行方新選組まつりと鴨忌 | 幕末ヤ撃団

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勝者に都合の良い歴史を作ることは許さないが、敗者に都合良い歴史を作ることも許しません!。
勝者だろうが敗者だろうが”歴史を作ったら、単なる捏造”。
それを正していくのが歴史学の使命ですから。

今日は、芹澤鴨の出身地とされる芹沢村(行方市)で芹澤鴨・平間重助・お梅さんの法要があるということで、参加して参りました。

 芹沢本家菩提寺の法眼寺です。毎年ここで鴨忌が行われております。去年私は行かなかったので、久しぶりの参加となりました。

ま、なんちゅーか、私が「行方観光史学に手を貸す輩」の一味だという噂もあるようですが、私は単なる一般人で、招待されるような立場ではないし、むしろ”ワカサギ甘露煮大量購入だ-!”とお金を行方に落としてくるだけですので(苦笑)。私の財布が薄くなることはあっても、厚くなることはありません。

 法眼寺の門の横にある、芹澤鴨・平間重助・お梅さんの顕彰碑です。

 

 さてさて、当然のことながら、このお寺に芹沢家と平間家のお墓もありますので、手を合わせてきました。

 平間重助の後を継いで、平間家当主になった平間忠衛門のお墓です。

 そして、芹沢本家累代のお墓です。横には「芹沢外記」と記された墓石もありました。それぞれにお参りを致します。

 

 この法眼寺は、土地の名士である芹沢家が創建し、菩提寺としており、それが記された碑もあります。

 

 ちなみに、この場所は「芹沢城」の城址でもあります。芹沢家は中世には城まで持つ武将だったりしますので。なので……。

「芹沢城址の碑」もあったりします。

上記写真が、その案内版です。

 

 この芹沢城の跡地に、芹澤鴨生家跡もあります。

 高台から覗いてみましたが、今はサラ地なのですねぇ……。昔は家が建っており、表札には「芹沢外記」と記されていました。

上記写真が、芹澤鴨の案内版です。

 

そして、平間家由来の碑がある祠もあります。

 上記祠の横に建つ平間家の碑です。なかなか興味深い内容が記されてありました。

鴨忌が終わったあと、研究家のあさくら先生と共に、かすみがうら市歴史博物館で開催されている「新選組隊士・三木三郎のその後展」を見学します。鈴木三樹三郎ですね。字が違うから同姓同名の別人だとか、根拠もなく言わないようにね(苦笑)。

 

 近藤勇を信じていた永倉新八同様、三木三郎も兄伊東甲子太郎を信じており、その顕彰に尽力していたとのこと。でも、若いころの彼は、なかなか「不良」であったらしく、遊び呆けて跡を継いだ塾を潰してしまったり、何かやからかして家から追放されたりと、なかなかスクールウォーズ的なことをしていたっぽいです(苦笑)。まぁ、新選組に入ったあとも悪友の篠原泰之進と”悪い事してるでしょ(甲子太郎)”→”あーうー(三木三郎&篠原)”という感じだったような気がしないでもない。

 この特別展を見終わったあと、あさくら先生と共に鈴木家関連のお墓調査にお付き合いさせて頂きました。お墓の写真は掲載しませんけども。んで、私が行きたかった場所の一つ「志筑藩の陣屋跡」でもある「志筑城跡」へ。伊東甲子太郎と鈴木三樹三郎はこの藩から出てきました。

 かつては学校があったらしく、広々とした城址です。中央に「志筑城址」と書かれた碑がありました。

 上記はその案内版です。正面から取ると太陽光が反射して字が読めなくなるので、ナナメに撮影しております。

 

 ということで、今日は芹澤家・平間家・鈴木家関連の史跡を巡ってきました。なかなか内容が濃く、満足な一日でした。

 

さてさて、芹澤鴨というと出身地を巡って論争が起こっているわけですが、久しぶりのこの件に関しての私の関わりを記しておきましょう。

主な論争テーマは「芹澤鴨はどこの生まれなのか?」です。

 

 で、私はくどいほどに「定説」と「通説」は意味が違うので、別けて考えるべきと主張して参りました。というのも、芹澤鴨がどこの生まれなのかという部分において、史料的には決定打が無いのが現状です。ですから「定説」はありません。それはどういうことかというと「間違いなく、芹澤鴨は行方出身だ」と確定しているわけではない。ということです。そして、芹澤鴨がどこの出身なのかという点に於いては諸説あります。その何れの説も決定打に欠いている。だかからこそ「定説」ではないわけですが。

 つまり、決定的な史料が無い以上、論争は可能性論でしかないのです。

 

 では、いったい何を論争しているのか?と言えば……

 

「芹澤鴨は行方出身である」という”通説”が、今までどうりの通説で良いのか否か?。

 

 という一点に尽きる。可能性や信憑性が一番高い説はどれだ?。ということ。しかし、それらはすべて所詮可能性論でしかなく、決定打が無い以上は定説にはなりません。だからこそ、このテーマでの私の小論文も「あくまでも「本家出身説が通説として通用するか否か」をテーマに論じているのでご注意を」という注意書きが記されているわけです。

 

 なおかつ、信憑性が高い低いはかなりの部分で研究者の主観によります。当然ながら、私は私自身が調べたことに関しては自身がありますけども、それは私なりに史料を読み込んだ結果に基づいての私の判断であり、それは私の主観的判断でもあります。つまり、研究者によって行われる史料検討や史料批判の結果は異なるでしょうから、そこから導かれる可能性や信憑性が高い低いという判断もまた、その研究者の主観によって判断されているわけです。

 なので、どの説を支持するかということが重要なのではなく、実証することが重要なのです。研究家は実証するための調査を行う為に、その手がかりとして有力な仮説である通説を用いたりするわけですが、別に通説以外の説をとって調査を行ってもいいわけです。だって、私は通説が一番可能性が高いと考えていますが、だからといって他者にそれを押し付けて、通説の研究以外するんじゃないなんていう決定権を私が持っているわけではないのですから。

 繰り返して言いますが、通説を支持するとかしないとかという議論が論争の中心になっちゃっているのですが、本来はそれは重要では無いのです。通説をはじめとする数ある説を手がかりに実証することが重要だと私は考えます。

 

 以上、久しぶりに鴨忌に参加したので、この論争についても久しぶりに論じてみました。