みなさま、おはようございます~

今日もゼミで読む文献が読み残っているくうたです。

いや、一本は読み終わりました。

残した日本語が・・・・・

日本語だからま、いっかドキドキ

と思っていたら見事にこの時間になっても読み残っております。

うーん、でもいいや、ブログ更新しちゃえ注意


昨日、やっと第Ⅱ部を読み終わって、ふと改めて本を見直したら、こいつ3部構成のクセにⅢ部がやたらと分厚いことに気がつきました←遅し。

Ⅲ部が本題なのよね、これ。


と、言うわけで?ちゃかちゃかⅡ部をまとめてしまえ。


植民地統治の衝撃、と題された第Ⅱ部はルワンダの社会にとって植民地統治がどのような影響を与えたのかを論じたもの。



まず第3章、植民地化以前のエスニシティと統治

ここで話されるのは現代ルワンダを構成するエスニシティ、トゥチとフトゥに関して。

このトゥチとフトゥ、ツチとフツと書くとあ、と思うかもしれない。

ルワンダの虐殺の主人公となったエスニック集団の名前です。

もちろんこのエスニック集団に関する研究はたくさんあるのだけれども、筆者はこのエスニック集団に関する見直しからはじめる。

筆者はトゥチとフトゥに関するこれまでの歴史認識には問題があるとし、移住によって形成されたとされてきたこれらのエスニック集団を、国家形成にしたがって形成されてきたものだと論じる。


で、4章と5章で植民地ルワンダの形成が論じられる。

ルワンダ王国はドイツ領東アフリカへの編入をきっかけに国際社会の渦に巻き込まれていく。第一次大戦後はベルギーの統治下に入る。


この植民地統治の衝撃を筆者は

1、王権の強化による全土の平定←集権的国家の確立

2、トゥチ、フトゥ、トゥワの各エスニック集団間の境界線の明確化

3、パトロン・クライアント関係の変化による所有権意識の変化

に分けて論じてます。


こういう植民地統治による変化を受けて、植民地期末期に起こった「社会革命」を6章で説明。

ベルギーの指導下で「民主化」への道を歩み始めたルワンダでエスニック集団間での対立が見えるようになる。

1959年11月の「社会革命」においてこれまでトゥチの支配下にあったフトゥがベルギー支援の下で政治的主導権を握る。

筆者はこの「社会革命」の農村における影響を述べてこの章を終える。

農村において1959年の革命とその後の1961年の状況にはかなりの違いが見られた。暴力を向けられる人が違ったのである。その違いは限られた支配者から一般住民へというものである。

次に政党の活動と暴力の結びつきである。

この暴力の結果、農村社会は大転換を遂げる。

大土地所有制から小農制へ。

共同体的性格が希薄な農村社会がルワンダに出現することになる。



わーっ、ゼミの時間に追われているからかなりおおざっぱだ。