前回、〝矢野神山〟と出雲のレイライン(?) | 久米の子の部屋 (ameblo.jp)

徳島県と愛媛県の〝矢野神山〟を紹介しましたが、

兵庫県相生市にもありました。

 

相生市の伝説(06)-磐座(いわくら)神社の巨岩伝説 (aioi-city-lib.com)

に詳しく記されていますが、

「矢野庄(しょう)森村には、矢野神山(かみやま)という山がありました。今の磐座神社の裏山にあたります。神山の頂上には、大きな石がありました。その石の上に、天から神が降りてきました。その時、大きな石の一つが転がり落ちたといいます。この石が現在の磐座神社の座光石(ざこうせき)といわれています。」ということです。

 

この話に龍王山が登場する点も、

前回の記事で取り上げた〝神山〟と似ています。

 

相生市の伝説(06)-磐座(いわくら)神社の巨岩伝説 (aioi-city-lib.com)

講演会・セミナー平成25年度 | 兵庫県相生市矢野町 (yahoofs.jp)によると、

矢野荘内には、雨内、下田に銅山があったと伝えられているそうです。

 

兵庫県は山部連姓を賜った久米が活動した地で、

宍粟市山崎町金谷の金谷山部古墳は、

「(前略)『播磨国風土記』宍禾郡の条に孝徳天皇の時代揖保郡を分けて宍禾郡とするとき山部比治の努力が大きかった。その功によって山部比治は里長となり里の名を『比治里』と名付けたとある。

この古墳のある金谷地区は『比治里』の中心地と推定されているため金谷山部古墳と名付けられるに至った。(後略)」と

山崎町教育委員会による案内板の説明に書かれているそうです。

 

「比治里」について、こちら↓にも詳しく書かれています。

地名由来「段・金谷・比地」  - 郷土の歴史と古城巡り (yahoofs.jp)

比治里は、現在の山崎町上比地・中比地・下比地・川戸・宇原・平見・金谷を含む地域に比定されるということです。

 

ちなみに、山部比治は、

中臣御食子(※鎌足の父)にとって、母方の従兄弟にあたります。

 

今回は、知識不足のためか、レイラインは見つかりませんでした。

とりあえず、

1、比地の滝(兵庫県宍粟市山崎町上比地374

2、磐座神社(兵庫県相生市矢野町352

経緯度34.878872,134.455257

でポインターを付けたデジタルマップを作ってみました。

 

 

直線距離で10㎞程度ですから、

兵庫県相生市の矢野も久米と関係がありそうです。

 

〝矢野神山〟は、

万葉集に載っている柿本人麻呂の歌で、

 「妻ごもる 矢野の神山 露霜に にはひそめたり 散らまく惜しも」 

と詠まれていますが、

舞台になった場所についての定説は無いとのこと。

 

 

相生市の伝説(10)-地名伝説━那波(なば) (aioi-city-lib.com) には、

万葉集の中の相生市の那波港のことを詠んだ可能性が高い歌人として、

日置少老と山部赤人を紹介しています。

 

日置氏については、

久米のレイラインの根拠? | 久米の子の部屋 (ameblo.jp)

肥後―阿波―尾張を繋ぐ久米のレイライン | 久米の子の部屋 (ameblo.jp)

でも書きましたが、レイラインを作るのが得意な氏族のようです。

 

比地の滝は国見山に源を発しているということですが、

国見山 - Wikipedia に記されている兵庫県唯一の国見山で、

久米(縄文)のレイラインのルーツ? | 久米の子の部屋 (ameblo.jp)

久米のレイラインの根拠? | 久米の子の部屋 (ameblo.jp) に載せた、

熊本県の久米が関わる直線が国見山を通っていることと

何か共通する理由があるのかもしれません。

 

 

熊本県と奈良県は、国境の国見山も含めて5ヶ所で国内最多です。

こんなところにも、熊本県と奈良県には共通点があるのですね。

 

 

山部赤人は、比治の孫です。

 

<ひょうご伝説紀行 - 語り継がれる村・人・習俗 ‐> (hyogo-c.ed.jp)には

(前略)奈良時代には、宍粟郡の柏野里(かしわののさと、山崎町・千種町)、比地里(ひじのさと、山崎町)、安師里(あなしのさと、安富町)には山部が置かれていたことが明らかになっている。(中略)柏野里は風土記に「鉄を出す」と記されていることから、比地里、安師里などの山部も、その運搬などに関わった可能性は残されている。」と記されています。

 

諸系譜. 2- 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

54コマから、 「山宿祢 山部宿祢也」と題する系図が見られ、

山部の他の活動を窺い知ることができます。

 

私は、忌部と同じく三木氏を名乗った久米がいたのだと知り、

少なからず驚いています。

 

また、

伊予の河野氏の一族と伝え播磨に移住した英賀三木氏もあり、

このことも大変気になります。

 

川岡勉 氏と田中弘道 氏の共著

天徳寺所蔵 「伊予国造家 越智姓河野氏系譜」について』で、

https://opac1.lib.ehime-u.ac.jp/iyokan/AA12072864_2010_5-a7._?key=JHSLQT

河野氏の25代目に

「久米麿 来目部小楯 播磨大掾」を記す系図があることを知り、

その信憑性はともかく、

来目部小楯を先祖の一人だと信じた河野氏は

多分いたのだろうな―と、私は感じています。

 

 

本題に戻りますが、

〝矢野神山〟と久米は関係がある。と、

私個人としては結論付けたいと思います。

 

なんとなく、

久米の男系一族だけでなく、

女系や姻戚らも含まれているような気がしますが。