令和6年度の診療報酬改定は、「診療所を狙い撃ちにした」と揶揄されるような過去に例を見ない改定でした。ことの始まりは、作年11月に財政制度審議会(財政審)によって出された「診療報酬は本体のマイナス改定が適当」との「秋の建議」です。コロナ禍での特例処置を無視して、経常利益が前年度比8.8%上昇しているとの財政審の作為的な操作によるもので、日本医師会は極めて強く反論しました。その後、厚生労働省と財務省の大臣折衝で本体部分の0.88%のプラス改定になりましたが、実質は「特定疾患療養管理料」から糖尿病、脂質異常症、高血圧が除外されたのに加え、「ベースアップ評価料」も計算上では医療機関の持ち出しになるなど、大幅なマイナス改定になってしまいました。当初の財務省のマイナス1%の主張に対して0.88%のプラス改定へと押し返したとはいえ、中央社会保険医療協議会(中医協)で押し切られた形になってしまった日本医師会の中医協委員並びに日本医師会執行部に対しては全国の医師会員から非常に激しい不満、叱責の声が上がりました。しかしながら本来責められるべきなのは単純に中医協委員並びに日本医師会執行部なのでしょうか?実は強まる外圧によって以前より中医協は弱体化してきており、今や中医協で診療報酬の改定率を決定しているのではないのです。以前は自由民主党議員や厚生労働省、大臣、日本医師会の折衝により、中医協で診療報酬の改定率が決められていました。しかしながら現在は、改定率の決定は内閣と財務省に委ねられ、非常に強い影響を持つ財政審と、厚生労働省、財務省の大臣折衝において実質の改定率や診療報酬の細部まで決められているのです。このように医療報酬の配分に対して政治が非常に大きく介入してきている現実において、対抗するための政治、政策を動かす力とは国政に送り出す組織内候補者の得票数なのです。日本の医療に対して適切な財源を確保するためには、その決定の過程において重要な場である国政の場に多くの得票数を得た組織内候補者を送り込む必要があります。過去には日本医師会の候補者を超えて票を獲得した他の医療系団体に対して非常に有益な政策が行われた事実があります。今年の11月までには必ず第50回衆議院総選挙が、来年の7月には医師会の組織内候補が立候補する第27回参議院通常選挙が実施されます。選挙のたびに囁かれる有名な政治経済学の言葉に「合理的無知」があります。投票で候補者や政党を選択をするためには政策や情報を収集、精察しなければならないのですが、たかだか自分が1票を投じても選挙結果には影響せず便益を損じるだけなので政治、政策の勉強をすることも投票も行わない、ということです。どうか日本の今後のより良い医療のためにも「合理的無知」から抜け出してください。
新年早々に発生した能登半島地震のニュースに対し、東日本大震災と熊本地震に兵庫JAMTとして出動した経験もあり、今回も早期にJMATとして出務しました。今回、兵庫JAMTの現地での役割は避難所訪問(支援JMAT)ではなく統括業務で、私が参加した第4班の活動について簡単に報告させていただきます。メンバーは医師:北垣(西宮市)、越智(須磨区)、事務:曽谷(兵庫県医師会)、看護師:横山(兵庫県立がんセンター)、荒木(西神戸医療センター)と薬剤師:宮森(テイエス調剤薬局)の6名です。以下、タイムスケジュールを簡単に記載します。
1月15日(月)
20時54分、大阪発、サンダーバード49号。
23時29分、金沢到着。
24時:インターゲートホテルチェックイン。
1月16日(火)
4時15分:降雪のなか金沢を出発。
6時:第3班と七尾市、ルートインホテルで合流後、穴水町に向けて出発。
8時:穴水町保健医療福祉本部(穴水保健センター)に到着。
8時30分:穴水町保健医療福祉本部、定時ミーティングに参加。
統括業務の引き継ぎとともに第3班、妹尾医師(兵庫区医師会)の統括にて、6チームのJAMTを各避難所に派遣。
16時:七尾保健医療福祉調整本部(公立能登総合病院)に移動し、荒木医師(西区医師会)より業務引き継ぎの後、リーダーミーティングに参加(北垣)。
17時:穴水町保健医療福祉本部にて夕刻ミーティングに参加(越智)。
17時15分:七尾保健医療福祉調整本部にて能登中央医療圏医療調整福祉会議に参加(北垣)。
