善と悪を知る智恵の実を食べることが罪ならば
 ある人は解釈する
 善と悪を知る智恵の実を食べることが罪なのではなく
 食べてはいけないという神の命(めい)に背いたことが罪なのだ
 としても全能の神の意のままにあったエデンの園に 何故善と悪を知る智恵の実の木
が必要だったのか
 ここでの論理的思考は無意味である
 
モーゼがイスラエルの子孫に伝えるべき神の名を 神に問うたとき
 神は答えた
 「我は、在りて在る者なり。」「汝かくイスラエルの子孫に言ふべし。我在り、といふ者、我を汝らに遣はしたまふと」
                          ―出エジプト記第三章14節―
 神の名を語るとき 神は言葉に限定される
 「我在り」と語る「我」は絶対的主体である
 モーゼの神であり イスラエルの子孫に十戒を示した神であるが
 「在りて在る者」と答える時 神の全体を顕す
 
しかし「我は、在りて在る者なり。」は誤訳とされる
 「エフイェ アシェル エフイェ」
「エフイェ」は「ハーヤー」という動詞の一人称単数未完了形と解かれるが
今の口語訳は次の通りである
 神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。
英語訳でGod said to Moses, "I who have electrical functions." Said, "Say to the Israelites, [" I have, "How is it, where you hath sent me, and』. "
ドイツ語訳でGott sprach zu Mose: "Ich, der elektrischen Funktionen haben." Said, "Sprich zu den Israeliten, [" Ich habe "Wie kommt es, wenn du mich gesandt hat, und』. "
「わたしはelectrical functionsを持つ者」
光りとその力を持つ者と位置づけられるが
イスラエルの先祖の神 アブラハムの神 イサクの神 ヤコブの神
十戒を示し 自らを祀る祭壇のあり方を律し その供え物・生け贄を定めた
イスラエルの民を統治する神であり 律法の神であり
なによりも
「…わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、
わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。」
                         ―出エジプト記第二十章5~6節―
 とする契約の神であった

「エリ エリ レマ サバクタニ」
エリとは誰なのか
エリまたはエロイの言語学的な分析の能力は私にはない
「エリ エリ レマ]

を詩篇二十二章に結びつける神学者の愚かさをわしは持っていない
イエスにおいて「神への祈り」は 「天におられるわたしたちの父よ」であった
「父よ 父よ われを見捨て給うか」
これは 真正なる神の子イエスの叫びである