お久しぶりです。


1年9ヶ月ぶりに書いてます。


健康状態はまあまあです。


仕事。小さなストレスは当然としても、なんとかそつなくこなせています。


僕のような双極性Ⅱ型障害を抱えている者にとっては、この「そつなく」とか「何事もなく」というのがとても大事!


あと3ヶ月で復職後3年を迎えます。前回が始めての発病で復職後3年間再発なしだとその後の再発リスクはかなり小さくなるというのを心の支えにここまでやってきました。


とはいえ、山あり谷ありですねー。


2012年には父が亡くなり、その後も母の介護や病気対応には翻弄されていますね。7月頃に急に四肢の機能が低下し独力での歩行や食事が難しく…神経内科の先生に診てもらって薬を処方され若干回復したものの、先月は感染症(肺炎)で緊急入院。規程により当事入所していた介護老人保健施設を退所することとなってしまいました。


その後、退院にあわせ新しい受け入れ先となる別の老健を探すのはかなり高いハードルだった。病院のSWや前の施設の介護支援相談員に取り入って便宜を図ってもらい、病院とは退院延長の調整、これを仕事や自分の家庭のあれこれと両立するのってかなり大変でした。


僕の場合は、業務の性格上、土日の休出が結構あるので、その代休を平日に取得することで対応できたのですが、そうでなかったら破綻していたように思います。


自分の健康では双極性障害Ⅱ型との付き合いはもちろんとして、先日受けた人間ドックで隠れ脳梗塞の存在と動脈硬化の進行が指摘され、相当に落ち込みました。なんだか余命を宣告されたみたいで…


まだ深刻な心臓発作や脳卒中を起こしてはいない。今できることはリスクを減じるための生活習慣の改善と服薬、と心の整理がつくまでは1ヶ月ほど掛かりました。


目下、一番の悩みは息子。


どうやら発達障害であることが確実なようです。


空気が読めない、真面目なコミュニケーションができない、なので最近は友人とも上手くいっていない様子、忘れ物が多い、スマホのゲームに没頭(依存)、ものの整理ができず失くすことが多い、衝動的な行動が目に付く。行儀が悪い。


我々夫婦は、彼が小学校3年生のときにその可能性を感じ、当時の担任やスクールカウンセラーに相談したのですが、「ちがう」の一言。


その後もグレーだなーと思いながら過ごしてきましたが、ここ1年ほどの素行を見てほぼ確信し、先日妻が中学のスクールカウンセラーに相談したところ、的を射た説明と発達障害に該当する可能性が高いと思われること、そして病院の紹介とあいなりました。


その後も些細なことで妻に暴力をふるい、つい先日、突き飛ばされた妻は頭を強打、一歩間違えば大事故という状況を招いてしまいました。


年が明けたら大学病院の専門外来になんとしても連れて行こうと思っています。


妻は息子に恐怖と憎しみを抱いている様子。仕方ないですよね。

無理して我慢する必要はないと思います。


でも、上手く生きられないことには、息子も困っていると思うんです。

もちろん、僕ら家族も困っているけど、息子も「何でこうなっちゃうんだろう?」ってところがあるに違いない。なので、彼に対しては、お前が悪いというよりは、全員が困る、かわいそう、なんとかしてやらなきゃならない、という気持ちです。


妻の連れ子で1歳児のときに初めて会った息子。

お前には優しいところもよいところもあるのはわかっている。

適切な治療やカウンセリングを受けさせることで、少なくとも今よりは心の波が落ち着き、生きやすくなることを願ってやまない2014年の年の瀬。


こんな厳しい日々を癒してくれるのは6歳になる娘の存在。妻や僕に優しい言葉をかけてくれます。

そして兄にもお菓子をシェアしてあげたり。

この子がいるからうちの家庭はなりたっているんだろうな、と思います。


皆さん、よいお年を!












雛祭りでしたね。


リビングボードの上ではお内裏様とお雛様が微笑んでいます。



さっき、家族でさくら餅をいただきました。


4歳の娘には、桜の葉の塩漬けは「大人の味」のようで、まだ難しいみたいでした(´∀`)



さて、ブログは1月以来なのですが、仕事が結構忙しくて、なかなか書くタイミングというか気分に慣れませんでした。


職場の人事異動の関係で、11月以降2人分の仕事をしておりまして…というのは少し大げさですが、同ポストの同僚の異動後、人的な補充がなく、部長以下僕を含めたチーム全体でなんとか切り盛りしています。


僕はまだ残業の上限が定められた就業制限のある身ですが、制限があるおかげで、ある種の割り切りが生まれたというか、チーム全体でパフォーマンスを上げるにはどうする?やらなくてよい仕事やプロセスはないか?アウトソースしちゃって乗り切ればよいものはないか?といった合理的な思考になりました。視野が拡がった、満点主義じゃなくなったとも言えますね。


これは休む前には到達できなかった境地です。



それと忙しくても仕事のことを考えない時間を持つよう努めています。


ロードバイクのペダルをこいでいる時間や朝の出勤前の散歩がそれですね。



あと2週間ほどで復職後1年です。


家族や職場のメンバーに感謝ですね。


あと、自分も誉めてあげよう。



以前はそんなこと考えなかったけど、山あり谷ありの1年をあの手この手で乗り切ったお前はなかなかやるなー!ってね。







「改めて『言葉の力』を信じてみよう。」


そう考えさせられる出来事がありました。


小6の息子が学校から1冊の本を借りてきたのです。
 
 
そして…

「あのさぁ、父さんもこの本読んで欲しいんだ。」

いつになく澄んだ目をした息子が、ボクの目前にすっと本を差し出しました。


ボクと妻から「たまには読書しなさい!」って言われてばかりの息子にしては珍しいアプローチです。

「なにかあるのかな?」

ボクは本の表紙に目を落としました。

 