18時30分:七尾保健医療福祉調整本部にて日医JAMT本部(石川県庁)会議に参加(北垣)。越智医師は穴水から帰途の車中よりWEB参加。
21時:七尾市のホテル着。
1月17日(水)
6時15分:穴水町に向けて出発。
8時:穴水町保健医療福祉本部に到着。
8時30分:穴水町保健医療福祉本部、定時ミーティング。
6チームのJAMTを各避難所に派遣。
13時:穴水町保健医療福祉協議会にて地元の医療機関(3クリニック、1病院)と現在の被災状況、医療ニーズに関して意見交換。徐々に診療を再開しており、医療ニーズはなし。
13時30分:JAMT兵庫派遣調整本部(兵庫県医師会)とWEBでミーティング(北垣、越智)。
16時40分:七尾本部にてリーダーミーティング(北垣)。
17時:穴水本部にて夕刻ミーティング(越智)。
18時30分:七尾保健医療福祉調整本部にて日医JAMT本部会議に佐原日医常任理事と参加(北垣)。越智医師は穴水本部よりWEB参加。
19時30分:報道ステーションTV取材。
20時30分:七尾市のホテル着。
1月18日(木)
6時15分:穴水町に向けて出発。
8時:穴水町保健医療福祉本部に到着。
8時30分:穴水町保健医療福祉本部、定時ミーティング。
8チームのJAMT(1チームは重装JMAT)を各避難所(JMAT2チームを能登町、重装JMATを珠洲市)に派遣。
13時:JAMT兵庫派遣調整本部とWEBでミーティング。
13時30分:第5班(三浦医師(西宮市)、新藤医師(尼崎市))が到着。引き継ぎの後、帰途につく。
今回の能登半島震災は過去の震災に比して被災者の高齢化率が高く(穴水町46%、奥能登50%に対して阪神・淡路13%、東北23%、熊本28%)医療、介護の必要度が高いうえ、広域避難を望まない傾向にありました。また、穴水町、人口8400人中、1700人が約40箇所に分散かつ点在避難しているのに加え、陥没や、がけ崩れのため道路状況が非常に悪く(金沢〜穴水が4時間、七尾〜穴水が2時間、その他通行止め多数)、JMATチームが避難所を回るのに時間を要しました。
更に問題であったのは石川県庁の日医JAMT本部とわれわれ、現場の統括との情報、意見の齟齬でした。本来は前日の夕方までに日医JAMT本部より翌日到着するJMATチームの情報(チーム編成、能力、到着時刻)が届くはずでしたが全く無く、当日の朝になってわれわれが情報収集してやっと判明するような状況でした。また、本部からは穴水より奥能登(珠洲、輪島、能登)へJAMTを派遣するように再三要請があったのですが、穴水統括であるJMAT兵庫には奥能登の情報(医療機関の被災状況、道路状況、移動の危険性等)が全く届いておらず、この危険な状況ではJMATの安易な派遣は無理、危険である旨、伝え紛糾しました。この件を含め、日医JAMT本部との会議では本部に対してCommand&Control(指揮命令・統括)、Communication(意思疎通、情報収集、情報伝達)が上手く機能していないので改善を、と連日のように協議を行いました。
元来、医療、介護資源が乏しい能登半島において、震災直後の初期対応よりも今後、1.5次避難所、2次避難所から被災者が戻ってこられる慢性期に医療需要や災害関連死が増える危険性があるので全国のJMATによる長期に渡る支援の継続が必要で、兵庫JMATもその一翼を担う必要があります。
最後に七尾市で開業され、自らも被災された日医常任理事の佐原先生には現場のJMAT兵庫と日医JAMT本部の間に入っていただき、色々な問題点改善に動いていただいたことに心より御礼申し上げます。
「長寿社会が文化国家である」、という認識の崩壊とともに、我が国においては死に対する概念が 著しく変化し、ある種、潔い死生観を持ち、自ら が社会にその死生観を発することがまるで一種の教養であるかのような涵養が徐々に進んできています。元来、日本人は社会や家族、その他の人々 の負担にならずに生き、逝くことを非常に重視する気質が強いため、安易な健康寿命重視が高齢者 の長寿に対する強いプレッシャーに繋がり、結果として「適正寿命(不健康な長寿は社会にとって は無意味な生であり、健康なうちに社会に迷惑を かけずに逝くこと)」という危うい概念がなし崩し 的に受け入れられようとしています。