風幡(ふうばん)
六祖は南方へのがれて、十余年間、木樵(きこり)の群にまじって跡をくらましておられました。
さてもうそろそろ機も熟したろうと、唐の高宗帝の儀鳳元年丙子正月八日(676)広州へおもむかれると、法性寺では印宗法師の『涅槃経』の講義が行なわれており、例によって門前には高々と幡(はた)が掲げられていました。
その幡が、春とは名ばかりの寒風に吹きあおられて、バタバタと音を立てています。
それを見て一僧が、
「ひどく幡が動いているね」
というと、他の僧が、
「幡じゃないよ、風が動いているんだ」
と反ぱくしました。
サァたいへん。
それからは「幡が動くんだ」「いや風邪だよ」、「幡だ」「風だ」とお互いに自論を主張して果てしがつきません。
その様子をさきほどからジッと見ておられた六祖がたまりかねて口をはさみました。
「わたしのような俗人が口を出すのは失礼とは存じますが、しかしそれは、風が動くのでもない、幡が動くのでもない、あなたがた自身の心が動くのだと思います」
思いもかけぬことを言われて二僧はびっくりしました。
俗人のくせにえらいことを言うと、ともかく事の次第を師の印宗法師に告げました。
印宗法師もこれはただ者ではないと思い、自分の部屋へ迎え入れて尋ねました。
「あなたはさだめし尋常のかたではありますまい。あなたのお師匠さんはどなたですか」
そこで、六祖はやむをえず、五祖の法をつぎ衣鉢を授けられたことなどを、隠さず話しました。
印宗法師も、かねてよりそういううわさは聞いていましたから、このかたが六祖であったかと驚き、且つ「肉身の菩薩に会うことができた」といって大いに喜び、さっそく弟子の礼をとりました。
これが縁で法性寺の智光律師について剃髪得度し、十余年の逃晦(とうかい)に終止符をうって、六祖として世にデビューされることになったのであります。
(つづく)
(※)
「茶席の禅語」(西部文浄著) から引用させて
いただきました。
AかBかと悩むと、それ以外のことを考えることが出来なくなってしまいます。
選択肢をもっと広げて考えることが大切ですね。
この場合は広げるというより上の次元から見るというほうが適切でしょうか。