YOUTAオフィシャルブログ「夢飛行」 ~すべてのバリアをこえて~
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

歌詞とボーカル募集の結果発表♪

作曲家・ピアニストのYOUTAです。

七夕企画と銘打って、僕が作曲した『未来への約束』の歌詞とボーカルを3月から募集してきました。
(ちなみに楽曲の命名者は富山市にお住まいの「赤祖父みづほ」さんです)

このたび歌詞とボーカルの当選者が決定したので結果を発表します。

歌詞は秋田県にお住まいの「久遠真雪(くどうまゆき)」さんの作品

ボーカルは富山市にお住まいの「神田ニコリ」さんに決定しました。

また今回はスペシャル版としてクラシックバージョンを制作することになり、ボーカルは小矢部市にお住まいの「谷口琴音(ことね)」さんに決定しました。

ご応募いただいた皆さん、そして情報拡散にご協力いただいた皆さん、本当にありがとうございました!

これから歌詞とメロディーをすり合わせて歌に仕上げ、ポップスとクラシックの各バージョンの編曲をしていきます。

それから両バージョンの歌をレコーディングして、それぞれのミュージックビデオを制作します。

各種音楽配信サイトでの音源リリースは10月31日の予定です。
(状況によっては予定が変更になる場合もあります)

今回の楽曲は歌詞も含めて希望にあふれた作品になりそうです。

さっそく今日から曲づくりに取りかかろうと思います。

まずは構想を練るところからスタートです。

2020年6月のYノート♪

こんにちは、作曲家・ピアニストのYOUTAです。

僕の体験談をツイッターの140文字という限られたスペースで1日1つ投稿していく企画「Yノート」

2020年6月の投稿をまとめました。

ご覧いただければ幸いです。

■1日
小6のとき学校の図書館で担任の先生から「絶対に面白いから読んでみなさい」とルブランの鬼岩城をすすめられ、しぶしぶ借りる。
仕方なく読み始めると止まらなくなり、アッと言う間に読破。
以来ルパンシリーズの虜になり、大人になった今でも愛読書の一つである。

■2日
6歳のころ遊園地でバイキングに乗る。
以来、遊園地の乗り物を全て警戒するようになる。

■3日
9歳ごろ「怖くないから」と三歳児でも乗れるミニコースターに乗せられる。
動き出す直前に「下ろしてー」と叫ぶもスタート。
動きは坂を上り下りするのがメイン。
乗物から降りて開口一番「もう懲りたから、こういう乗り物には二度と乗らない」と膨れる。

■4日
10歳ごろ、メリーゴーランドのように緩やかに回転しながら二人乗りの座席が数メートル上下運動する遊具に乗る。
動き出す前から「これ怖くないよね?」と何度も確認し、父にはたかれる。

■5日
中3のとき修学旅行で訪れたディズニーランド。
見栄を張ってジェットコースター系に乗るグループに入る。
内心相当びびりながらスペースマウンテンに乗り、意外と怖くないと知る。
暗闇も全盲の僕には意味をなさない。

■6日
「うん、その弾き方も悪くないんだけど、こういう弾き方はどう?」
大学で僕が師事していたピアノの先生は弾き方を修正する際に決まってそう仰った。

■7日
「あなたも大変な商売を最も厳しい県で始めましたね」
駆け出しのころ支援してくださった方が仰った。
「温水洗浄便座の普及率は全国一、これが何を意味するか、わかりますか?」
「…」
「有形のものにはお金を出しても、無形のものには価値を見出さない、そういう県民性なんですよ」

■8日
駆け出しの頃「ショパンを聴かせて」とこわれ18番のノクターン第2番を弾く。
演奏後「クラシック・ジャズ・ポピュラー…あなたは何をやりたいの?」と突っ込まれる。
「クラシックならクラシック、ジャズならジャズ、ポピュラーならポピュラー、はっきりさせたほうがいいですよ」と。