『水は答えを知っている』

 
 
というタイトルのその本は、氷の結晶がデザインされた印象的な表紙でした。

サブタイトルには「その結晶にこめられたメッセージ」とあります。


「どんな本なの?」


ボクは「息子との思いがけない話題の会話」を楽しもうと考え、尋ねてみました。 

息子はしばし思案顔をした後、言葉を選びながら語り始めました。

「あのさぁ。冷凍庫で水を冷やして氷をつくるじゃない。その時、水は結晶を作るんだよね。」

「うん、そうだね。雪にも結晶があるもんね。」

「で、その結晶なんだけどさ。『君は素敵だ。僕は君が大好きだよ。』って言葉をかけるとすごくきれいな結晶ができるんだよ。父さん信じられる?」

「サボテンや植物も声をかけて誉めてあげるとよく育つって言うもんね。そんな感じなの?」

「この写真、見てよ!」

息子が差し出したその本には、さまざまな水(=氷)の結晶の写真が収められていました。


きれいに整った結晶…

それらは例外なく、美しい言葉、思いやりに溢れた言葉を掛けられ、そして、塩素などの混合物がない清冽な水なのでした。

「ありがとう」と聞かされて氷結した結晶は見事に整った美しい形をしていました。


一方で、罵倒されたり、電子レンジで過熱されたりした後で氷結させた結晶は大きく歪んでいたり、クレーターのような形をしているのでした。

「助けて!」って叫んでいる表情のように見えるものもありました。

まるで、ムンクの「叫び」のような印象です。

「~しようね」という言葉をかけてできた結晶は整っているのに、「~しなさい!」では大きく歪んでいます。

どうやら水は、愉快なこととそうでないことの判別がつくようです。


普段はやんちゃな息子が静かに言葉を続けます…


「僕はさぁ、人間も同じだと思うんだ。」


ボクは、知らぬ間に以前より随分と大人びてきた息子の表情に思わずハッとしました。


親が、子から教わることも少なくありません。

新たな年になりました。


このブログを読んでくださる皆さん、今年もよろしくお願いします。


さて、昨年は3月に休職からの復帰、同僚異動に伴う業務負荷の激増、父の死去と特に11月以降は激動といってよい変化に見舞われました。

どうやら自分でも気付かないうちに無理をしストレスを溜め込んでいたことに、クリスマス寒波の中挨拶回りで外出続きだったのが重なってしまったのか、仕事納めのその夜38度の熱を出しました。


ホッとしたんでしょうな…


休職前に比べると頭のキレは気分の乗った仕事で7割、そうでない仕事では2~3割って感じです。

でも、以前と違って意地を張ろうとか格好つけようという気持ちがあまり湧かなくなりました。

「わからないものはわからない」「できないものはできない」と表明することがあまり恥ずかしくならなくなりました。むしろ正確な実情を開示しない事こそが恥ずかしいのだと考えるようになりました。


業務の遂行も自分事としてでなく組織事として捉えるようになると、前述のキレの悪さを自分だけで何とかしようとは思わなくなります。メンバーのモチベーションを向上して組織として対応すること、その領域に秀でた部門や外注先にアウトソースすることで乗り切ろうと考えるようになりました。


自分は元通りにはならない、なれない。それでは休職前と同じ…自分は変化するのだ。


こう思って生きています。


さっき、妻から新年の抱負を尋ねられました。


「休まず、ちゃんと会社に行くことかな。低空飛行でもね。」


妻からの反応は特にありませんでした。彼女は別の答えを期待していたのかもしれません。


以前は、こうした不明瞭な空気が苦手でした。


でも、今は「過去と他人は変えられない。」と思っているので、答えた時点で終わりです。


自分のための【自分の抱負】ですからね。


風邪も8割がた回復しました。

クリスマスの日以降遠ざかっていたロードバイクにも明日からは乗ることが出来そうです。








この1ヶ月、いろいろなことがありました。

同僚課長が異動し、その後の人的補充がなく、彼の業務を一旦ボクが全て引き継ぐことになりました。


事前に部長から「復職後順調に回復しているように思う。○○業務を少し担えないか?無理なら断ってもらって構わない。」という打診があり、「問題が生じたらすぐに相談させてください。」という条件付で受けたものの、同僚の業務全部とはビックリ仰天でした。

部長からはなんとか来年の春までには人的補充をしたいと聞かされており、スキルが十分ある有能な課長補佐の獲得を要望しました。


引継ぎが一通り終わり、負荷やチームのスキルとのミスマッチなど問題が幾つか見えてきているので、部長や関係部署の課長級と相談せねば…というコンディションです。


その引継ぎの真っ只中、11月中旬に父が亡くなりました。

具合が悪く入院していたのですが、容態が急変して逝ってしまいました。


そんなわけで、心身の疲れがなかなか取れず、漠然とした予期不安に苛まれながら暮らしています。


先日、同じ部の課長と部長に悩みを開示し、先週通院している病院での認知行動療法のセッションで臨床心理士さんとコミュニケーションし、少々頭の中がクリアになりました。


今日は寒空の下、孤独に過ごすことでクールダウンしたくなり、自転車で遠出してきました。


せしすするすれせよ ~サ行『変革』活用~


往復94kmを休憩やコンビにランチを挟みながら4時間強で走破しました。


寒くて洟タレになったけど、落ち着きを取り戻すひと時となりました。