【禅】應無所住而生其心(4) | 対人恐怖で悩む内向型治療師のブログ

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私は対人恐怖で、緊張すると手が震える小心者の治療師ですが、
それでも30年余、延べ10万人も施術してくることが出来ました。

その経験から、対人恐怖でお悩みの治療師のみなさんに、
メンタルや施術方法についてお話したいと思います。


宋の神宋帝のころ、蔡君謨(さいくんぼ)という非常に髯の長い人がいました。


あるとき神宋帝から、

「おまえの髯は非常にりっぱなものだが、寝るときには、蒲団の中に入れて寝るのか、それとも出して寝るのか」

と問われました。


毎晩やっていることですが、さてそう問われてみると返答ができません。


その晩、どうして寝ていたのだろうかと思って、まず蒲団の中に入れてみました。


しかしどうも寝ぐるしい。


やはり出して寝ていたにちがいないと、こんどは出してみたところ、アゴをつり上げられるようで、なお寝ぐるしい。


出したり入れたり、とうとう一晩中眠られなかった‥‥という話があります。


このように、平生なんとも思わなかったことでも、他からヒョイと言われて、それにとらわれると、迷いを生じ、自由を失ってしまいます。




(つづく)








(※)

「茶席の禅語」(西部文浄著) から引用させて

いただきました。 


















こういうことはよくありますね。

何気なくやっていることでも、あらためて考えてみたり、人から聞かれたりすると、分からなくなります。

その後、それを忘れていると、フッと思い出したりします。

おもしろいものです。