■9日
サウンドテーブルテニスという視覚障害者でも楽しめる卓球。
高校生のとき、体育の授業で後輩の女子と試合をする。
真剣に試合をしていると「おまえ、優しさがないなー」と先生が苦笑い。

■10日
18歳のとき、ジーパンにTシャツで式典に出席する。

■11日
11歳ごろ、ショッピングセンターの広場で、ソロでは初となる電子オルガン演奏を披露。
あまりの緊張にガクガク足が震え、足鍵盤の演奏やフットペダルの操作に支障をきたす。

■12日
ピアノ教室に通い出して1年余り、高2の年度末に初めて発表会の舞台に立つ。
曲目はショパンのノクターン第2番。
緊張で足が震えて踏ん張りがきかず、我ながら驚く。

■13日
大学2年生の秋に出場したピアノコンクールの予選。
フォーレのノクターン第6番を弾く。
少し動きのある部分に差し掛かったとき、演奏が止まってしまい、頭が真っ白になって弾けなくなる。
少し前に戻って弾き直し、何とか乗り切って最後まで弾けた。
これまでの人生で唯一の経験。

■14日
「富山弁で『みゃーらくもん』って言うでしょ?私はあの言葉が大嫌いなんですよ」
駆け出しのころ支援してくださった方が仰った。
「どういう意味なんですか?」
「あいつは音楽とか絵とか、そういう道楽ばっかりしてて、どうしようもないやつだって時に使う言葉ですよ」

■15日
中1のとき、社会科の夏休みの宿題を厚めにきた先生。
二人のクラスメイトが提出する中、僕だけバッグをごそごそ。
(実は手をつけていない)
「あれ、ないなー、おかしいなー」
その様子を見た先生は「ならまた職員室に持ってきて」と去る。
とうとうそのまま提出せずに済ませる。

■16日
小学生になっても自分のことを自分で「ゆうくん」と言う習慣が抜けなかった。
口が滑るたび担任の先生に見つかると「ぼくでしょ」とたしなめられる。

■17日
高1のとき、音楽部のステージ発表の前日練習で、ギターの応用で突然ベースを弾いてみたら意外に弾けて「やっぱり明日はベース弾くわ」と急きょ楽器を変更する。

■18日
中学の卒業祝いにギターとアンプを買ってもらう。
『春の中の孤独』というフォークソングを書く。
ひと月後、友人が歌い、僕がギターとコーラスを担当して音楽祭に初応募。

■19日
小学生のときボランティアの方から点訳してほしい本を聞かれ「マンガ」と答える。

■20日
すいている時間帯をねらい、短大の売店へ楽譜をコピーしに行く。
うまい具合にお客さんは居ない。
店番のおばちゃんにコピーを頼む。
一人は「今回は仕方ないけど、こういう依頼は受けかねるよ」と言う。
一人は「そんなこと言わなくてもねー」とコピーしてくれる。

■21日
高校生のとき、校内の寮の周辺で延長コードが必要になり、寮の事務室に借りに行く。
「なんで(関係ない)あんたらに貸さなきゃならんの?」と一人が言う。
「そういうこと言うなよねー」ともう一人が貸してくれる。

■22日
低学年の遠足で遊園地に行く。
時間前におやつが食べたくなる。
担任の若い女性の厳しい先生がダメ出し。
大好きな別の若い女性の優しい先生と乗り物に乗る。
「おやつを持って乗ろうか」と言ってくれる。
それを見て担任の先生が「もし食べたら承知せんからね」と厳しい口調で言う。

■23日
小5のとき音楽劇でキーボードを担当。
単純なフレーズを繰り返すばかりで「つまんないから音増やして」と抗議する。

■24日
高学年のとき学校が教材として日本地図と世界地図のパズルを購入。
一時期それにはまり熱中。
いつの間にか地図が頭に入る。

■25日
好きなゲームやアニメのキャラクターの能力やストーリーは、細かい数値や描写まで記憶。
しかもゲームやアニメは何種類あっても忘れない。
嫌いな学校の勉強は、いくら聞いても右から左で、試験もろくな点数をとれない。
そんな小中高時代。

