@ナイロビ
明日、南スーダンに戻ります。
お土産を買いに、ナイロビのショッピングセンターに行きました。
ジャムやらチョコやらを買いこんだら、確実に5キロ越えました┐( ̄ヘ ̄)┌
絶対スーツケースに入らない…機内持ち込みが許されるのか、特にジャム。
@ナイロビ
明日、南スーダンに戻ります。
お土産を買いに、ナイロビのショッピングセンターに行きました。
ジャムやらチョコやらを買いこんだら、確実に5キロ越えました┐( ̄ヘ ̄)┌
絶対スーツケースに入らない…機内持ち込みが許されるのか、特にジャム。
みなさま、おはようございます~
今日もゼミで読む文献が読み残っているくうたです。
いや、一本は読み終わりました。
残した日本語が・・・・・
日本語だからま、いっか![]()
と思っていたら見事にこの時間になっても読み残っております。
うーん、でもいいや、ブログ更新しちゃえ![]()
昨日、やっと第Ⅱ部を読み終わって、ふと改めて本を見直したら、こいつ3部構成のクセにⅢ部がやたらと分厚いことに気がつきました←遅し。
Ⅲ部が本題なのよね、これ。
と、言うわけで?ちゃかちゃかⅡ部をまとめてしまえ。
植民地統治の衝撃、と題された第Ⅱ部はルワンダの社会にとって植民地統治がどのような影響を与えたのかを論じたもの。
まず第3章、植民地化以前のエスニシティと統治
ここで話されるのは現代ルワンダを構成するエスニシティ、トゥチとフトゥに関して。
このトゥチとフトゥ、ツチとフツと書くとあ、と思うかもしれない。
ルワンダの虐殺の主人公となったエスニック集団の名前です。
もちろんこのエスニック集団に関する研究はたくさんあるのだけれども、筆者はこのエスニック集団に関する見直しからはじめる。
筆者はトゥチとフトゥに関するこれまでの歴史認識には問題があるとし、移住によって形成されたとされてきたこれらのエスニック集団を、国家形成にしたがって形成されてきたものだと論じる。
で、4章と5章で植民地ルワンダの形成が論じられる。
ルワンダ王国はドイツ領東アフリカへの編入をきっかけに国際社会の渦に巻き込まれていく。第一次大戦後はベルギーの統治下に入る。
この植民地統治の衝撃を筆者は
1、王権の強化による全土の平定←集権的国家の確立
2、トゥチ、フトゥ、トゥワの各エスニック集団間の境界線の明確化
3、パトロン・クライアント関係の変化による所有権意識の変化
に分けて論じてます。
こういう植民地統治による変化を受けて、植民地期末期に起こった「社会革命」を6章で説明。
ベルギーの指導下で「民主化」への道を歩み始めたルワンダでエスニック集団間での対立が見えるようになる。
1959年11月の「社会革命」においてこれまでトゥチの支配下にあったフトゥがベルギー支援の下で政治的主導権を握る。
筆者はこの「社会革命」の農村における影響を述べてこの章を終える。
農村において1959年の革命とその後の1961年の状況にはかなりの違いが見られた。暴力を向けられる人が違ったのである。その違いは限られた支配者から一般住民へというものである。
次に政党の活動と暴力の結びつきである。
この暴力の結果、農村社会は大転換を遂げる。
大土地所有制から小農制へ。
共同体的性格が希薄な農村社会がルワンダに出現することになる。
わーっ、ゼミの時間に追われているからかなりおおざっぱだ。
みなさま、こんばんは。
最近ブログ更新がだんだん真夜中になっていくくうたです。
地味にブログのタイトル変えました。
ペーパーの闇からは抜けられていません。
つーか本日波風立ちすぎです。
バイト先でネットを見ていたら大学のフィールドワーク補助金のお知らせがやってきました。
いえーい、これを待っていたのよ![]()
とさっそく募集要項を見てみたら
フィールドの期間が限定されていました。
![]()
12月までに帰って来いってどういうこと?
私は12月から2月まで行く予定なのよ![]()
帰ってこれるわけないじゃないの。
つまりくうたはこれ、出せないってこと?
・・・・・・・ありえん。
ずどーん、と落ち込むくうた。
しかしバイトの仕事はやってくる。
あの補助金がなかったらフィールドどうしようかな~文献調査抜きかな~と思考錯綜。
が捨てる神あれば拾う神あり。
バイト帰りのくうたのメールに
論文掲載決定のお知らせが![]()
はー、人生捨てたもんじゃないねぇ、と気を取り直してペーパーに・・・・
そして逃亡してブログへ。
と、言うわけで昨日の続きをいってみましょう。
第Ⅰ部、第2章。
第1章までの先行研究の分析をもとにして、本書の仮説が提示される。
「それは、1990年代のアフリカで紛争が頻発し、また紛争に新たな特質が見られた原因を、独立以降のアフリカに成立した、特異な国家とその解体に求めるというものである」[p. 49]
この国家類型を本書では「ポストコロニアル家産制国家(PCPS)」と呼んでいる。
まず、これまでのアフリカにおける国家類型を整理して、その批判を行い、それを補充するものとしてPCPSを提示。
PCPSとはウェーバーの類型である家産制にエスニシティ、より抑圧的な国家、国際的な主権国家体制のバックアップの獲得、市民社会の侵食という現代国家の特徴を組み合わせたものである。としてその由来をアフリカが背負ってきた時代的背景に求める。
そして1960年代以降続いてきたこのPCPSが経済危機、それによって導入された経済自由化政策、政治的自由化によって解体され、この解体の過程で脆弱化された国家に対し起こった反政府運動が紛争になっていく。そして紛争が「大衆化」、深刻化していく。
んでもって、独立期から80年代までの国家体制の素を築くのが植民地期。
紛争にはいつでもある体制の脆弱化が付きまとう、と筆者はいう。
んでもって、この議論によく当てはまる事例としてのルワンダの説明。
はー疲れた。
明日はⅡ部。
おやすみなさーい。