鷹取から筑前前原まで行く旅 | Y14編成のブログ

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鉄道や散歩の記録
その他いろいろと、書き綴っていこうと思います。

写真の著作権は放棄しませんが
自由に使ってOKです。

各地の災害でお亡くなりになられた方への
ご冥福をお祈り申し上げますと共に
被災地での1日でも早い復興を
心よりお祈り申し上げます。

前回の記事の最後の方に申し上げた通り

これからしばらくの間、年末年始休暇の

旅の記事をアップします。

今回の年末年始休暇は
12月29日から1月4日までで
初日である12月29日は、朝早くに鷹取駅へ向かい
福岡県糸島市の筑前前原(ちくぜんまえばる)駅まで
鈍行で行くことにしました。
207系に乗って、長い旅の始まりです。
さっきの電車で西明石へ向かい
そこから223系のW11編成に乗って
姫路へ行きました。
姫路に着くと、隣のホームで
特急らくらくはりまが出発しました。
この列車は、この記事を書いた段階では
新大阪から姫路まで走っていますが、3月のダイヤ改正で
東は京都・西は網干まで延長されます。
関西から九州まで、鈍行で行くのなら
山陽本線か赤穂線で岡山を経由するのが一般的ですが
今回は趣向を変えて、久しぶりに
姫新線に乗ることにしました。
まずは、キハ127系のW6編成に乗って
播磨新宮まで行きました。
運転士のコロナ感染防止のため
利用者が多い姫路から播磨新宮までは
運賃箱は使用停止となっていて
仕切り扉は閉められていました。
姫新線は、姫路から津山を経て新見までを結びますが
ICカードが使えるのは、姫路からここまでです。
次に乗ったのは、W1編成です。
この編成は、キハ127系のトップナンバーです。
播磨新宮から佐用方面は、利用者が少ないからか
従来通り、運賃箱による車内清算方式となっています。
この列車で、佐用まで行きました。
佐用からは、キハ120-336に乗りました。
佐用駅では、ドアは半自動となっていましたが
手で開閉ではなく、ボタン式となっていました。
キハ120のドアをボタンで開閉するのは
初めてだったので、新鮮に感じました。
佐用の次の上月駅を出ると、何ヶ所かで
必殺徐行区間を通るようになります。
この列車で、津山まで行きました。
ホームの端から、津山まなびの鉄道館を眺めた様子です。
この日は、年末年始休暇でした。
その後に、キハ47のノスタルジーがやってきました。
ノスタルジーを撮って、5分ぐらい待っていると
次の姫新線の列車がやってきました。
キハ120-338です。
この列車で新見まで行って、姫新線の旅は終わりです。
姫新線の旅を終えた後は、食事をとってから
芸備線に乗ることにしました。
まず最初に乗ったのは、キハ120-342です。
1両のキハ120は、めっちゃ混んでて
座ることが出来ませんでした。
また、途中から雪が積もったところを通りました。
この列車で、備後落合まで行きました。
しばらくすると、木次線の列車がやってきました。
ラッピング車のキハ120-1です。
木次線の列車を撮った後に
キハ120-6に乗って、三次へ行きました。
三次に着いた後は、広島へ向かいます。
三次~広島は、比較的利用者が多く
キハ120よりも、車体が大きい
キハ40やキハ47が主体となっているので
次の広島行きの列車はきっと、それらが入るでしょう
・・・と思ったら、次の広島行きの列車は
なんとキハ120でした。
そのため、兵庫県の西のほぼ端っこから
広島市内まで、ずっとキハ120だけで
移動することになりました。
写真は兵庫県最西端の駅である、上月駅です。
ちなみに、三次~広島のキハ120の運行は
1日2往復だけしかありません。
広島に着いたら、芸備線の旅ならびに
キハ120の旅は以上です。
広島からは、227系のA02編成に乗りました。
山口県に入り、和木に着きました。
ここは、岩国の1つ手前の駅ですが
人身事故が発生しましたガーン
 
そのため、あと1駅というところで
運転見合わせとなりました・・・
隣のホームには、乗客を乗せた状態で
パンタグラフを下ろして、ここに止まっている
電車がいたので、人身事故の当該はこれです。
駅北のロータリーは、パトカーがいっぱいいました。
20時半ごろに運転再開し
80分ぐらい遅れて岩国駅に着きました。
当初は、ここ始発の下関行きの列車に乗る予定でしたが
ダイヤ乱れで、その列車に乗ることが出来ず
次の徳山行きの列車に乗ることになりましたが
その列車は、ここ始発ではなく
糸崎始発で和木を通るため、大幅に遅れていました。
ホームで50分ぐらい待っていると
岩徳線の列車がやってきました。
あまりにも遅れすぎているので、岩徳線に乗った方が
かえって早いんじゃないかなと思ったタイミングで
山陽本線の徳山行きの列車がやってきたので
そっちの方に乗りました。
徳山まで乗った電車は、A17編成でした。
本来なら、ここで下関行きに接続しますが
大幅に遅れていたため、接続は行いませんでした。
徳山からは、新山口行きの最終列車に乗ることにしました。
115系3000番台のN-11編成です。
この電車で、防府まで行きました。
防府駅で降りたあとは、駅からやや離れたところにある
快活CLUBで1泊しました。
翌朝、N-17編成に乗って
下関へ行く事にしました。

この防府駅は、『防府おどり』という曲の
接近メロディーが流れるので
その様子の動画を撮ってみました。
このN-17編成の中間車は、117系を改造した
115系3500番台というもので
数少ない、117系の生き残りとなっています。
左が3000番台、右が3500番台です。
外観は一緒に見えますが、窓枠の形が微妙に違います。
下関に着いた後は、415系1500番台の
Fo1513編成に乗って、九州入りすることにしました。
小倉に着きました。
当初は、29日に小倉に着いて
近くのネットカフェで1泊する予定でした。
小倉からは、博多行きの区間快速に乗りました。
817系のV3009編成です。
博多に着いた後は、地下鉄に乗り換えました。
乗ったのは、1000系です。
この電車で、姪浜まで行きました。
ここまで来たら、筑前前原はもうすぐです。
一度駅を出て、青春18きっぷで再びホームに入った後に
筑肥線の列車に乗ることにしました。
やってきたのは、JRの車両ではなく
またもや、福岡市地下鉄の1000系です。
筑前前原に着きました。
 
鷹取から、姫新線と芸備線を経て
筑前前原まで行く旅は、これで以上です。