)

 

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