皆さま
こんばんは。
「グランマ&コーチyokoこと東郷洋子」です(^^)
今日も、自分の心の徒然なるままに書いていきたい思います。
読んで頂けたら嬉しいです
「子育てコーチング☆対話会」の中で、
「怒りと叱り」の違いについてのお話になりました。
皆さんはどう思われますか?
対話会では、 「自分が『今ここ』にいるかいないかの違いかな」という話になりました。
例えば、お子さんがゲームばかりをして 少しも勉強していない状況が目の前にあるとする。 これを見て、か~とくる!
子供が過去にもゲームばかりしていて、
散々なテストの点数であった情景が思い出される。 注意をしたら、口答えをした過去の情景。
注意をしたら、後でやるからと言って、 片づけもいい加減であったあの日のこと。 そう言えば、最近はサッカーの練習にも身が入ってなくて、 だらけているように見えたシーン
次々とイケテない我が子の情景が思い出されます。
そして、自分の中のダイナマイトに火が付きます。
我が子に向かって、火山の爆発が起こります(笑)
『怒った』ときは、こんな風にマイナス面や過去のこと
或いは、ゲームのことに関係のないことまで一緒くたにした 「ストーリー劇場」で、
感情がコントロール不能な感じです。
『叱り』は、自分が『今ここ』にいます。
今、目の前の事実だけを見ます。
子供がいる ゲームがある。
今、子供はゲームをしている。
今、子供は勉強をしていない。
一つの物事だけを扱います。
自我さんの「ストーリー劇場」に支配されていないので、
課題や行動も明確になります。
根底には、子どもへの愛と信頼と尊重があります。
これは、他人に対してだけではなく、
自分への愛と信頼と尊重が土台にあります。
視座を上げれば、人生への信頼があります。
自分には言いたいことをいう権利がある。
子供にはそれを拒否する権利もある。
誰も間違ってはいないという相互信頼。
そんなこと言っても、つい怒ってしまうんですよ。
あ~また怒ってしまったと思って反省して落ち込むんですよ。
その繰り返し!
私がこんなに反省したり、あの子のことを思っているのに~
全くもう~あの子ときたらゲームばかりして。
と又、自我さんが囁く。その繰り返し。
でも、大丈夫!
その繰り返しの中で、つい怒ってしまった自分を実況中継!
そんな自分も否定せずに受け止めて、取り敢えず置く。
という~1ミリの量稽古をしていると、
ドMに責め続けるより、
囚われから少しずつ離れ、少しずつ楽になり、
アイデアも浮かんでくるよ。ってお話になりました。
今日の画像
毎回、食べる話ばかりで恐縮ですシリーズ
受講者さんから紹介された
こちらの「うどん屋さん」に夫と行って来ました。
豊明市内にある「讃岐うどん十四明」
讃岐うどん十四明 - 豊明/うどん | 食べログ (tabelog.com)
受講者さんのお薦め通り、
ごちそうさまでした
今日も読んで頂いてありがとうございます。
また次回のブログでお会い出来たら嬉しいです(^^)