桟比呂子さん来町。
「評伝月形潔」の著者桟比呂子さんが来町。
役場・桜庭町長への表敬訪問の後、月形温泉に宿泊されました。
昨夜、少しの時間でしたが本書執筆の苦労話を伺うことが
できました。
月形潔の数少ない足跡を探すご苦労は大変なもので
福岡県立図書館などの膨大な資料の中で彼の名前のある個所を探し出すという
作業を約一年余つづけられたそうです。
あたかも砂浜で亡くしたコインを探すような
気の遠くなるような忍耐強い仕事の結果が
今回の執筆であったということです。
それでもまだなお謎の多い彼の生涯は、尽きない興味をそそられます。
あれこれ妄想を語り合ったひと時でした。
話に夢中で写真を撮ることをすっかり忘れていました。
忘れなかったのはサインを頂くことでした。
顛末…「評伝月形潔」の書評について
北海道新聞から回答(メール)をいただきました。内容は以下の通りです。
冠省
いつも北海道新聞をご愛読いただき誠にありがとうございます。
私は北海道新聞文化部でデスクをしております梁井朗(やない・あきら)と申
します。
このたび、「本の森」の原稿につきまして、メールをいただきましたことを感
謝申し上げます。
楠様のご指摘は、郷土の偉人への愛着がひしひしと感じられました。だからこそ、マイナスイメージの記述があると敏感に反応なさるのでしょうが、原稿全体を通してみれば「町民からいまなお敬愛される存在」「道内では広く認知されている」「福岡へ帰郷後は(…)活躍した」などと、好意的に記述していることを
ご理解いただければ幸いです。
さらに、この記事は、厳密に言えば、月形潔の本人の紹介ではなく、本の紹介です。そしてこの本の最大の意義は、見出しにあるとおり、月形潔の離道後の足取りについても調査、記述していることにあります。その中で、彼が免官となったのは、官報に記載されている史実であり、省略するわけにはまいりません。しかし、この原稿全体のトーンからも、彼が不正を働いたとは、この本の筆者たる桟さんも、原稿を書いた中舘氏も思っていないことは、推察できるのではないでしょうか。だからこそ
「月形は、公金を横領し、免官となった」ではなく「非職の後、公金流用を理由に免官となったとする」と書いてあるのです。「とする」という書きぶりに「史実はどうかわからない。本当に不正をしたかあやしい」というニュアンスをかぎ取ることがそれほど難しいとは思われません。 (中略)
葉室麟については、直木賞を取ったばかりの人気作家なので、やはり記述がほしいところです。
というわけですので、「不名誉な免官の理由の暴露だけを意図したかのように受け取られかねません」という楠様のご懸念は杞憂ではないかと、私どもは判断いたしております。
今回、楠様から率直な意見をいただいたことを感謝します。
今後とも、北海道新聞をよろしくお願い申し上げます。
北海道新聞文化部次長
梁井朗(やないあきら)
この際、コメント抜きで・・・
これに対する小生の返信は以下の通りです。
梁井様
このたびは、お忙しいところご回答いただき大変ありがとうございました。
委細了解いたしました。
私はかねてより月形潔の生涯について調べてきた素人研究家として、著者の桟氏とも幾度か意見交換させていただいた経緯があり、今回の貴紙の書評掲載について一方ならぬ思いで待ち望んでおりました。それ故に、ご指摘の通り同書への評価について過剰な期待になったのも否めないかもしれません。
ただ最近「月形潔」や「樺戸集治監」への関心が高まりつつあるのは大変喜ばしいことですが、表面的な「ブーム」で終わってほしくないという思いでおります。
本書の功績は月形潔の「樺戸以後」の足取りを明らかにしたという以前に、彼が監獄政策を巡って山縣有朋ら当時の政権中枢との緊張関係の中にあり、その政治闘争ともいえる戦いに敗れた結果が囚徒を「道路開鑿」に使役するという政策転換であったということを浮き彫りにした点だと私は思います。
その意味で理不尽とも見える「免官処分」は 月形潔の一官僚としての行政上の「失態」に対してではなく、歴史の裏側での暗闘の結果、勝者から敗者への追い討ちではなかったか、と私には思えます。
当時の時代背景と重ね合わせると、明治期における「近代北海道」の出自の秘密ともいえる深い闇が見え隠れして、まだまだ真実は明らかになっていないという感があります。願わくば貴紙の文芸面でこうした「歴史発掘」的な企画が展開されると、面白いことになるのでは?と勝手な期待を抱いております。私も郷土月形という定点からではありますが、今後ともささやかな発信を続けていきたいと思います。
最後にお願いですが、福岡の桟比呂子氏には、すでに今回の書評と私の「問い合せ」についてお知らせしており、貴職のご回答を含め顛末を報告いたしたくお許し願いたい点。もう一つは私のブログにも掲載をお許し願いたいという点です。
http://ameblo.jp/yabuniramiseikouudoku/
今後とも貴紙のご活躍に期待しております。
月形町 楠 順一
その後の経緯については、顛末の報告については概ねご了解をいただいて今回の掲載となりました。
そうこうしているうち、この顛末ご報告の前に福岡の著者桟氏よりお手紙をいただきました。
なんと、近々ご来町されるとのこと。そして、道新の書評掲載について大変喜んでおられるようですが、例の行りについては小生と同じ感想を抱かれたとのことでした。
ご来町の折にお会いできれば、また「月形潔談義」に花を咲かせたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・終わり・・・・
ブログ再開・・・「評伝月形潔」道新書評への異論。
大変長らくご無沙汰しました。
このたび気まぐれに再開いたします。
しばらく独りよがりの更新になりそうですが・・・
さしあたり今回は
10月12日朝刊11面の「評伝月形潔」の書評について・・・中館寛隆氏の記述への異論。
先ほどこのタイトルで北海道新聞に問い合わせをしました。その内容は以下の通りです。
私は月形町に在住し、郷土の歴史に関心を寄せているものですが、とりわけ本町の始祖ともいえる月形潔の生涯については、強い思いがあります。
このたび桟比呂子先生の同著を書評に取り上げていただいたことは大変喜ばしく思っておりますが、1点だけ腑に落ちぬことがあります。それは、「(月形潔が)非職の後、公金流用を理由に免官となったとする。」という記述それ自体は是としても、著者の真意はその続きの「やむにやまれぬ出費であったことは明白である」以下の5行にこそあり、この一文だけで終わってしまっては、同著の書評としては片手落ちではないか?ということです。紙面の制約があればなおさら、葉室麟の「月神」にも言及することが必要であったのか?という疑問もあります。
この部分の記述により、読者にあっては、著者が病気による非職とされていた月形潔の不名誉な免官の理由の暴露だけを意図したかのように受け取られかねません。
正直なところ貴紙による書評の掲載を期待していた一人として、大変残念に思います。郷土の始祖への過剰な思い入れと受け取られるかもしれませんが、貴紙の見解を伺いたいと思います。
どの様な回答があるのか?ないのか?
自分としては初めての体験なので、戦々恐々です。同書の著者桟比呂子氏とは面識もあり月形潔の生涯について少しく情報提供をした者として看過できない思いでの行動とご理解ください。