「俺たちに明日はない」と嘆かずに「いまを生きる」 | 北さんのブログ

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 未来に向かって明るい希望を抱かせる新たな年号、「令和」が始まったばかりなのに、敢えて暗い話を。これから我々が確実に直面するのは、既に聞き飽きた感の強い「少子高齢化&多死時代」である。すでに長寿=文化国家という認識は崩壊しており、政府は医療費削減と絡めて終末期医療の議論を静かに進めてきている。「人生の最期にはどこで、どんな医療を受けたいのか」という患者本人の意志や自己決定を大いに尊重して、とは言っているが、そこには尊厳死や平穏死という死生観を潜在下において「高齢者に長生きへのプレッシャー」を刷り込むプロパガンダが確実に行われている。まるで東映映画の題名のような浪花節的な名称、「人生会議」と称したACP(アドバンスケアプラン)では個人の死生観、人生観まで引っ張り出し、公に晒すことになり、個人的に強い抵抗を感じざるを得ない。また御用学者を通じて、自立できない高齢者は適正な時期に社会から退場すべし、と言う「逆シルバーシート論」や、治癒、延命医療より「安らかな死」を与えるのが最善の医療である、かのような認識を各種メディアで取り上げたり、社会や家族に迷惑(つまり医療費を)をかけずに往生する死生観を持ったり、公言することをある種の教養とするかのような世論の涵養が気づかないうちに浸透してきている。どんなに素晴らしい人生観や死生観、そして宗教観を持ち出してきても幸か不幸か私には、その根底に「医療費削減」と言う鎧が政府の衣の袖から見えてしまうのである。
 愚痴を零すのはこのあたりにして映画の話をしよう。映画、「いまを生きる」は、ロビン・ウィリアムズ演じるキーティング教師が生徒たちに生きる視点を変えることを教える素晴らしい映画だ。今は亡き卒業生達の学生時代の写真の前でキーティングが生徒に「我々は死ぬ運命なのだ。ここにいる全員、いつか息が止まる日が来て冷たくなって死ぬ。みんなこっちに来て過去の面影と対面しろ。」、「君らのように大きな夢を抱く瞳は希望に輝く。彼らはためらう事なく人生をつかみ取った。そして今、美しく咲く花の糧となった。」、「耳を澄ませば彼らのささやく声が聞こえる。Carpe diem!(カルペ・ディエム、いまを生きろ!)」と語る。私は診察机の横に亡き父の旧制高等学校時代のアルバムを置いており、何かに悩み、迷うときにはキーティングの様にその写真を見返している。そこには今は“美しく咲く花の糧”になった約80年以上前の父を含めた高校生達が写っており、彼らがどのような人生を送ったのか私には知る由もなく、判るのは10代後半の3年間、父と一緒に青春を謳歌したということだけである。日中戦争が始まり太平洋戦争を目前にした暗く不確実な時代でありながら、自分や国の将来に明るい夢を持ち、熱く語りあっていたのだろう。アルバムを見るたびにストームのかけ声や、「アインス、ツバイ、ドライ!」に続く寮歌や笑い声が聞こえ、「何を悩んで立ち止まるのか!いまをしっかり生きろ!」と毎回、叱咤される。
 話を元に。「少子高齢化&多死時代」を目の前にして「俺たちに明日はない」と嘆くだけでは前に進まないし、一度しかない人生をそう簡単に「スターティング オーバー」することは出来ない。まずは、しっかりと「いまを生きる(カルペ・ディエム)」ことだ。
https://www.youtube.com/watch?v=veYR3ZC9wMQ
https://www.youtube.com/watch?v=fqPgEA_dorI
https://www.youtube.com/watch?v=aQwVQzs9pHk