■26日
父から習い、小5で将棋を始める。
市販の盤に釘で割り箸を付け、セロテープでコーティングして、触れば升目がわかり、駒もずれない工夫をしてくれた。
やがて脳内対局を拾得。

■27日
同年代の子と将棋をするようになると、インチキをする子が出てくる。
自陣が有利になるよう不可能な手を指したり、駒をずらしたりしてくるのだ。
そのたびに「その駒はそこには動かせないよ」とか「その駒はここにあったはずだよ」と指摘。
これも脳内対局を身につけていたおかげ。

■28日
数人で合奏したコンサートで退場のとき一人だけ舞台に取り残される。
そういう経験は30年の人生で印象になく、たいてい誰かが手を引いてくれた。
ちなみに、退場の手はずについては何も打ち合わせていなかった。

■29日
短大2年の初夏、4年生音大の受験を言い出す。
「どうしてもっと早く言わないの」
驚いた様子のピアノの先生。
そして受験の1ヶ月前のレッスン。
「やる気あるの?受験をなめるんじゃないよ」
そこから寝る暇も惜しむ鬼練習と猛勉強が始まる。
無事に合格する。

■30日
短大の音楽化をへて、4年制の音大に1年生から入学する。
練習棟に通い始め、周囲とのレベルの差に愕然とする。
毎朝5時半に起き、毎晩10時まで、空いた時間は全てピアノを弾く日々が始まる。

※ツイッターのアカウントは <a href="https://twitter.com/youtamusic" target="_blank">@YOUTAMUSIC</a>
ハッシュタグ #Yノート

2020年5月のYノート♪

こんにちは、作曲家・ピアニストのYOUTAです。

僕の体験談をツイッターの140文字という限られたスペースで1日1つ投稿していく企画「Yノート」

2020年5月の投稿をまとめました。

ご覧いただければ幸いです。

■1日
小4の遠足でイチゴ狩りに行く。
初めてお目にかかるいつも家や学校で食べたり育てたりしているのとは比べ物にならない大きさの粒に感激。
波に乗って45個も食べて、昼食を食べ切れなくなる。

■2日
盲学校の寮の喫煙所を兼ねたロビーに自販機があった。
それは学校の旧館と新館の境目にあり通り道。
中学生になって間もなく友人とのたまり場になる。
朝礼前と放課後そこでジュースやコーヒーを片手に語らうのが日課だった。

■3日
高学年の知能テスト。
先生の出題に答え、正解かは告げられない。
「120ccの牛乳を6割使った残りは何ccか」
ccも割合も習っていないが、120を10で割り6倍した数を120から引くと直感。
「48cc」の回答に先生は一瞬沈黙し「どうしてわかったの?」と仰る。

■4日
中2の年度末にバンドを作り、学園祭に向けて曲を書く。
ある日、担任から音楽室へ行くよう言われ、音楽の先生の指導が始まる。
毎回「次の展開を考えて」と言われ、自分の構想と合わない。
余計なお節介だという僕の不満を担任が察し、指導は中断。
その後A・B・C形式の歌を作曲。

■5日
夏になると氷を入れた水を魔法瓶で学校に持参。
中3のころ、登校すると水を処分し、ジュースに詰め替えていた。
教室の片隅には段ボール箱があり、授業で使う空き缶がいっぱい入っている。
その中に忍ばせて缶ジュースを10本ほど常に買いだめしておくのだ。

■6日
高校を卒業して別々の道へ進むことになった二人の友人と、お互いに言葉を贈り合う。
Aくんには「アリストテレスも大切だけど、プラトンも大切だぞ」
Bさんには「プラトンも大切だけど、アリストテレスも大切だぞ」
という言葉を贈った自分。