このような「適正寿命」のプロパガンダによって、日本人の人 生に対する視点が「いかに生きるべきか」から「い かに潔く逝くべきか」に変わるとともに治癒、延命医療より「安らか、かつ無駄のない死を与えるのが最善の医療」という流れに知らず知らずに進 んできています。「尊厳死」や「平穏死」という一 見すると崇高な死生観の衣の下からは「無意味な 医療」と「無意味な生」に執着せずに早く若い世代にその座を受け渡せ、という鎧が見えており、国が進めているACP(アドバンス・ケア・プラ ンニング、人生会議)もそのための政策ではないかとさえ勘ぐってしまいます。それ以上に心配な のは負担がかかることで現役世代の高齢者に対する不満が鬱積し、社会から高齢者を早期に排除しようとする流れが助長されるのではないか、とい う点です。すでに「孫のお年玉を取り上げるよう な高齢者が日本の社会制度では生じている」という自立できない高齢者に対する社会からの退場論 (逆シルバーシート論)や、不必要な医療かどうか、 本人、家族の意思確認の議論もなく「高齢者に最後の1ヶ月の延命治療はやめませんか?と提案すれば」、「唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、高齢者は老害化する前に集団自決、(社会的な)集団切腹みたいなことをすればいい」というような暴論、極論。現役の官僚でさえも「人生 最後の1ヶ月で生涯医療費の50%を使う」と、自 らを知識人と称する人達の誤った過激な情報発信が高齢者へ「適正寿命」を強制的に押し付け、社 会から早期排除する流れに拍車をかけているからです。 本来は少子高齢化の現代社会において高齢者と現役世代が対立することなく、また高齢者が現役世代に負担をかけるとして肩身の狭い思いを持ち ながら人生を送ることのないようにすべきであり、 誤った「適正寿命」の考えを正す必要があります。
新型コロナウイルス感染症のパンデミックも第1波からすでに第7波、2年半以上経過した現在ですがワクチン接種体制や経口治療薬開発の遅れ、そして科学的根拠に乏しい政府による行動制限などの新型コロナウイルス対応により、われわれは日常生活全てにおいて過剰なストレスと混乱の下に置かれています。そのため、高齢者を中心とした感染に対して非常に不安を感じている消費者をターゲットとし、断片的な科学的事実を上手に入れ込んで効果の確認できない商品を販売する、例えば二酸化塩素による空間除菌や空気清浄機などの「コロナウイルス対策便乗広告」が問題になったのはご存知のことと思います。
このように、国家の政変、崩壊や破壊、自然災害といった惨事に便乗して儲ける状況を「ショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)」と言い、2007年にカナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインが著したベストセラー書籍の名称が使われています。別名、「火事場泥棒資本主義」とも言われており、ナオミ・クラインの著書の中では、1973年、チリのクーデター後に国家を更地化し、そこに完全自由市場と言う新たな人格を植え付けるミルトン・フリードマンやフリードマンの薫陶を受けたシカゴ・ボーイズ(シカゴ学派)の新自由主義経済行動をその第一号としています。その他の具体例としては1989年、天安門事件、1991年、ソ連崩壊、2001年、アメリカ同時多発テロ事件、2004年、スマトラ島沖地震・津波、2005年、ハリケーン・カトリーナなどがあげられます。1982年、サッチャーがフォークランド紛争に便乗して労働組合をつぶし、2003年、イラク戦争占領後、アメリカは国営企業の解体、公務員の大量解雇し、市場経済導入。2005年、ハリケーン・カトリーナに被災したニューオーリンズでは義務教育の学校運営に市場原理を導入。教育の市場化を提案し多くの公立学校の廃止、教員の解雇が行われました。このような新自由主義経済の流れは日本において1997年、小泉内閣による消費税率5%引き上げによる日本経済のデフレとシカゴ・ボーイズの竹中平蔵氏主導の市場原理主義化と不良債権処理が行われ、経済格差の拡大とデフレの深刻かつ長期化がもたらされました。2011年の東日本大震災の後、「ショック・ドクトリン」の手法により仙台空港の民営化、水産業復興特区と称して漁業分野への大手企業の参入、原発事故後の再生可能エネルギー固定化価格買取制度導入が行われました。
