大阪メトロの10系、引退記念の鉄コレを購入 | Y14編成のブログ

Y14編成のブログ

鉄道や散歩の記録
その他いろいろと、書き綴っていこうと思います。

写真の著作権は放棄しませんが
自由に使ってOKです。

各地の災害でお亡くなりになられた方への
ご冥福をお祈り申し上げますと共に
被災地での1日でも早い復興を
心よりお祈り申し上げます。

6月10日の朝に、ヤフオクで

ある鉄コレを、178円という超格安の値段で落札しました。

仕事終わりに、三宮に行って代金を支払い
格安鉄コレの入線に備えて、フィッシングマックスで
おもりを買ったついでに、ホビーランドぽちに行くと
御堂筋線の10系の引退記念の鉄コレが
1万円で売られていたのを発見したので、買ってきました。
これが、今回買った10系の鉄コレです。
引退記念ということで、箱に引退記念の
ヘッドマークが描かれています。
10両セットなので、側面の幅も広いです。
左右の側面には、10系のお顔の半分が描かれています。
フタを開けると、箱が2つ入っていました。
その箱の中に、車両が5両ずつ入っています。
中の箱は、フタ以外は真っ白になっています。
それでは、お顔を見ていきましょう。
引退記念の製品なので、モデルはもちろん
最後まで活躍していた、1126Fです。
 
ただ、型自体は前回の1118Fの流用のようで
ヘッドライトは晩年の角型ではなく
原型の丸型となっています。
御堂筋線の10系は、これまで3回製品化されましたが
今回は、初めての大阪メトロになってからの姿となります。
1226は、女性専用車両のステッカーが
印刷済みになっています。
妻面の様子です。
この製品も、貫通扉の塗り分けはなされていません。
屋根は銀色で統一されていて
これが、1118Fとの大きな違いです。
元の設計が古いからか
屋根は旧来のネジ止め式になっています。
また、中間車のガラスは外れやすく
分解すると、組み直すのに一手間かかります。
インテリアは赤色です。
ここで、前回品の1118Fと比べてみましょう。
お顔は一緒で、数字だけしか違わないように見えますが
今回の鉄コレは、フロントガラス左側の一部が
黒く塗られています。
実車も、晩年は機器箱か何かの設置に伴って
その部分は黒く塗られていました。
左の1118Fは、大阪市交通局時代に発売されたので
当然ながら、大阪市交通局時代になっています。
そのため、お互いにロゴが違っています。
 
また、赤帯の色合いも違っていて
1118Fの方が若干濃くなっています。
女性専用車両のステッカーも違っていて
1126Fの方が薄くなっています。
上から見ることが多い模型において
一番わかりやすい違いが、4号車です。
上の1726は、他車と同じ形態になっているのに対し
下の1718は、クーラーを除いてグレーになっていて
左右に5本のラインが付いています。
 
これは、10両編成になってからの4号車は
初期の3編成をバラして挿入・改番したものであり
1718は初期車だったのに対して
1726は9両編成化の際に
新造した中間車を組んだからです。
続いて、付属品を見ていきましょう。
Aセットには、台車レリーフが
Bセットには、台車レリーフとシールが入っていて
いずれも、未開封の状態でした。
シールのアップです。
行先は、なかもず、新大阪、中津、天王寺
新金岡が収録されています。
10系は、北大阪急行の延伸開業前に引退したので
当然、箕面萱野はありません。
ヘッドマークは、シール式となっているので
引退直前の姿で楽しむのも良し
通常の姿で楽しむのも良しという感じになっています。
 
あと、末期の角型のヘッドライトは
なんとシールでの再現ということになり
なんだか、手抜きだなという感じです。
それでは、走行化しましょう。
 
まずは、1118Fと同様に
女性専用車両にグリーンマックスの
コアレス動力を取り付けます。
次に、トレーラー車です。
 
ウエイトとして使う、板おもりは
これまで使っていたやつが売っていなかったので
代わりに、別のものを買いました。
これまでと同様に、インテリアの裏側に
3ヶ所貼り付けましたが、今回の重りは幅が広いので
半分に折らずに貼り付けました。
金属車輪は、グリーンマックスの103系の
シャーシ交換で余剰になったものを取り付けました。
ヘッドライトは、例のシールを貼り付けて
表情を変えさせました。
また、既存の10系にあわせて
お顔の連結器は、TNカプラーに交換しました。
こんな感じで、我が家に3本目の
10系が入線してまいりました。
小売希望価格21120円もする鉄コレが
半額以下の値段で買えたので
とてもお得な買い物ができたなと思います。
 
 
 
以下、余談・・・
本日をもって、381系の定期運用が終了しました。
長い間、お疲れ様でした。
私は、最後の見送りを行わず
ポリテクセンターに行って、アビリンピックの
兵庫県大会を見に行きました。