■7日
高校生のころ地鉄の電車に乗り「こんなさびれた電車なくてもいいよね」という僕。
同じ盲学校に通う30ほどの方から「そういうこと言うもんじゃないよ」とたしなめられる。
「あんたみたいに車でいつも送り迎えしてもらえればいいけどね、この電車がないと生活に困る人もいるのよ」と。

■8日
小4の年度は担任の先生が全部で4人もいた。
最初の担任は1学期いっぱいで産休に入る。
繰り上がった副担任は1ヶ月で病欠。
産休の代理で着任した先生が3人目。
またもや年末で産休に入り、病欠の代理で着任し副担になっていた先生が4人目。
このとき副担任は誰だったのだろう。

■9日
全盲の僕にはテレビでアニメは楽しめてもマンガは読めない。
小4のとき触ってわかるよう先生がマンガの絵を立体コピーに起こしてくれた。
ドラゴンボールZのキャラクターが必殺技を繰り出そうとしている絵に心は躍る。
実際の絵を拡大コピーして専用のインクでなぞり作ってくれた。

■10日
小6のときドラクエの地図を見たいという願いをかなえてくれた先生。
攻略本の地図を拡大コピーして専用のインクでなぞる。
海は細い線で埋め、紙の部分が陸。
地名は五十音で表し説明を別紙にまとめる。
大変な時間と労力のもと完成したであろう立体コピーの地図を触り味わう夢心地。

■11日
昔から僕は臆病者で、中学生頃まで一人の時はトイレに鍵をかけて隠れてたり、部屋の戸が開かないようバリケードを築いたりしていた。
中1の時、風邪で休み家に一人。
玄関で物音がしたので攻撃体勢になり、ドアが開いた瞬間「何者だー!」と飛び出す。
「うわー何だー!」と父が驚愕。

■12日
駆け出しの頃、演奏の話をくれた方が仰った。
「東京でコンサート当日ピアノ協奏曲のソリストに欠員が出て募集すると七万人が手を挙げる」
もちろん僕のレパートリーにオリジナル以外のピアノ協奏曲は無い。
半年ぐらい山ごもりでもすれば難易度によっては弾けるかもしれないけれど…。

■13日
2011年に周南市でビブランドネオン奏者の野岐昇成さんと共演。
楽器が修理中で鍵盤ハーモニカでの共演となる。
正気かといぶかるも、リハが始まってすぐ恥じ入る。
巧みな演奏技法と豊かな表現力はまさに圧巻。
楽器は物ではなく人次第で、先入観は何の役にも立たないことを知る。

■14日
2・3歳の頃、両親が僕に音当てクイズを試みる。
鳴らされた音を聴いて音名を答えるという単純なもの。
こうして僕の絶対音感は見出された。

■15日
「絶対音感は身につくか」と聞く人に「個人差はあれど訓練で多少身につく場合もある」と答えたピアノ教室の友人。
2・3ヶ月後「うちの子ぜんぜん絶対音感が身につかない」と抗議される。
生まれつき絶対音感がある僕は思わず「絶対音感を身につけてどうするのかしら」と首をかしげた。

■16日
中1のとき、宿泊学習で移動のスクールバスの中で聴くカセットテープを各自持参。
みんなが音楽を持ち寄る中、僕だけキャプテン翼のビデオを録音したテープを持参。
自分の番がきて2・3分流されるも「わけわからんから却下」と先生。
次のテープに変えられ、しばらくいじけていた。

■17日
「すぐそこです」
「どこ?」
「すぐ前です」
話にならない。
全盲の方が「近くの方に声をかけて頼んで」と言われ困った話をよく聞く。
すぐそこも僕らには全く検討がつかない。
距離感、角度、相手の様子が把握できず声を出すには相当勇気がいる。
寿司屋で注文するのも一苦労。

■18日
「おはよう」と聞え返したら自分じゃなかった。
逆に「おはよう」と言われたのに自分じゃないと思い無視。
ニックネームで呼ばれ「おう」と返したら先生。
くん付けで呼ばれ「どうも」と半信半疑で答えたら友達。
突然の声だけで瞬間的に誰かを判断するのは意外に難しいと思い知る。