実は新型コロナウイルス感染症パンデミックにおける社会の混乱に乗じる、「コロナショック・ドクトリン」が既に日本でも始まっていたのです。経済面では、多くの中小企業や個人が困窮している中、某広告代理店や某人材派遣会社は「コロナショック・ドクトリン」を上手く利用し、国発注の大型公共事業やコロナ関連の大型案件を落札して高い利益を得ています。政策面ではコロナ禍の混乱下で打ち出された「成長政略実行計画」は、「新しい働き方」と称して労働環境の悪化を粉飾し、「デジタル技術の社会実装を踏まえた規制の精微化」は安全性を軽視した人件費、コスト削減を、「決算インフラのあるべき姿(キャッシュレス化)」は一部のプラットフォーマーへの利益供与にしかすぎません。
「新型コロナ感染症は、あらゆる人々に分け隔てなく感染することで平等をもたらされている」と海外のセレブがコメントして物議を醸しました。確かにパンデミックはギリシャ語の「すべての人々」を語源としていますがウイルス感染は決して平等ではありません。感染のリスクがあっても生活の保証がなく自粛することが生活の困窮につながり、感染しても十分な休養、治療を受けられない多くの人々が存在するのです。
今回の新型コロナウイルス感染症パンデミックというショックにより、平時には自由と平等として隠されていた多くの新自由主義の矛盾や事実、「命と暮らしは守れない」、ということが明らかにされてきました。今一度、故宇沢弘文先生が唱えられた「社会的共通資本」として医療や教育は市場に委ねてはならない、との教えを心に刻むべきであります。
皆さんは「老衰」と言う言葉に対して、どのような印象を持たれるのでしょうか。文字通りに読めば「老いて心身が衰えること」で、多くの方が「加齢とともに明確な原因もなく、生体のホメオスタシスの維持が困難となり衰弱してしまい、最後には生命活動が終わる」、いわゆる「自然死」と考えられていると思います。
実は、日本人の死因としての「老衰」は医療の進歩、診断技術の向上により一時、激減していました。私自身、大学病院での勤務時代、「老衰」を死因として死亡診断書を作成したこともなく、安易に「老衰」を死因とする事が医療の現場では避けられていました。ところが2000年を境に、死因としての「老衰」がU字型に増加しており、 18年が人には死因の第3位(1位:悪性新生物(がん)、 2位:心臓疾患)、21年には10人に1人が「老衰」の診断で亡くなっているのです。このように、「老衰」が死因として増加してきた理由にはいくつかの要因があります。まず、平均寿命が延び、高齢者の死亡者全体に占める割合が増加したこと。次に、 CT、 MR 1や病理解剖にて精査すれば死因の究明は可能なのですが、敢えて高齢者だから死因を「老衰」として受け入れよう、と言う社会的風潮の蔓延。そして、介護保険制度が2000年に始まり、浸透してきたため、病院ではなく施設や自宅で亡くなる人が増加。その結果として死亡場所の5割以上が介護施設や自宅になり、平穏死、天寿としての「老衰」を望む患者や家族が増えたことなどが挙げられます。この流れで行けば、超高齢社会へと進んでいる日本では早晩、「老衰」が死因の第1位になることは間違いありません。
実は、「老衰」には明確な診断基準がありません。ICD-10(疾病及び関連保健問題の国際分類)で は分類 I D :200780449として記載されていますが、一般には疾病として扱われず、その診断には現場の医師の裁量に任されている点が非常に大きいウェイトを占めています。死亡診断マニュアルでは「高齢者であり、他に記載すべき死亡原因がない、いわゆる自然死」とありますが、高齢者といっても平均寿命以下では診断は難しいし、「老衰」がいつから始まったのかの判断も非常に困難です。「老衰」では積極的な治療が抑制され、一般に言みとうところの「看取り」の状態になるため、医療費の伸びが抑えられ、介護費用も増加しない傾向にある、との報告も見受けられます。今後は「老衰」の兆候を早期に発見することや、「老衰」患者さんのAC P (アドバンス・ケア・プランニング。将来の医療やケアについて、本人による意思決定を支援するプロセス)の確認が、更に必要かつ重要になってくると思われます。
さあ、ここまで読んでいただいた皆さん、ご自分の死亡診断書に「老衰」を望まれますか。望まれませんか。