■19日
新聞記者の方から「デスクに座りっぱなしだと居ないか仕事してないかだと思われるので、適宜に立ち上がって存在をアピールしている」と聞き「へぇーそんなものですかー」と妙に感心する。

■20日
中2の授業で子供と大人どちらが良いか討論。
僕は大人派で主張。
「大人はその是非を別に、飲酒・喫煙・結婚・選挙の権利を使うか否か選べるが、子供は選べない。
大人は左右を選べるが、子供は強制的に道を選ばされる。
だから大人のほうが良い」
これが決め手で、大人派が勝利。

■21日
小学生のころ、何をしても必ずケチをつけてくる大人の女性がいた。
ある日、友達と示し合わせて「いい加減にしろよ、文句ばかり言いやがって」と散々やりこめる。
以来それまでが嘘のように人が変わって大人しくなった。

■22日
小学生のとき学校で友達に将棋盤を貸す。
置き去りの対局中の盤を片づける。
「勝手に片づけるなよ」と喧嘩を売られ「文句言うならもう貸さんぞ」と買う。
「早く授業いきなさい」と先生が割って入る。
行きかけた僕に先生が「言われたら言い返す、あれでいいんやぞ」と仰る。

■23日
中1のとき、僕の目が見えないことを幸いに、いつも見下した態度をとる小学生がいた。
ある日その子をひっつかまえて「あんまり調子にのるなよ」と一喝。
以来その子は僕を見下さなくなり、態度が軟化する。

■24日
バレンタインデーに担任の先生からチョコをもらう。
ホワイトデーにお返しで缶のマーブルチョコを贈る。
それを休み時間に「もらったものは先生のものだから」と毎日くれる。

■25日
学校で「これ聴いてみろよ」と友人からX JAPANのCDを渡される。
家に帰って仕方なく聴いたFOREVER LOVEに衝撃を受ける。
すぐさまピアノ教室の門をたたいた高校1年の秋。

■26日
楽団のデモ録音に使おうとミキサーを買う。
結局その録音は実現しないまま楽団は解散。
1年半後、ライブ活動で大いに役立ち出す。
宝の持ち腐れが一転して別の用途で欠かせない存在に変わる。

■27日
「ゆうた君、絶対にFacebookやったほうがいいよ」
お酒の席で散々すすめられ、しぶしぶ利用登録した2012年の秋。
間もなく効果を実感し、日々の活動に欠かせない存在となる。

■28日
X JAPANの音楽に夢中だった高校生の中ごろ。
CDを聴けと貸して僕の心に火を付けた友人の「確かYOSHIKIも音大に行ったはずや」という一言で「じゃあ自分も音大に行こう」と即決。

■29日
高校生の中ごろ音大へ行くと決めたとき候補は3つ。
うち魚津の洗足学園が廃校になり、候補が2つに。
「せっかく県外に出るんやったら同じ盲学校より一般校のほうがいいと思うなー」
先生からアドバイスされ、迷ったあげく、筑波大学附属盲学校ではなく、高崎芸術短大を選択する。

■30日
小4のときに風邪をひいて訪れた病院。
誰かが吹くおもちゃのラッパの音が耳について離れなくなる。
ミの単音と、ドとソの和音が交互に鳴っていた。
それを動機に作った8小節の曲を翌日学校で先生に聴かせる。
「すごいねー」とほめられた瞬間が、作曲して感じた最初の喜び。

■31日
16歳でピアノを始め、17歳で音大に行きたいと言い出す。
今から四大は無理だと音楽の先生に言われ、まずは短大へ行くことに。
その2年間でピアノや音楽の技術や知識の習得はもちろん、チェンバロ、二胡、オーケストラの第一バイオリンなど、非常に貴重な多くの経験にふれる。

※ツイッターのアカウントは @YOUTAMUSIC
ハッシュタグ #Yノート
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>